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日本語日本文学科

2005.03.01

棹のしづくも花ぞ散りける|工藤 進思郎|日文エッセイ17

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第17回】2005年3月1日

棹のしづくも花ぞ散りける

著者紹介
工藤 進思郎 (くどう しんじろう)
古典文学(平安)担当
『源氏物語』を中心に、平安時代の物語・日記文学を研究しています。

王朝絵巻さながらに華麗典雅な遊宴の場面が、『源氏物語』にはしばしば描かれている。その中でも、第二十四帖「胡蝶」の巻における六条院春の御殿(辰巳の町)の舟遊び、管絃の遊びと、それに続く秋の御殿(未申の町)での季の御読経の場面は、まさに圧巻と言ってよい。光源氏三十六歳の三月二十余日、お隣の秋の御殿の女房たちが舟に乗って春の御殿にやって来る。中宮の里邸である秋の御殿と、光源氏・紫の上の住む春の御殿との間には、隔ての関に見立てた小さな作り山が設けてあるけれども、庭続きになっていて、それぞれ前庭に掘られた池もつながっていたらしい。

中宮の女房たちは、春の御殿の池に浮かぶ龍頭鷁首の船の、華やかな唐風仕立ての装いに目を奪われたばかりではない。緑を増した青柳、遅咲きの桜、満開の藤、池に影を映す山吹など、春の御殿の庭を彩る花々に感嘆の声をあげ、時の経つのも忘れて口々に和歌を詠み合った。その一首に、

春の日のうららにさしてゆく舟の棹のしづくも花ぞ散りける

というのがある。古語辞典によれば、「うらら」は「うらうら」の語根に接尾語「ら」が付いた形で、「うららか」に同じとされている。他に用例の少ない言葉ではあるが、春の日の明るさ、のどけさを印象づける歌語として、その語調もまた快い。

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 舟人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめを何に たとうべき

これは武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲の唱歌「花」(明治三十三年)の第一連で、「胡蝶」の巻の舟遊びの場面を踏まえ、「春の日のうららにさして」の和歌を取り入れて成ったものとされる(玉上琢弥『源氏物語評釈』)。そう言えば、続く第二連の「われにもの言う桜木」や「われさしまねく青柳」もまた、『源氏物語』の同じ場面から想を得た詩句のように思われてならない。

こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬにほひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほゑみ、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。まして池に影をうつしたる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。

このあと、「胡蝶」の巻では夜の訪れとともに篝火が灯され、雅楽寮の楽人たちに招待客の親王・上達部たちも加わって、夜もすがら管絃の遊びが催される。「花」の第三連に、「おぼろ月」に浮かび出た「錦おりなす長堤」の夜桜が歌われているのも、なるほどと頷けるというわけである。

このように今も多くの人々に愛唱されている「花」の歌詞に、『源氏物語』のみやびの世界が息づいているのは、はなはだ興味深い。念のため「花」の第二連・三連を掲げておこう。

見ずやあけぼの 露あびて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳を
錦おりなす 長堤に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとうべき

今年もやがて春爛漫の季節がめぐって来る。わが携帯の着メロは、一足早く「花」に切り替えてある。

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