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100th Anniversary

ノートルダム清心女子大学の原点
それはアメリカから岡山の地へ向かう
6名のシスターたちから始まった

来日直前の6名のシスター

100th Anniversary

どんな時代にあっても、
自立して生きていける人を育てています。

1924年、ナミュール・ノートルダム修道女会の6名のシスターたちが、明治時代に創立された女学校の経営を引き継ぐためにアメリカ合衆国から来岡しました。2024年は、それからちょうど100周年にあたります。苦難に満ちた戦争の時代を乗り越え、シスターたちは、修道女会の創立者聖ジュリー・ビリアートの教育理念と、キリスト教精神に基づくリベラル・アーツ大学を創設し、真の自由人の育成に力を注ぎました。
「私たちの大学の目的は、この国の全ての大学に通う女性に与えられた利点を欠くことなく、自由教育を実施していくことにあります。私たちの大学は、知性と道徳の面で学生を成長させる機会をつくることに力をいれます。と申すのは、知性と心は、あなたがたの将来の職業やいずれ参加することになる社会生活において適切な調和を育成するからです。」
この初代学長シスター・メリー・コスカの強い思いは、今も脈々と受け継がれています。どんな時代にあっても、自らの知性と心を働かせ、自立して生きていくことのできる人を育てる。それがこの学園の揺るぎないミッションなのです。

ナミュール・ノートルダム修道女会創立者
聖ジュリー・ビリアート(1751〜1816)

ナミュール・ノートルダム修道女会創立者
聖ジュリー・ビリアートの教育理念を、修道会第14代総長
シスター・メリー・リンスコットの言葉から紹介します。

第一 ジュリーは教育を一人ひとりの人間の社会における全人的な発達の過程と理解し、全人教育は他の人々との交わり、社会全体との交わりを持つことによってのみ得られるものと捉えました。
第二 教育を一つの人権と理解し、全ての人に施されるものであり、誰もその年齢、性別、人種の故に差別を受けてはならないと考えました。
第三 教育を人間の触れ合いに求め、教師と学生との関係を極めて大切と考え、それは互い同士の触れ合い、そして経験の分かち合いによって得られると理解しました。
第四 教育を開かれた一つのプロセスとみて、成長をさまたげない、絶えず生きている教育が、互いを理解し、尊重しあうために重要な要素だと考えました。

ノートルダム清心のリベラル・アーツ教育

liberal arts education

聖ジュリー・ビリアートの教育理念と、キリスト教精神にもとづくリベラル・アーツ教育を実践する本学では、教員と学生が、相互の触れ合いと経験の分かち合いをつうじて、互いを理解し、尊重しあう「生きたプロセス」として教育を捉えています。そのため、少人数教育により、学生と教員、学生同士のコミュニケーションを促進する環境を整えています。

ノートルダム清心のリベラル・アーツ教育とは、たんにその人の視野や可能性を広げるだけではなく、その生涯をかけて目指される「人格の完成=全人的統合」に向けて、一人ひとりの学生が自らを方向づけることを支え、助ける教育です。

わたしたちは、学問研究を通じて、また学生生活のなかでの様々な出会いの経験を通じて、一人ひとりがそれぞれの「本来的なわたし」を発見していくための「道」を提供していきます。

100年前から続く学びの伝統は、今の学生たちにも息づいています。

history

岡山に新しい女子教育を
― カトリック修道会による教育活動
  • 1886

    岡山市における最初の女学校「私立岡山女学校」創立、
    後に「清心高等女学校」と改名

    地域社会からの要請に応え、神戸からカトリック修道会「ショファイユの幼きイエズス修道会」のシスター2名が来岡し、
    私立岡山女学校(清心高等女学校の前身)の創設に参加。

  • 1924

    弓之町校舎

    ナミュール・ノートルダム修道女会が
    経営を引き継ぐ

    「ショファイユの幼きイエズス修道会」の宣教地区の変更に伴い、米国マサチューセッツ州ウォルサム管区のナミュール・ノートルダム修道女会から6名のシスターが来岡し、清心高等女学校を引き継ぐ。

  • 1929

    ノートルダムホール本館・東棟竣工。翌年、上伊福校舎に弓之町の旧校舎より
    移転完了(現ノートルダム清心女子大学キャンパス)

    苦難を乗り越えて

    日本が太平洋戦争に突入すると、アメリカ人シスターたちは「敵国人」扱いを受けることになりました。 日本の女子教育に生涯を捧げようと決意して来日していた彼女たちは広島県三次のキャンプに抑留されたのち、強制送還により、涙を呑んでアメリカに帰国しました。 このとき、残された3名の日本人シスターが教職員と協力して学校を守りました。

  • 1941

    太平洋戦争開戦

  • 1942

    三次キャンプに強制収容されたシスターたち

    シスター・メリー・コスカほか外国人
    シスターたち12名が広島県三次の
    キャンプに収容される。

  • 1943

    黒く塗られた校舎

    外国人シスターたちはアメリカに
    強制送還される。

    岡山清心女子専門学校を開設

    清心高等女学校の校長シスター・メリー・コスカはかねてから、戦火が激しくなれば東京などの大都市での女子の学習は難しくなるので、中四国地方に女子専門学校を設立したいという構想を抱いていました。学園経営にあたっていた日本人シスターを中心に教職員が尽力し、1944年に岡山清心女子専門学校を開校。これが現在のノートルダム清心女子大学の前身です。

