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日本語日本文学科

2014.11.01

バカボンのママが美人であるもう一つの理由―物語を読み進める原動力―|小野 泰央|日文エッセイ133

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第133回】 2014年11月1日
【著者紹介】
小野 泰央(おの やすお)
古代の和歌と漢詩文担当

日本古典文学と中国古典文学の比較を研究対象にしています。
1、バカボンのママへの思い
 最近、柴門ふみ氏が『バカボンのママはなぜ美人か 嫉妬の正体』(ポプラ新書)という新書を出した。氏は、バカボンのママが、バカボンのパパという頓珍漢な人物と結婚したのは、読者から嫉妬されないためであるという。
 漫画というエンターテイメントのなかで、完全なる主人公を作ると、嫉妬で読者の共感を得られないという論理である。そのことを、彼女は駆け出しのころ、編集者から叩き込まれたという。その心理は、我々の実生活にも当てはまって、美人がちょっと格好悪い男性と結婚すると、その女友達は嫉妬しないというのである。
 この本を読んで、作品が売れるためには、読者の心理をも考慮しなければならないということを知ったし、同時に日本人の嫉妬文化にも改めて気づかされた。それはそれでなるほどと理解できるのだが、ただ私がテレビで『天才バカボン』を見ていたときのママに対する意識とは違う。
 そもそも『天才バカボン』の主人公は、バカボンのパパ、もしくはバカボンである。少なくともバカボンのママではないはずである。であるから視聴者・読者は、バカボンのパパやバカボンの視点でその漫画・アニメを見るはずである。そうすると、ママが美人であることは、特にパパの視点から映し出さなければならない。
 私がバカボンのママに感じたことは、美人であるが故に、終わりを意識させる<危うさ>である。それは、ハジメ君とひとくくりであるが、バカボンのパパがあまりにもハチャメチャなので、いつかママはハジメ君と一緒に家を出て行ってしまうんじゃないかという不安である。
 
2、去っていく女性
 赤塚不二夫には、別に『ひみつのアッコちゃん』という漫画があって、これも本来の設定では、変身しているところを見られたアッコちゃんが鏡の世界に入ってくというものであったという。横山光輝の『魔法使いサリー』におけるサリーちゃんも魔法の国へ帰って行くし、『うる星やつら』におけるラムちゃんも一旦はうる星に帰ってしまう。
 現代小説においても、例えば、村松友視の『時代屋の女房』では、ふと骨董店にやってきた女性真弓がそのまま住みついて、店主安さんと好意を交わすが、最後にはまた姿を消してしまう。映画で、真弓を演じた夏目雅子のその美しさが、また哀愁を更に深めていた。
 この話型は、古典文学にも描かれていている。天人女房譚と言われるように、その大元は「物語のいできはじめの祖(おや)」である『竹取物語』から始まる。後の「雪女」も「鶴の恩返し」も皆同様の緊張感を持っているが、日本古典文学における原拠は中国古典小説にあるといえる。『竹取物語』との関係が指摘されている『漢武帝内伝』では、空から降りてきた西王母は、寿命の限界まで生きることができる桃を残して天に去っていく。妖艶な女性が突然現れて、去っていく話は、北宋の李_『太平広記』や清の蒲松齢の『聊齋志異』を紐解けば、数限りなく見出すことができる。ここに現代作品と古典が、共通する心理に基づいて作れられていることを確認することができるのである。

3、物語を読み進める原動力
 男性の許から女性が去っていくという話型がアジアに、あるいはさらに西洋にあるとするならば、そもそもそれは人間に備わっている心理を物語作者が巧みに利用しているといえよう。
 物語を読み進める原動力にはいくつかある。例えば、前に『太平記』と「ドラえもん」の関係で書いた判官贔屓や勧善懲悪。読者は、弱者がリベンジして、悪役が懲らしめられるのを見届けたくなる。さらに謎も読者の心を引き付ける。推理小説がその典型であるが、読者は、早くその顛末を知りたくて、先を急ぐ。
 これらの物語読む原動力の一つに、<危うさ>があると思うのである。人はある楽しいことに時間的に限りがあるとするならば、その最後の瞬間が来ることを恐れつつも、その時までは充実した時間を過ごそうと考える。そもそも我々の人生が典型的である。限りある命であるから悔いのない人生にしようと思い、最期が近くなればなるほど、充実した時間を過ごそうとする。
 『天才バカボン』において、バカボンのパパの非常識さがその興味を引いている裏で、美人のママがいつかはどこかに行ってしまうんじゃないかという緊張感が読者・視聴者の好奇心を誘っていて、作品としての厚みをもたらしていると思われる。そんな古典から連綿と受け継がれている物語の原動力を、赤塚不二夫は理解していたのである。
 
※ 画像・上は、『天才バカボン』ebook版38巻表紙(©赤塚不二夫/eBookJapan)。
  画像・下は、国文学研究資料館蔵「竹取物語(第46コマ)」(93-3-1~2)。
  いずれの画像も、無断転載を禁じます。
 

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