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現代社会学科

2015.01.01

雍正帝即位の謎:学科の紹介【9】

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現代社会学科

学科ダイアリー

雍正帝即位の謎

鈴木真准教授
「教員紹介」ページへ

 近年日本でも,アジアの時代劇が数多く放映されるようになりました。とりわけここ数年は,満洲人が建てた清朝(大清帝国,1636~1912)を舞台とした,いわゆる"辮髪(べんぱつ)モノ"の中国ドラマを目にする機会が増えています。

 こうした辮髪モノで,康熙(こうき)~雍正(ようせい)年間を背景に,皇宮である紫禁城(しきんじょう)を舞台とした場合,たいてい描かれるのが,第五代皇帝・雍正帝(在位1722~1735)の即位にまつわる事件です。雍正帝(即位以前は雍親王)は,公式には,病床の父・康熙帝の遺命を受けて皇位を継承したことになっています。それに対して娯楽作品であるドラマでは,雍正帝が陰謀的な手段で即位したことを匂わすような,意味ありげな(あるいはあからさまに怪しい)描き方がなされる場合が多いようです。

写真1 紫禁城(現・故宮博物院)

写真1 紫禁城(現・故宮博物院)

 もちろん虚構の時代劇でありエンターテインメントであるのですから,「史実はどうのこうの」などと真面目に突っ込むのは野暮です(そもそも設定がSF的なものもあります)。「なるほど,中国の人にとってはお約束のシーンなのだな」と観るべきでしょう。

 ただこの陰謀設定に限っていえば,ドラマ内だけの荒唐無稽なフィクションとはいいきれません。

 古来雍正帝の即位情況に関しては,ある有名な風聞が囁かれています。すなわち,康煕帝の意中の後継者は当時出征中の第十四皇子(第四皇子である雍親王の同母弟)であり,病床で自らの死期を悟った康熙帝は第十四皇子を都に召還しようとしたが,その命令が雍親王とその腹心らによって握りつぶされてしまい,さらに雍親王は康熙帝の死後に遺言状を書き改め,とうとう自分が即位してしまう,というものです。

 遺言状が書きかえられたのではないかと疑う風聞が,雍正帝の即位直後から存在したことは,当時北京を訪れていた朝鮮王朝の使節が帰国後に残した史料からも確認されています。

 また即位後の雍正帝は,歴代皇帝の寝起きした――つまりは亡父・康熙帝の寝所でもあった――「乾清宮(けんせいきゅう)」からなぜか引っ越し,「養心殿(ようしんでん)」という小規模な建物に居を移します。この事実を,雍正帝の父帝に対する後ろめたさに結びつける説もあります(合理性を重んじた雍正帝が政務に便利なように引っ越しただけ,という説も......)。

写真2 養心殿の雍正帝の執務室

写真2 養心殿の雍正帝の執務室

 このほかにも,後世の人びとの想像力を刺激する当時の記録は少なからず存在しますが,元の風聞にいろいろな尾ひれがくっついて,いよいよ怪しげなお話となってしまっていることも否めません。

 はたして雍正帝の即位にまつわる真相はどのようなものであったのでしょうか。すべてを明らかにしうる術は,もはやありません。ただ個人的には,雍正帝のこの即位問題と風聞の生起・流布とは,当時の満洲人社会の伝統や宮廷内の権力構造を考えるうえで,大きなヒントが隠されていると考えています。

 

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