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日本語日本文学科

2024.05.01

格調高い発音 | 尾崎 喜光 | 日文エッセイ245

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
尾崎 喜光(おざき よしみつ)日本語学担当。
現代日本語の話し言葉の多様性に関する社会言語学的研究。
日本語の男女差、年齢差(加齢変化)、地域差(方言)、
方言と共通語の使い分け、敬語行動、現在進行中の言語変化、
韓国語との対照言語行動研究など。研究テーマも多様。

 
格調高い発音
 
ついに私も高齢者
 「還暦」とか「高齢者」という言葉があります。いずれ自分にも訪れるはずであるのに、まだまだ先のことだと実感の伴わない幾年(いくとせ)を過ごしてきましたが、いつしか「還暦」を過ぎ、今では「高齢者」の仲間入りを果たしました。言葉のアンケートを年齢層別に集計し、60歳以上の回答者を「高年層」などと他人ごととしてラベルを貼っていたのが、「あっ、自分のことか!」と思われるようになりました。

高齢者の仲間入りをすると…
 高齢者になったためか、最近はよく子ども時代のことが思い出されます。
 秋はピリッと肌寒い気候になる信州(長野県)に生まれ育ったせいか、その空気感を伴う文部省唱歌『野菊』が好きで、学んだ木造校舎や雪をかぶり始めた遠くの山の景色とともに、この歌のメロディと歌詞がよくよみがえります。「♪ 遠い山から吹いて来る/小寒い風にゆれながら」で始まる歌です。若い方はもしかしたら御存じないかもしれませんね。
 

 さて、この歌のその先の歌詞は「気高(けだか)く清く匂う花」ですが、私が気になるのは「匂う」の発音です。(ここで頭は日本語研究者に切り変わります)
 ふだんの話し言葉で「匂う」は「ニオウ」と発音しますよね。しかし、この歌を歌うときは「ニオー」なのです(「仁王」と全く同じ発音)。もしこれを「ニオウ花」と歌ったら、ここだけ何だか詩的な世界から日常の世界に引き戻されたような不思議な感じになります。皆さんの感覚はどうでしょうか?

「匂う」の発音を言語学的に考えると…
 「匂う」は仮名で「におう」と書くわけですから、元々の発音は[niou]です(もっと遡ると「ニフォフ」のような発音ですが、そこまでは考えないことにします)。『野菊』では、この[niou]を[nio:]に変化させた発音で歌うわけです。母音だけに注目すると、[ou]を[o:]に変化させるわけです。
 [ou]のような母音が2つ連続するものを「連母音」と言います。現代日本語の代表的な連母音は[ai][oi][ui][ei][ou]などです。たとえば[ai]は「少ない」に、[oi]は「太い」に、[ui]は「寒い」に、[ei]は「清心」に、[ou]は「往路」にそれぞれ含まれています。しかしこうした連母音は、1つの長い母音に融合して発音される傾向が見られます。発音を簡単にしようという意識によるものです。

「連母音」を融合して発音すると…
 「少ない」に含まれる連母音[ai]を[e:]に融合して発音すると「少ねー」になります。「少ない」と「少ねー」を比べてみましょう。融合した「少ねー」という発音には日常性やぞんざいさを感じないでしょうか。これに対し融合しない「少ない」には、発音の正しさや改まり性を感じるかもしれません。
 本学の略称「清心」も、日常の発音では、[ei]が[e:]に変化した「せーしん」ですが、就職活動の面接などで少し改まって発音すると、元に戻った「せいしん」となるかもしれません。
 こう考えると、融合していない元の発音の方が、きちんとした感じや改まった感じがするわけです。くずれる前の発音ですから、当然と言えば当然ですね。

なのに「おう[ou]」と「おー[o:]」の関係は…
 そうであるならば、「おう[ou]」とそこから変化した「おー[o:]」にも並行的な関係が見られていいはずです。つまり、「ニオウ花」はきちんとした発音であるのに対し、そこから変化した融合形の「ニオー花」にはぞんざいさや日常性が感じられるという違いです。しかし実際は、これまでと逆の関係になり、融合形の「ニオー花」の方が格調高く感じられます。もっとも、「往路」は今では「オーロ」という発音しかないわけですから、漢語名詞では問題になることがなく、「匂う」のような動詞(ワ行五段動詞)の連体形に限定して問題になる現象のようです。
 動詞「従う」も同様です。本学の学生であれば在学中に聴くかもしれない『聖歌』500番「御言葉(みことば)なる」の後半折り返しは、「げに主は/より頼みて/従ごう者を/恵み給わん」ですが、「従がう」ではなく「従ごー」と歌います。連母音の部分は[ou]ではなく[au]ですが、歌うときはやはり[o:]と発音するわけです。

昔の政治家の演説でも
 昔の政治家も、演説でこうした発音をよく使っていたようです。たとえば、小泉又次郎(1865-1951年)は、1937年(昭和12年)に行なった「理由ナキ解散」という演説の中で、「行うべきものであって」を「おこのーべきものであって」と発音しています。小泉又次郎だけでなく、昔の政治家の演説には、「おこのー」「したごー(従う)」という発音がよく聞かれます。今の政治家の演説でこうした発音を聞くことはめったにないので、おもに昔使われた格調高い発音ということなのかもしれません。
 いずれにしても、動詞ではいったいなぜこのような逆の関係になっているのか、謎です。
 言葉を注意深く観察すると、まだいろいろと謎がありそうです。
 高齢者になっても研究心は衰えません。皆さんもいっしょに言葉の謎に迫りましょう。


参考文献
金澤裕之・相澤正夫編(2015)『大正・昭和戦前期 政治 実業 文化 演説・講演集─ SP 盤レコード文字化資料』日外アソシエーツ *昔の演説等の録音文字化資料です。筆者も文字化の整備にたずさわりました。


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