• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

人間生活学科

2015.03.01

岡山・香川で「オカガワ国」の独立を宣言したらどうなる?|葛生栄二郎|人間関係学研究室

Twitter

Facebook

人間生活学科

現在、世界で問題になっている組織は国家の樹立を宣言し、「○○国」と名乗っています。でも、いろいろなニュースに接してみると、「これって国なんですか?」という素朴な疑問が沸いてくるかもしれませんね。そこで今日は、ちょっと生々しい話は避けて、そもそも「国家」と呼ばれる条件とは何かということについて考えてみたいと思います。これ、とりあえずは国際法とか政治学とかの問題なんですが、よくよく考えてみると、どうもそれだけではない深~い問題なのです。

 たとえば、岡山県と香川県が一方的に日本国からの独立を宣言して、「オカガワ国」を樹立したとしましょう。もし、十分に統治できるだけの力があって、しかも住民の大半が独立に賛成しているならば、オカガワ国は形式的には国家の条件をそろえていると考えられます。国際慣習法上、領土があって、領民がいて、ちゃんと統治できる仕組み(実効支配)があれば、形式的条件はOKと考えられているからです。ただし、大変なのは次のステップ、各国からの承認(国家承認)を得なければなりません。A国はオカガワ国を承認しても、B国は承認しないということが起こりうるのです(実際、こういうケースはいくらでもある)。この場合、A国にとってはオカガワは国家だけれども、B国にとってはそうではないということになりますよね。国際的には、かなり不安定な立場になります。「独立したいって言ってるんだから、させてあげればいいじゃん」と思うかもしれませんが、事はそう簡単には行かないのです。国際法上の主権国家には様々な特権が認められているからです。たとえば、その国の領土内の資源を自由に使用したり、他国に売ったりすることができる(国際資源特権)とか、他国から勝手に借金して、そのツケを国民に払わせることができる(国際借款特権)とか、とにかく、ひとたび国家として承認されれば、ものすごいパワーをゲットできる。というわけで、権力者はなかなか権力を手放さないし、母国はそう簡単に国内の独立を認めないのです。

 オカガワの国家承認がA国とB国でバラついてしまうのは困るので、いっそ、客観的・形式的な条件さえ整っていれば一律に承認したらどうかという意見もあるかもしれません。ところが、(ここからが重要、)現在、国家と認められるためには、形式的な条件だけではなく、最低限の人権を保障する体制を持っていること、これを実質的な条件にしようじゃないかという考え方が急速に拡まっているのです。もちろん、世界人権宣言や国際人権規約などのように、人権保障は国家の責務だという考え方が普遍化したこともありますが、それ以上に、そもそも国家とは人権を保障するために存在する機関だと考えられるからです。「人権なくして主権なし」これが、現在、浸透しているスローガン。オカガワ国が一方的に国家の樹立を宣言しても、このスローガンに応えられるかどうかが問われるでしょう。

 さて、最後の点は、法や政治の問題であるとともに、社会倫理の問題でもありますよね。現在の国際情勢は他にも様々な社会倫理上の問題を問いかけています。わたしたちはイスラム教を正しく理解しているだろうか、危険地帯に入ることは自己責任なのか、日本の貢献のあり方は何かなどなど。社会倫理学のゼミでは、こうした問題をともに考えています。

一覧にもどる