尾崎 喜光(おざき よしみつ)
日本語学担当
現代日本語の話し言葉の多様性に関する社会言語学的研究。
日本語の男女差、年齢差(加齢変化)、地域差(方言)、方言と共通語の使い分け、敬語行動、
現在進行中の言語変化、韓国語との対照言語行動研究など。研究テーマも多様。
正月の遊び
今年の2月12日は旧正月(元旦)でした。台湾や中国、韓国では今でも旧正月(春節)が祝われ、都会から故郷に帰る人々の大移動が日本のテレビニュースでもよく報じられます。これに対し日本は、旧暦で行われる行事はお盆くらいしかなさそうです。(東京など新暦の7月に行われる地域もあるようです。)
日本の正月は旧暦から新暦に変わりましたが、子供たちの正月遊びは、少しずつ衰退しつつも現在まで受け継がれています。室内だとカルタ取りや百人一首、福笑い、屋外だと羽子板や凧あげなどでしょう。小さい頃はこうした遊びをよくしたと思い出す学生さんも多いのではないでしょうか。今では遊ぶ子供が少ないと思いますが、かつてはコマ回しなども正月遊びの定番でした。
「コマを回す」の発音
さて、そのコマ回しですが、皆さんは「コマを回す」をどう発音しているでしょうか? 特に「回す」の部分に注目して発音してみてください。
「回す」は「まわす」ではないか、その証拠に仮名で書くときは「まわす」と書くではないかと思う人も少なくないでしょう。でも、本当に「まわす」と発音しているでしょうか? もしかしたらふだんの発音は「まわす」ではなく「まあす」ないしは「まーす」ではないでしょうか? 意識せずにもう一度自然な調子で「コマを回す」を発音し、どちらであるかを注意深く観察してみてください。
たくさんの人の発音を調査してみると…
こんな細かいことが気になるのが日本語研究者です。
2018年10月から半年かけ、無作為に選ばれた20代から60代の東京都在住者1,049人を対象に言葉の調査をする機会がありました。調査項目の一部には音声(発音)に関するものもあり、その録音の聞き取りを今進めているところです。
録音項目の一つに「回す」があります。回答者には「子どもがコマを回す」と書かれたカードを普段どおりに読んでもらい、その発音が「まわす」であるのか「まあす」であるのかを聞き取っています。聞き取りは現在進行中ですが、「まあす」と発音する人が結構いることがわかりました。
テレビ番組での発音の調査(1)
テレビせとうちが1985年10月から約1年間放送した地域紹介番組『くろーずUPせとうち』(日曜日放送の30分番組)を「放送ライブラリー」(横浜市)で視聴し、インタビューに答える県民の言葉や、インタビュアーであるレポーターの言葉を調査しています。
第40回放送までのデータを対象に、単語の先頭以外(=非語頭)の「わ」を「わ」と発音するかそれとも「あ」と発音するかを分析しました。結果は次のグラフのとおりです。
該当データ148件のうち、非語頭の「わ」を「あ」と発音したケースは約1割ありました。全体としては少ないのですが、一定数はありますね。(なお「わ(~あ)」というのは、「わ」に近いけれども「あ」にも聞こえるという微妙なケースです。数値は小さいのでここでは深く追求しないことにしましょう。)
これを直前の母音別に分析すると(「全体」のすぐ下)、「わ」が「あ」と発音されるのは、直前の母音が[a]であるときがほとんどであることがわかります。たとえば「間に合わない」「代わり」「サワラ[魚]」「すなわち」「回(まわ)す」などが該当します。このようなとき、「わ」が「あ」で発音されるケースが相対的に多いことがわかりました。
このように、音声連続がどうであるかが、この発音に深く関わっているようです。
テレビ番組での発音の調査(2)
かつて日本テレビ放送網で放送された『すばらしい世界旅行』という紀行ドキュメンタリー番組があります。ナレーターは久米明氏(1924年生まれ;東京都出身)ですが、発音の規範性が求められるナレーターがどう発音するかについて、1966年~1988年に放送された番組のうち27番組を「放送ライブラリー」で調査しました。結果は次のグラフのとおりです。(中間的な微妙な発音の集計はここでは除きました。)
該当データ350件のうち、非語頭の「わ」を「あ」で発音したケースは約1割ありました。一般の人以上に発音を意識するナレーターでも、「わ」を「あ」と発音することがあることがわかります。
これを直前の母音別に分析すると(「全体」のすぐ下)、「あ」で発音されたのは、やはり直前の母音が[a]であるときがほとんどです。先ほどのグラフと同じ傾向ですね。
直前の母音が[a]であるケース(208件)のうち、「わ」を「あ」と発音したケース(28件)について、その[a]のさらに直前の子音とのつながり、つまりア行の拍別に(≒直前の仮名別に)分析すると次のグラフのようになりました。
「わ」の直前が「ま」となる「まわ」のときに「まあ」と発音されることが多いことがわかります。たとえば「(コブラの)毒が回らないように」の「回ら」が「まあら」と発音されるなどです。
また、「わ」の直前が「な」のときも、「なわ」が「なあ」となることが少なくないようです。「縄張りの中で」の「縄張り」が「なあばり」と発音されるなどです。
長い時間をかけて進行している音声変化の仕上げ?
直前の母音が[a]であるとき、中でもそれが「ま」や「な」であるときに、直後の「わ」が「あ」と発音されやすいことが、いくつかの調査から明らかになり始めました。簡単に言えば、「口の開閉をきちんと繰り返さず楽な発音をしよう」という無意識の動機から生じた変化ではないかと思います。
こうした変化は、和語に限定して考えるならば、「ハ行転呼」と呼ばれる、日本語の長い歴史の中で生じた発音の変化の最終段階と位置付けられる可能性もありそうです。
非語頭のハ行のうち「へ」は、たとえば「帰る」は「かへる」(実際の発音は「かふぇる」)→「かゑる」→「かえる」のように、ワ行を経て現在はア行で発音されています。
ところが唯一ワ行の変化まででとどまっているのが「は」です。たとえば「回る」は、「まはる」(実際の発音は「まふぁる」)→「まわる」とまでは変化しましたが、「まある」とまでは変化していません。「まわる」を「まある」と発音するのは、長期にわたる日本語の音声変化の最終段階であり、それを私たちはいま目撃しているのかもしれません。
【参考文献】
尾崎喜光(2021)「音声における逸脱」金澤裕之・川端元子・森篤嗣編『日本語の乱れか変化か-これまでの日本語、これからの日本語-』(ひつじ書房)
*本記事は、JSPS科研費JP18H00673(研究課題「共通語の基盤としての東京語の動態に関する多人数経年調査」;研究代表者・尾崎喜光)およびJSPS科研費JP20K20710(研究課題「現在進行中の日本語の音声変化を把握するための既存の映像資料・録音資料の活用研究」;研究代表者・尾崎喜光)による研究成果の一部です。
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