• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2012.11.01

「普通に」という言葉 ―「若者言葉」という前に―|星野 佳 之|日文エッセイ109

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

星野 佳之 (日本語学担当)
古代語・現代語の意味・文法的分野を研究しています。
 
 今年度は、例年以上に近隣の高校生諸君に話をさせてもらう機会が多い。多くが「文学部」とは何を学ぶところなのか、或いは「語学」とはどのような学問であるかの説明を依頼されてのもので、具体的なイメージを持つお手伝いができればと、お声がかかればできる限り伺うようにしている。
 そうした「出張講義」で、今年度よく取り上げているのが「普通に」という言葉である。教室で聞いてみると、いわゆる「若者言葉」だと特に自覚しない生徒諸君が多く、それだけ既に浸透しているのだと実感させられるが、例えば新聞にも「普通においしい、というのは、すごくおいしい!という意味ですよ」と解説されて、「日本語は変わったのか?」と驚くコラムが掲載されたりする(「牧太郎の大きな声では言えないが...」毎日新聞2011年1月25日)ように、これは新しい用法である。

「牧太郎の大きな声では言えないが...」毎日新聞2011年1月25日

「牧太郎の大きな声では言えないが...」毎日新聞2011年1月25日

 もちろん「普通(に/の)」という言い方の全てが新しいのではなくて、同じ形でも
   〇 普通に 歩く。  〇 普通の 人。 ... A
などの、「運動や物の様」を形容する用法は、それこそ"普通の"用法と受け取られるであろう。一方で(一部の世代・人々に)違和感を以て受け止められるのは、上のコラムにもあるような
   ? 普通に おいしい/楽しい。     ... B
など、"どのくらい"おいしい/楽しいかという、様の「程度」を表す用法の場合である。
 しかし、「前にはなかった」ということはともかく、この用法はそんなに不思議な表現であろうか。
 「普通に」の「程度用法」(B)に違和感があるとして、では他の"オーソドックスな"「程度」の表現を思い起こしてみよう。「とても/かなり/ちょっと...」と並んで、「非常(に)」や、少し俗な感じがするかもしれないが「異様(に)」というのも、私たちは使う。
   〇 非常に おいしい/楽しい。
   〇 異様に おいしい/楽しい。

この「非常/異様」は、運動や物の様を形容する用法(A)も持っている。
   〇 非常の 場合はこのボタンを押してください。
   〇 異様な 格好

このことを踏まえて「普通」に立ち戻れば、元はAしか持っていなかった「普通」が、最近になってBも併せ持つようになったと整理できるわけだが、私たちは既にA・B両方を併せ持つ「非常/異様」という語を持っていたのだから、この状況は新しくはあっても、我々にとって未知ではない。そんなに不思議な表現であろうか、と問う所以である。
 むしろ考えるべきなのは、「普通」という中立的な表現が、「まずまず/それなり/そこそこ」などの類義語になるのではなくて、ポジティブな意味合いを獲得したことであろう。これは言葉そのものより、優れて私たちの社会の問題ではないか。どの時代もそれを生きる人々にとってやさしいばかりではなかろうが、それでも現代は控えめに言ってなお相当に多難である。2000年代に入ってからだけでも、9.11同時多発テロや複数の無差別殺傷事件、そして東日本大震災と、文字通り"想定を超える"出来事の連続を私たちは生きてきた。その中で、従来の標準を超えることに着目する「非常に(おいしい)」式の「程度」表現の横に、標準的であることを良しとした「普通に(おいしい)」という表現が生まれたことに、私はさほど驚きを感じない。少なくともこの用法を生み出すに際して従来にない方法がとられた訳ではないから、「日本語は変わったのか?」と言われれば、変わったのは日本語ではなく、社会とそれを眺める私たちの気持ちの方であると言った方が、実態に近いのではないだろうか。
 高校でこの後付け足すことがある。私たちは"新用法"にはとても敏感で、だから気に入って多用する人も、耳障りだと眉をひそめる人もいる。その是非について私の立場から言うことはない。ただ、どちらの人々も"旧用法"の方に頓着することはあまりない。「普通」にしても、上のAとBの他、従来からある別のCとも言うべき用法を認識している人は、一般には多くないのではないかと思う。
 Aの用法は、上にも述べたように「運動や物の様を形容する」用法であった。では、次の例はAだろうか。
   〇 普通 席を譲るものだ。
この文は「席を譲る様」についての注意ではない。また、Aの「普通に」の文を「普通 」に置き換えると通常おかしなことになる。
   〇 (ふざけている子供に)普通に 歩きなさい!
     × 普通  歩きなさい!

「普通に」ならぬ「普通 」は、「運動や物の様」そのものを描写してはいない。「席を譲る」ということがら全体に対して話し手が持つ、「当たり前だ、おかしくない」といった「評価」を表しているのだ。
   〇普通  そんなこと言いますか?
というのは、「『そんなことを言う』ことについて"普通"だと評価しているのか?」という問いである。これはAでもBでもない。
 新しくやってきたものは確かに目をひく。しかし足許にも、たいていの場合気づいていない何かが転がっているものだ。

一覧にもどる