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日本語日本文学科

2007.08.01

中世の実隆に関連して思うこと|清水 教子|日文エッセイ46

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第46回】 2007年8月1日

中世の実隆に関連して思うこと
著者紹介
清水 教子 (しみず のりこ)
日本語学担当
語彙・文体を中心に、平安時代の公卿日記(変体漢文)を研究しています。また、室町末期の口語体のキリシタン資料にも関心があります。

実隆とは、三条西実隆(1455~1537)のことで、戦国期の公卿・文化人として知られています。
私の興味ある分野は、平安時代の公卿日記の語彙・文体です。藤原道長(966~1027)の『御堂関白記』(998~1021の記事)、藤原行成(972~1027)の『権記』(991~1011の記事)、藤原実資(957~1046)の『小右記』(982~1032の記事)の3文献を眺めています。3文献共に変体漢文です。実資が3人の中では最年長で、道長よりも9歳上、行成よりも15歳上です。3人共に、紫式部(970年代~1010年代)と同時代人です。まだ3文献の全語彙索引を完成させていないために、現時点では科学的なことは何も言えませんが、読んだ印象としては次のようになります。『御堂関白記』の文章は最も和文の要素が多く、『権記』の文章は漢文の要素が多く、『小右記』の文章は両者の中間に位置しているということです。これを実証するには索引作りが先決ですので、まだまだ先は遠いです。

ところで、実隆は上記3人に比べると、最も長生きした実資(数え年90歳)の死後409年、約4世紀も後に生まれた室町時代の人です。実隆(数え年83歳)も実資同様に長生きした人です。その変体漢文日記である『実隆公記』の記事は1474年から1536年まで、何と63年間、死の前年にまで及んでいます。『小右記』の記事は51年間ですので、12年間も上回っています。

そこで、思うことは、勿論強い意志が必要ですが、健康で長生きすれば、何か一仕事できるということです。研究者の端くれである私としては、この点は大いに見習いたいものです。現に、この岡山市内には、96歳の現役研究者(学者)が住んでいらっしゃいます。その年齢まで生きて研究が続けられれば、あとどのくらいあるでしょう(これは内緒です)。そう思うと、何だか希望が湧いてきませんか。とりわけ、10代・20代の方々は気が遠くなるほどでしょう。

上記平安時代の3日記と室町時代の1日記は、まずは共時的研究として個別に語彙体系を完成させます。次には通時的研究として、平安と室町の日記の語彙体系を比較します。そうすれば、時代を超えて、使用語彙の共通点や相違点が明らかになってくるはずです。遠大な研究計画ですので、「絵に描いた餅」になりかねません。建築家のガウディ並みの時間的長さが必要でしょうか。

実隆の文化人としての「すごさ」の一面は、読書量に現れています。『実隆公記 書名索引』(続群書類聚完成会 2000年)は、『実隆公記』に出てくる書名を集めたものです。私たちの知っている文学作品だけに限ってもみても、『万葉集』・『竹取物語』を初めとして、『太平記』・『新撰莵玖波集』まで、ざっと数えて43くらいの書名が載っています。圧倒される思いです。

最後に、『実隆公記』とジョアン・ロドリゲス(1561?~1633 ポルトガル人宣教師)の『日本大文典』(1604~1608刊行)に載っている諺を紹介しましょう。『実隆公記』の明応5年(1496)正月8日の記事は、『日本大文典』の記述よりも110年ほど早いものです。この諺は、「どこそこへ行く」という場合にどんな格助詞を用いるかの違いを示しています。即ち、京では何、筑紫(九州)では何、関東又は坂東では何をそれぞれ用いるかという、俚言の違いを示しています。次に示すように、『実隆公記』(A)と『ロドリゲス 日本大文典』(B)とでは、二つの助詞「に」と「へ」が逆になっています。この理由については、目下色々と想像を巡らしているところです。

A 「京ニ、ツクシへ、坂東サ」
       『実隆公記』 明応5年(1496)正月8日の記事
      (『実隆公記 巻三上』 153ページ 続群書類聚完成会 2000年)
B 「京へ、筑紫に、関東、又は、坂東さ。」 (408ページ)
  「京へ、筑紫に、坂東さ。」       (611ページ)
      (『ロドリゲス 日本大文典』 土井忠生訳 三省堂 1970年)

画像はいずれも、『惟清抄』(本学特殊文庫所蔵)
『惟清抄』は、三条西実隆の『伊勢物語』に関する講釈を清原宣賢が筆記したものです。
本学特殊文庫のページはこちら

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