  • 1944

    岡山清心女子専門学校を開設(物理化学科、保健科、被服科)

  • 1945

    戦中はまともな授業もおこなえず、
    学徒動員・勤労奉仕にかりだされた

    岡山空襲により、校舎は災禍を
    免れたものの、女専、高女の学生、
    生徒14名の尊い命が失われた。

    シスター・メリー・コスカの英断
    4年制大学を開学

    アメリカへの帰国を余儀なくされていたシスターたちが揃って帰校したのは、終戦後の1946年10月でした。帰校したシスターたちの活躍で、学園は本来の姿に立ち戻っていきました。当時の女子専門学校校長で、後に大学の初代学長となったシスター・メリー・コスカは、価値観の混乱していた戦後の社会にあって、アメリカの高等教育の現状をふまえ、確固とした信念と不動の人生観を育成する女子の全人教育のために、4年制大学の設立を決断しました。

  • 1949

    1949年大学創立当時の学園教職員

    ノートルダム清心女子大学開学
    学芸学部(英文学専攻・家政学専攻※)

    (※現 文学部英語英文学科、人間生活学部人間生活学科)

    地域に根ざし、社会に開かれたカトリック大学

    本学では、聖ジュリーの教育理念に基づいて教員養成に力を注いできました。1951年に教職課程を設置し、外国語(英語)、理科、家庭科の教員を養成。早くから夏季講座を開催するなど地域の教員の教育力向上に貢献してきました。

  • 1951

    家政学 第2回夏期講座

    2013年 生涯学習センター開設(セントヨゼフホール)

    新制大学移行後、教職課程設置

    1965年には、英文学科が中・高の英語教員を対象とした講座を開く。 1992年は、地域の方も受講できるNDSU公開講座を開設。 2013年には生涯学習センターを設置し、「清心フェリーチェ」講座として2024年現在も、キリスト教文化、インクルーシブ、SDGsをテーマとする講座を開設。

    時代とともに拡大・発展

    一学部で発進した本学は、急成長する社会の要請に応え、学部学科を増設、教育及び研究施設を拡充しました。

  • 1952

    学部の増設、研究施設の拡充

    1952年に、文学部(英文学科(現 英語英文学科)、国文学科(現 日本語日本文学科))、家政学部家政学科(現 人間生活学部人間生活学科)の2学部3学科となる。
    1964年 家政学部児童学科(現 人間生活学部児童学科)
    1965年 家政学部食品・栄養学科(現 人間生活学部食品栄養学科)
    2003年 文学部現代社会学科
    と学部学科が増設。その間にも、附属図書館、ジュリーホール落成や、1975年にキリスト教文化研究所が設けられるなど研究所・施設の充実もはかられた。

    世界に開かれたカトリック大学

    世界の5大陸にわたり教育活動を行っているナミュール・ノートルダム修道女会を設立母体とする本学は、 大学創立当初から、グローバル人材の育成に力を入れています。 国際性を一つの心の資質と捉えて、それを育むことを目的とし、 姉妹校や留学協定校への海外留学、マレーシア奉仕団などの海外ボランティア派遣などを行ってきました。

  • 1953

    第2回留学生渡米

    第1回留学生を送り出す

    1953年7月に第1回留学生1名がボストン大学にフルブライト渡航費奨学生の一員として渡米。翌年、1954年8月には、横浜港より氷川丸にて本学第2回留学生2名が渡米。
    1980年には、第1回マレーシア奉仕団が、「施設での奉仕活動を通じて、同じアジア人としての愛と共感のきずなを深め、併せて東南アジアの実情を直接見聞し、また現地の人々との交流によって国際親善の一躍をにない、国際理解を高める」 との目標のもと派遣された。
    1981年には、アメリカ合衆国トリニティ大学との学生交流制度を設け、以降、2024年現在、 姉妹大学、交流大学は全世界に11大学となる。

    教育理念の進化と深化—現代におけるリベラル・アーツ

    シスター来日から一世紀を経て、現代社会は急速なグローバル化・情報化が進み、日々激しく変化しています。
    こうした社会を生き抜いていくためには、開かれた世界を直視する力、そのために情報を適切に取捨選択する力、
    それらを有機的に統合する力、その上で課題を解決する力が必要とされています。
    こうした力をそなえた人材を育成するために、2学部2学科を増設、最新の学習環境を整えた新学棟を建設しました。
    本学の教育理念に基づき、現代社会に適応したリベラル・アーツ教育を提供するための様々な取り組みが続けられています。

  • 2024

    トリニティホール

    トリニティホール竣工

    これからの時代の要請にこたえ、地上7階建ての最新設備を備えた新学棟「トリニティホール」が竣工。 国内外の学生、教職員、研究者が集う交流の場を提供しています。

シスター来日100周年を迎える
100周年を節目に、国際文化学部と情報デザイン学部を開設

100年前に来岡したシスターたちは、学生がこれからの社会を生き抜いていけるよう、リベラル・アーツという手法をもって教育を行ないました。それから100年、今も本学の教育は学生がこれからの社会を生き抜いていけるようリベラル・アーツという手法による教育を続けています。

ナミュール・ノートルダム修道女会来日100周年を記念したミサにて、今までの100年への感謝とこれから先の未来への希望を祈りました。

シスター来日100周年主な記念事業

100th anniversary project