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日本語日本文学科

2011.07.01

日本の近代文学と宗教|綾目 広治|日文エッセイ93

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第93回】2011年7月1日

日本の近代文学と宗教
著者紹介
綾目 広治(あやめ ひろはる)
近代文学担当
昭和~現代の文学を、歴史、社会、思想などの幅広い視野から読み解きます。
 
〈自殺行為の補陀落渡海(ふだらくとかい)〉
作家の井上靖に「補陀落渡海記」という短編小説があります。これは伝説として伝わっている僧侶金光坊の話をもとにして書かれた小説です。補陀落渡海とは、観音菩薩が住んでいるとされる補陀落浄土―南海の彼方にあると考えられていました―に行くことです。これは、生きながら浄土に行くのですから、仏に仕える身としては願ってもない幸せなことです。建前としてはそうであります。しかしながら、浄土への渡海とは言え、僅(わず)かな食糧だけを持って小さな一人乗りの舟に乗って大海に出て行くのですから、実際には途中で転覆(てんぷく)して水死するか、あるいは餓死することになる自殺行為でした。それにもかかわらず、この補陀落渡海に、紀州の補陀落寺や他の太平洋側にある寺、さらには日本海側の寺からも何人もの僧侶が試みていて、渡海のピークは十六、十七世紀だったようです。
 
〈井上靖の宗教観〉
「補陀落渡海記」では、住職が三代続けて六十一歳で渡海を試みていた那智の補陀落寺の、その現住職である金光坊の苦悩が描かれています。金光坊は、いずれ自分も年老いてから渡海せざるを得ないと決心していたものの、六十一歳はまだ早いと思っていました。むしろ六十一歳の渡海の日が近づくにつれ、生きていることの喜びを改めて実感するようにもなります。しかし、渡海を期待する周囲の圧迫から、生への執着を捨てきれない金光坊も厭々ながら舟に乗らざるを得なくなり、結局は渡海させられることになりました。人間を救うはずの宗教が、逆に人間を苦しめているわけで、おそらく作者の井上靖は、宗教は極端な教理や突き詰めた信仰によって、現世を否定したり人間に過酷なことを強いるような過激なものであるべきではなく、死者の霊を慰め、また生きている人間にも慰めと励ましを与えるようなものでいいのだというテーマを、この小説に込めていたと思われます。

〈現代作家と宗教〉
岡山出身の小説家に小川洋子がいますが、おそらく小川洋子は井上靖の考え方に同意するのではないかと思われます。小川洋子は金光教の信者ですが、小川洋子はエッセイ「祈りながら書く」で、「金光教を捨て去るのは不可能だと気づいた。わざわざそんなことをする必要などない、という表現の方が適切だろうか」と述べています。「精神を支える背骨としての金光教」ということを語っているのも、宗教は人がこの世で生きていく上での一つの拠り所になってくれるものでいい、と考えているからでしょう。別言すれば、それ以上のものを宗教に求めることはしない、という考え方とも言えましょうか。

その一方で、宗教に社会変革の可能性を見ようとする文学者もいます。たとえば戦後派作家の野間宏は親鸞の教えにその可能性を見ようとしました。親鸞の有名な悪人正機説に言われている悪人とは、道徳的な意味での悪人という意味もありますが、その意味合いよりも悪を犯さなければ生きていけない人々のことを指していると考えるべきだという見解があります。悪人正機説の核心的な意味は、そこにあるとする考え方です。当時の「悪人」という言葉は、賤視(せんし)されていた被差別民の蔑称でもあったのです。つまり親鸞にとって、阿弥陀仏の救済の対象とはそういう人々であったのだ、と野間宏は語っています。これは、反差別の社会変革者としての親鸞像です。
 
〈二十一世紀の宗教と文学〉
おそらく二一世紀は新たに宗教の時代なのではないかと思われます。少なくとも文学も宗教との関わりを問い詰めていかなければならないでしょう。これまでにも、たとえば椎名麟三(しいな りんぞう)、遠藤周作とキリスト教の関係、倉田百三や武田泰淳(たけだ たいじゅん)と仏教との関係などについて論じられてきましたが、これからはそれ以外の作家たちと宗教との関係を考えていく必要があるでしょう。その場合、宗教というものを狭く捉えるのではなく、広く捉え直さなければならないと思われます。私たちが意識していない考え方や行為に、意外に宗教の影響を見ることができるからです。

日本語日本文学科で文学と宗教との関係、その問題をいっしょに考えてみませんか。

画像は、『井上靖全集 第六巻』表紙(井上靖、新潮社)

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