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現代社会学科

2015.04.02

情けは誰のためにかけるもの?―社会心理学と諺(ことわざ)―:学科の紹介【11】

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現代社会学科

授業・研究室

情けは誰のためにかけるもの?
―社会心理学と諺(ことわざ)―


中山ちなみ講師
   社会心理学の授業をしていると、学生さんから「今日の話って、諺に似ていますね」と言われることがあります。たしかに社会学や社会心理学には諺を思い浮かべたくなるような話がよく出てきます。旅の恥は掻き捨て、三つ子の魂百まで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、出る杭は打たれる、遠くの親類より近くの他人‥‥ いずれの諺も、人間や集団の本質を鋭く見抜いていることに驚かされます。昔の日本人は社会をよく観察し、それを諺として表現することで生活の知恵としてきたのかもしれません。

 さて、「情けは人の為ならず」も、よく耳にする諺のひとつです。この諺の本来の意味は「人に同情することは決して他人だけを益することではない。情けを人にかけておけば、その善い報いはめぐりめぐって自分にくるものだ。人に親切にしておけば必ずよい報いがある」というものです(小学館『故事ことわざの辞典』1986年)。ただし近年は、「人に情けをかけることは、結局はその人のためにならない。だから、助けるべきではない」という誤った意味で解釈している人が多くなっているということもよく話題にされています。

 見返りを期待せず人のために何かをしてあげる行動は「利他行動」と呼ばれます。人に何かをしてあげるためには、当然コスト(時間、手間や労力、お金など)がかかります。しかし、そのようなコストを払って自分を犠牲にしてまでも、誰かのために何かしてあげたいと思うことはありますよね。なぜ、自分にとって不利益になるにもかかわらず、利他行動は起こるのでしょうか。

 利他行動に関する研究は非常に幅広く、さまざまな見解が示されているのですが、なぜ人は利他的にふるまうことができるのかということを説明するものとして「互恵性」という考え方があります。これは、あるときには自分が不利益になっても、別のときには別の人が不利益を引き受けてくれるというもので、一時的には自分が損をしたように思えるかもしれないが、別のときには自分もまた、ほかの誰かから助けてもらうかもしれないのだという「お互い様」の考え方にもとづいています。考えてみれば、人生は良い時期ばかりが続くとは限りません。また、社会の中には恵まれている人もいれば、そうでない人もいます。困ったときには相互に助け合い、助けを必要とする人を社会全体で支えていこうというのが互恵という考え方なのです。このような社会の「お互い様」のしくみは、累進課税制度や社会保障制度のような国の制度にも表れていますし、より身近なところでは、私たちが親しい人に旅行のお土産を買って帰るのも、互恵性といえるでしょう。

 「情けは人の為ならず」は、本来は互恵性をうまく言い表した諺だったのですが、現代では、お互い様という社会のしくみを感じ取ることが難しくなったということなのかもしれません。そして「人に情けをかけるべきでない」という解釈をする人が増えているとするならば、それは、自分が大事で他人は信頼できないという現代人の価値観の反映であるともいえそうです。

 ちなみに、上で挙げた他の諺も、日常生活の中でよく起こっていることだと思いませんか? それぞれの諺が、どのような現象と結びつけられるかを考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。

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