• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2005.12.01

秋の月、そして冬の月の発見|片岡 智子|日文エッセイ26

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第26回】2005年12月1日

秋の月、そして冬の月の発見

著者紹介
片岡 智子 (かたおか ともこ)
古典文学(平安)・日本文化史担当
文学と文化史の観点から古代文学、主に和歌を研究しています。
 
はじめに
春は桜の花で、秋は紅葉というように、二十一世紀になっても私たちはそれぞれの季節の風物を愛でる心を持っています。このように季節を賞美する心情は、日本の詩歌、主に和歌によって育まれてきました。それは『万葉集』の後期あたりから始まり、やがて平安時代になり十世紀初頭には確立されたといえましょう。

ちなみに延喜五年(905)頃に成立した第一勅撰和歌集の『古今和歌集』では、歌を季節によって分類する「春」「夏」「秋」「冬」の部立てが登場します。いわゆる四季歌の誕生に他なりません。世界中の抒情詩に共通するテーマは恋です。もちろん『古今集』にも「恋」の部立てが一から五まであり、三六〇首もの恋歌があります。けれど、四季歌もそれとほぼ同数の三四二首が入集しているのです。

このように季節によってもたらされる感動を一首の主題としたということこそ、日本の詩歌の特徴と捉えることができます。冒頭で述べた現在でも愛され続けている桜と紅葉は、すでに『古今集』の春歌と秋歌において盛んに詠まれ、それぞれの季節美を表したものだったのです。

『古今集』の秋の月
ところで、桜は春のもの、紅葉は秋のものというように季節がほぼ限定されますが、月は必ずしもそうではありません。それは月が春夏秋冬のいずれの季節にも、月ごとに満ち欠けを繰り返しながら出るものだから、当然といえば当然です。しかし、それにもかかわらず『古今集』において月といえば、やはり秋の月ということになっています。

『古今集』の四季歌において「月」あるいは「月影」が詠み込まれた歌は全部で一一首みられ、そのうちの八首が秋の歌なのです。とくに秋歌上に最初に登場する一八四番歌では、

木(こ)の間(ま)よりもりくる月の影(かげ)みれば心づくしの秋はきにけり

と詠われているように、初秋の月の光が悲しい思いの限りを尽くす秋という季節の到来を告知するものとなっています。

そして秋の月の歌は、一九〇番から連続して五首登場します。すでに明らかにされているように『古今集』の特に四季歌は、時間的推移に伴って構成されています。したがって、構成上からも、それらの月の歌が丁度、中秋の頃の月であろうと見做すことができます。

白雲に羽(はね)うちかはしとぶ雁(かり)のかずさへ見ゆる秋のよの月

さ夜中(なか)と夜(よ)はふけぬらし雁(かり)が音(ね)のきこゆる空(そら)に月わたるみゆ

一首目は、白雲の浮かぶ大空に羽を動かしながら飛ぶ雁の数までが見える明るい秋の夜の月が、二首目は、真夜中といえるほどに夜は更けて、雁の鳴き声が聞こえるその空を渡っていく月が大らかに詠われています。このように月といえば秋の夜のものであり、この他の三首や最後の秋歌下の一首でも秋の月特有の悲しさや明るさが捉えられているのです。
 
夏、冬、そして春の月
一方、夏の月の歌は一首だけで、「月の面(おも)白(しろ)かりける夜、あか月方(がた)に、よめる」という詞書とともに『古今集』に入集しています。

夏の夜はまだよゐながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ

この一六六番歌は深(ふか)養父(やぶ)の歌で、夏の月を愛でることは個性的なことだったに違いありません。そして、この歌が『古今集』に取り上げられたことによって、典型的な秋の月の美しさとは異なる夏の月の風情が公認されたことを示しています。夏の短夜の月もなかなか風流です。

それに対して、冬の月は二首の歌に詠み込まれていますが、いずれもいまだ一首の主題にはなり得ていません。三一六番歌において、

大空(おほぞら)の月のひかりし清(きよ)ければ影みし水ぞまづこほりける

冷たく冴えわたる月光が水を凍らせるものとして用いられています。このような発想は漢詩にみられることがすでに指摘されており、冬の月光への着目が、漢詩によって促されたものだということが分かります。

また、次の三三二番歌では「大和国(やまとのくに)にまかれりける時に、雪の降(ふ)りけるを見て、よめる」と詞書にあるように、雪が主題となっています。

あさぼらけ有明(ありあけ)の月と見るまでによしのの里(さと)にふれる白雪

この歌では、夜明けがたの雪が有明の月かと見立てられています。雪を月に見立てる表現も漢詩に学んだもので、冬の月が間接的ではあるものの、認められ始めた兆候として捉えられるでしょうか。しかし、古今時代には、冬の月が正面から賞美されることはなかったのです。

なお、春の月は、四季歌にはないものの恋歌にみられます。『古今集』には「月」や「月影」が詠み込まれた歌が恋歌に一七首もあります。恋歌に詠まれた月には、ほとんど季節性はみられません。けれど、恋五の巻頭にはっきり春の月と分かる歌が登場します。それは在原業平の歌であり、『伊勢物語』四段の歌としてもあまりに有名です。

月やあらぬ春や昔の春(はる)ならぬわが身ひとつはもとの身にして

ここで月は春と同じく変わるものとして、恋し続ける変わらぬ我が身と対照的に表現されており、一首の主題にはなっていません。けれど、詞書に「又の年(とし)の春(はる)、梅(むめ)の花盛(さか)りに、月の面(おも)白(しろ)かりける夜」とあるように、春の夜の月は梅の花とともに美しいものとして捉えられていたことが分かります。王朝において春の朧月は、浪漫的、物語的なイメージを伴うものとして称揚されていたといえるでしょう。
 
おわりに
さて、冬の月の美の発見は、『古今集』から約百年後を待たなければなりません。その先鞭をつけたのが、第三勅撰和歌集である『拾遺和歌集』の一一四六番歌でした。作者はあの夏の月を詠んだ深養父の孫で、『枕草子』を書いた清少納言の父である清原元輔です。

その詞書にも「高岳相如(たかをかすけゆき)が家に、冬の夜の月おもしろう侍(はべり)ける夜まかりて」とあるように、はっきりと冬の月の良さが述べてあり、

いざかくてをり明かしてん冬の月春の花にも劣らざりけり

歌にも下句で、春の花に劣らず冬の月は美しいと明快に評価しています。あたかも新しい美意識を開拓したのだと宣言しているようです。

この後、冬の月は、『源氏物語』の「若菜 下」の巻において「冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば」と書かれ、四十六歳の光源氏によって賞美されるものとして登場してきます。そこで「人に違ひて」といわれていることから、冬の月の美が一般的ではないことが窺えます。


このような『源氏物語』における冬の月については、詳しくはまた別の機会に述べたいと思います。
とりあえず、ここでは『古今和歌集』の四季歌における月の季節美が秋の月として定立され、ついには冬の月の美しさの発見にまで及んだことを辿ってみました。あなたは、どの季節の月がお好きですか。

日本語日本文学科
日本語日本文学科(ブログ)

一覧にもどる