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日本語日本文学科

2004.12.01

王朝の「さし入れ」|片岡 智子|日文エッセイ14

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第14回】2004年12月1日

王朝の「さし入れ」
著者紹介
片岡 智子 (かたおか ともこ)
古典文学(平安)・日本文化史担当
文学と文化史の観点から古代文学、主に和歌を研究しています。
 
はじめに
「さし入れ」というと、何を連想しますか。学生時代にクラブ活動の合宿中に先輩からの差し入れで大喜びしたことを思い出す人も多いのではないでしょうか。このように現代の「さし入れ」は、動詞にも名詞にもなって、誰かに外部から励ましの心を込めたものを贈ること、あるいは贈られる物そのものを表すことになっています。思いがけない差し入れで、疲れも吹っ飛び、元気が出てくるとともに、差し入れてくれた人との心の通い合いが生まれてきます。逆に心が通い合ったから、元気が出てくるのだと言った方がいいかもしれません。「さし入れ」は、日本人らしい心遣いであり、コミュニケーションの方法でもあるのです。

そのような「さし入れ」は、何も現代に限られたことではありません。けれど時代が変わると、差し入れる場合も差し入れられる物も変化します。平安時代の「さし入れ」は、どのようなものだったのでしょうか。
 
「王朝」と文化
ところで、平安朝は、「王朝」と言われることがありますが、この「王朝」は、世界史でよく出てくる「王朝」の意味ではありません。日本文学における「王朝」とは、平安朝の摂関政治がなされた貴族文化の時代を意味する国文学特有の用語なのです。このような意味で「王朝」という言葉を専門的に用いたのは、日本文学を民俗学の観点から独自に究めた折口信夫という国文学者だと言われています。今では平安時代の文化的特徴を表したいと意図する場合に、しばしば使われることになりました。例えば、「王朝文学」といえば、単に「平安文学」というよりも、貴族文化から生み出されたというニュアンスが加わった言い方になります。

なんだかその方が良さそうだと気分的に用いられることも多いのですが、平安時代の「さし入れ」は、平安貴族の生活文化から生まれて来たものに他なりません。そこで、ここでは多少意識して平安の貴族文化の意味が込められた「王朝」という時代名を使うことにしました。

さて、王朝文学の代表といえば、誰もが真っ先に『源氏物語』を思い浮かべることでしょう。あまりに著名で、月並みでさえあるのですが、王朝の典型的な「さし入れ」も、『源氏物語』にみられます。『源氏物語』では、いまだ名詞にはなっていません。けれど動詞として、いかにも王朝らしい「さし入れ」が「藤袴」の巻に登場します。そもそも巻名となっている「藤袴」そのものが、差し入れられた物なのです。どうやらそれは、平安貴族の男女の人間模様と住宅事情、さらに季節感や美意識が反映されたもののようです。
 
フジバカマの差し入れ
ご存じのように王朝の高貴な女性との男性の対面は、なかなか容易ではありません。やっと室内に入れてもらえたとしても、御簾ごしに対面します。そこで、男君は御簾を隔てた女君と心を通わすために、自分の心を託した物を御簾の中に文字通り差し入れるのです。差し入れられる物は季節にふさわしい花や木であることが多く、それは御簾ごしの王朝の挨拶の仕方、マナーだったと言っても過言ではありません。

『源氏物語』では、そのような「さし入れ」を巧みに導入して物語を構成しています。それが「藤袴」なのです。「藤袴」の巻は、『源氏物語』の二十九番目の巻で、六条院で源氏の養女となっている玉鬘が宮中出仕を前に自分の将来を思い悩んでいるところから始まります。そのような玉鬘のところに夕霧が父源氏の使いとして帝の意向を伝えるために訪ねて来るのですが、その時夕霧が携えていたのが秋の七草の一種であるフジバカマでした。フジバカマは、別名「らに(蘭)」と言います。

かかるついでにやと思ひよりけむ、らにの花のいとおもしろきを持(も)たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、夕霧は御簾の端からフジバカマを差し入れて、こともあろうに玉鬘に自分の恋心を伝えようとします。

「これも御覧ずべきゆゑはありけり。」とてとみにもゆるさで持たまへれば、うつたへに思ひもよらで取りたまふ御袖を引き動かしたり。
普通ならそのまま相手に思いを託して手渡すだけなのに、夕霧は「これも御覧になる理由がありますよ」といいながら、フジバカマを受け取ろうとした玉鬘の袖を捉えてお引きになるのです。差し入れられた物を受け取ろうとした相手の袖をすかさず掴むなどとは、これは、「さし入れ」のルール違反です。

そして、夕霧は玉鬘の袖を引きながら、歌によって胸中の恋慕の情を吐露します。思いがけない夕霧の行動と思いに困惑して、玉鬘は気味悪い心地になりながら、そっと奥に身を退けることになります。夕霧は父の光源氏のように風流な「色好み」の人ではなく、「まめ人」と称される真面目な人でした。作者、紫式部は、フジバカマの差し入れによって、まめ人夕霧の唐突で不器用な恋愛行動を巧みに表現していると言えるでしょう。
 
おわりに
このように王朝の「さし入れ」は、御簾を隔てた、いまだ直接に相見たことのない相手とのコミュニケーションを可能にする優雅な手段でした。そこで差し入れられる物は、時々の季節の花や木でしたが、さらにそれらが歌語であったことを忘れてはなりません。歌語、あるいは歌ことばとは、和歌に用いられた言葉ということです。つまり、差し入れられる物は、言い換えれば、和歌にも詠まれた詩的な物であったということです。

「藤袴」も王朝の第一勅撰集である『古今和歌集』の歌語でした。王朝の「さし入れ」は、和歌によって培われた美意識によって裏付けられたものであり、それによって実現される美的行為だったのです。現代の「さし入れ」とは、ずいぶん異なるようですが、季節感を大切にする心遣いは、現代にも通ずるものがあります。また、相手とのコミュニケーションを美しく、細やかにしようとする配慮は、受け継がれるべきものではないでしょうか。

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