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日本語日本文学科

2016.12.01

蟻の思いも天まで届くー国語教育者 野地潤家先生を悼むー|伊木 洋|日文エッセイ158

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第158回】 2016年12月1日
【著者紹介】伊木 洋 (いぎ ひろし)
国語科教育担当

国語科教育の実践理論を研究しています。蟻の思いも天まで届く-国語教育者 野地潤家先生を悼む-
 国語教育学の確立と国語教室の創造に御身を捧げてこられた野地潤家先生が、2016年5月15日、ご逝去なさった。享年95歳であった。
 野地潤家先生は、国語教育者として人間性を尊重する立場から話しことばの重要性に目覚められ、人間を人間たらしめていく話しことばの教育が真に人間形成にかかわるものであり、平和へと導く民主社会を形成していく土台となることを明らかになさった。野地潤家先生に学ばれた橋本暢夫先生によると、国語教育の不易の道を示された野地潤家先生の巨大なご業績は、次の六領域にわたっている。

 1 国語教育実践
 2 国語教育個体史研究
 3 「幼児期の言語生活の実態」研究
 4 近代国語教育史研究
 5 国語教育人物研究
 6 比較国語教育史研究

 野地潤家先生が学長でいらした鳴門教育大学附属図書館には、野地潤家先生が収集なさった10万冊を超える膨大な文献・資料のうち、約3万冊が寄贈されており、その中には、上記のご研究に関する文献資料のほか、貴重な関東大震災関係資料が含まれている。野地潤家先生が災害関係資料を収集なさる契機は、芦田恵之助著『丙申水害状況』の意義に注目されたことによるという。関東大震災についてとくに関心を深く持たれたのは、戦後、野上弥生子の『山荘記』(1945、生活社)の一節に接してからであると記されている。(「関東大震災文集の考察」『野地潤家著作選集 第8巻 中等作文教育史研究�氈x、1998、明治図書)阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と震災の被害が続く現状において、野地潤家先生が収集なさった関東大震災関係資料はますます重要な意味をもっている。

 野地潤家先生は大村はま国語教室の深い理解者であり、そのお考えの一部が『大村はま国語教室の探究』に明らかにされている。鳴門教育大学附属図書館には、大村はま先生が野地潤家先生と橋本暢夫先生に託された、大村はま先生ご自身が単元でお使いになった文献・学習記録・資料が寄贈されている。寄贈当時、附属図書館長であった橋本暢夫先生は、野地潤家学長先生のもと、誠心誠意、寄贈された文献・学習記録・資料の整理にあたっておられ、野地潤家文庫、大村はま文庫の開設に向けて尽力なさっていた。現在、野地潤家文庫、大村はま文庫は整備され、学内外に公開されており、国語教育研究を志す者にとってなくてはならない貴重な資料の宝庫となっている。

 大学院生2年の夏、橋本暢夫先生のご案内で、野地潤家先生におともして、信州、西尾実記念館、西尾実の生家を訪ねたことは思い出深い。西尾実記念館で、野地潤家先生は院生に西尾実の色紙をプレゼントしてくださった。その色紙には、「ひと足 ひと足 山をも 坂をも 踏み越えよ 實」としたためられていた。このことばには一歩一歩着実に踏みしめて歩んでいくことの重みが示されていた。

 大学院での研修を終える際に、野地潤家先生にいただいたことばは「蟻の思いも天まで届く」であった。たとえ小さな蟻であってもその思いは天に届く、小さなもののささやかな歩みの重さをお示しいただいた。

 野地潤家先生は、みずからことば自覚に立ち、ひたむきな修練を重ねることによって、常に自己を見つめ、自己に問い返してこられた。拝受した二つのことばの通り、まさに真理の前に謙虚に立たれ、国語愛、人間愛につちかう国語科教育を探究なさった野地潤家先生のお心を頂戴した思いがした。

 現在はご縁があってノートルダム清心女子大学に勤務している。ささやかな歩みではあるが、野地潤家先生が大切になさった国語教育の理念を、中等国語教育を志す学生に確かに伝えていくことこそ、学恩に報いることであると念じている。歌碑を愛された野地潤家先生に拙歌を献歌し、先生の御霊安らかにいまさんことを心よりお祈り申し上げたい。

 広島の空青く澄み師の棺は深緑の森の中へとしずしずとゆく  洋哉

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