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日本語日本文学科

2006.06.01

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」と映画「タイタニック」|山根 知子| 日文エッセイ32

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第32回】2006年6月1日

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」と映画「タイタニック」
著者紹介
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当
宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。

宮沢賢治は、岩手県内でも内陸部の花巻に生まれ育ち、幼少期には海を見たことがありませんでした。ようやく中学四年(16歳)の修学旅行で、北上川を川蒸気船で下り、石巻で初めて海を見ています。さらに賢治は、天候の思わしくないなかで石巻から船で太平洋に出る体験をした様子を、「船は海に出て巨濤は幾度か甲板を洗」ったと手紙で伝えています。それはちょうどタイタニック号沈没事件のニュースが日本国内にも飛び込んだ約一ヶ月後でした。このニュースを知っていた賢治は、タイタニック号で沈没した人々の心をまさに追体験する思いだったのではないかと思われます。

映画「タイタニック」が公開され世界的な大ヒットとなり、すでに十年近くたちますが、最近でもDVDの売り上げは上位を占めているようです。本学での宮沢賢治をとり扱った授業のなかでも、先日尋ねると、受講生の九割以上がこの映画を見たということでした。また、イギリスの豪華客船タイタニックが処女航海で沈没したというこの事件が史実であるという点について、映画を見た人なら大概知っているようでした。

しかしながら、一方の宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のなかに、同じく史実タイタニック号沈没事件をモデルとして書かれた場面があることを知っている人はほとんどいませんでした。

その場面とは、銀河鉄道に乗り込んできた青年たちがそれまでの経緯を話すなかで、自分たちが乗った船が氷山にぶつかって沈没して命を失い、天上に向かうための銀河鉄道に乗り込んだと語る場面です。この点がタイタニック号沈没事件をモデルとしていることについては、賢治研究者の間ではすでに知られていたことですが、私は史実と作品「銀河鉄道の夜」との関係についてさらに綿密に調べてゆくうちに、共通点、相違点をはじめ、賢治の思いなど様々なことが明らかにでき、この事件に対する賢治の深い思いがわかってきました(詳しくは拙著『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』朝文社)。

そもそも、この作品の主たるストーリーは、主人公ジョバンニが、親友カムパネルラと銀河をめぐる鉄道の旅をするということです。実は、ここにも実在の人物として妹トシが意識されており、賢治は最愛の妹トシ(有名な詩「永訣の朝」では「とし子」として描かれています)を亡くしたあと、トシの死後の魂のゆくえを探りたい、そしてその跡をたどりたいという切実な思いから、ジョバンニ(賢治)が、この世での死を迎えて天上まで赴くカムパネルラ(トシ)の銀河鉄道の旅に、夢のなかで同行するというストーリーが作られたのだといえます。さらにそこに乗り込んできた死者として、先の沈没船によって命を落とした青年家庭教師と「かほる」「ただし」という子どもたちが登場するのです。

一、主よ、みもとに 近づかん、のぼるみちは
十字架に ありともなど
悲しむべき、主よ、みもとに 近づかん
五、うつし世をば はなれて、天かける日
きたらば いよよちかく
みもとにゆき、主のみかおを あおぎみん

これは、沈みゆく船のなかで青年たちみなが歌った讃美歌の歌詞の一部です。先日、大学内の聖堂(チャペル)で行われた追悼ミサでも歌われ、心に迫ってくるものを感じました。

この讃美歌が、実際タイタニック号の沈没がはじまり沈むまでの間に楽士たちによって演奏され、皆が唱和したことは、当時の日本の新聞記事にも書かれています。映画「タイタニック」でも、楽士たちの最後の演奏がこの曲でなされ、深い余韻を響かせています。賢治は「銀河鉄道の夜」のなかで、この場面についてさらに「みんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました」と書き、死にゆく覚悟をした人たちが、この讃美歌を各国語で歌いながら、国籍や階級を超えて心を一つにしていったことを描いています。

「なにがしあわせかわからないのです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

これは、あらゆる迷いの感情に揺れながらも自らの信念のうちに行動した青年の話を聞いて、なぐさめの声をかけた燈台守の言葉です。

「ただしいみちを進む中でのできごとなら」、たとえそれがどんなに大きな苦しみやつらいことであっても、それはみんな「ほんとうの幸福」のための一歩であると考えることで、賢治は次の世に旅立ったトシの思いもそうであろうことを願い、賢治自身も生きる力を得ていったのだと思われてなりません。またそれは、これからさまざまな試練を経験する私たちの心にも、それらを乗り越えてゆく力を与えてくれる言葉でもあると思われます。

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