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人間生活学科

2016.05.01

幸福の町オメラス|葛生栄二郎|人間関係学研究室

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人間生活学科

もう、かれこれ30年以上前のこと。イタリアの、とある街の修道院を訪ねたことがあります。その修道院の印象は実に鮮烈で、今でも忘れることができません。修道院は地下にあるのです。しかも、ずいぶんと深い地下で、階段を降り切ったところにあるホールは全体が薄暗い場所でした。そして、何より驚いたのは、その地下のホールには鉄格子があって、この鉄格子によって俗界と修道院とが厳格に仕切られていたのです。鉄格子の向こうにいるシスターたち(女子修道院だった)に話しかけても、応えは返ってきません。ここは生涯沈黙を守る黙想修道会なのです。

 これが修行というものなのだろうが、たぶんこの生活は牢獄よりも過酷だ、と私などは思ってしまうのですが、この修道院のシスターたちは街の人々から深い尊敬を受けているのです。街の人々は本気でこう信じているからです。「この街はシスターたちの祈りによって守られている。これまで街が様々な災いから免れることができたのも、ひとえに彼女たちの祈りのお陰だ」と。かくして、彼女たちは街の平安のために一生涯、地下で祈り続けるのが仕事なのでした。

 ところで、マイケル・サンデルの本(『これからの「正義」の話をしよう』)に、似たようなお話が載せられています。それは「オメラス」という名の町を舞台にした短編小説で、舞台のオメラスは考えうる限り、最高に幸福な町だという設定になっています。国王も奴隷もなく、広告も株式市場もない。もちろん爆弾もない。平和と繁栄の町です。ただ、この町の豊かさは一人の子どもによって支えられているというのです。

地下室にいる子ども

地下室にいる子ども

その子は地下室の鍵のかかった部屋でたった独りで暮らしています。知的な障がいを持っていますが、誰もケアする者はなく、悲惨な状態。しかし、その子がその部屋にいることによって、オメラスの繁栄、美しさ、人々の健康など、ありとあらゆる幸福は保たれており、もしその子が部屋を出てしまえば、すべての幸福は失われてしまうのだというのです。オメラスの人々はみんなそれを知っているのでした。

 さて、ここからが倫理学の問い。もし、あなたがオメラスの住人だったとしたら、町の幸福を失ってでもこの子を救うべきだと考えるでしょうか。それとも、地下室の障がい児はやむを得ぬ犠牲だと考えるでしょうか。修道院のシスターたちのように、みずから献身して地下にこもっているのならともかく、この子のように、本人の選択によらないとしたらどうでしょうか。

 この問題は、一見、単なる空想のように思えるかもしれませんが、実は、意外に現実的な問題なのです。というのも、現代社会の政治は、「最大多数の最大幸福」という功利主義の原理に基づいて決定されることがむしろ普通で、私たちの生活の豊かさは「不可視の地下室」のうえで営まれていることがすこぶる多いからです。もっと言えば、世界の一握りの国の豊かさは圧倒的多数の国々を地下室に閉じ込めることによって成り立っていると言ってもいいかもしれません。せっかくのハッピーな大学生活に水を差すようなことを言うなと言われるかもしれませんが、私たちの生活の地下にどんな部屋があるのか、覗いてみることも大切なのではないでしょうか。

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