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日本語日本文学科

2017.01.01

風葉和歌集のこと|原 豊二|日文エッセイ159

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第159回】 2017年1月1日
【著者紹介】
原 豊二 (はら とよじ)
古典文学(中古散文)担当

源氏物語など平安時代の文学を多角的に研究しています。
 
  風葉和歌集のこと
 
 2015年、林原美術館に池田光政自筆の『風葉和歌集』(抜書き本・5点)のあることを確認することになった。池田光政は岡山藩初代藩主で政治家としてとても著名な人物である。光政のことは、これ以上説明する必要はないだろうが、『風葉和歌集』という歌集を知る人は少ないのではないだろうか。

 この歌集は鎌倉時代に編纂された和歌集であるのだが、ここに収められる和歌は、『源氏物語』などの物語の登場人物の詠歌なのである。こうしたものを「物語歌集」などと言うが、この世に実在しない人物たちの歌を集めた独特な歌集でもあるのだ。ただ、この『風葉和歌集』というのは、全20巻のうち末尾2巻は現存せず、また古本や善本に恵まれたものでもない。光政の筆のものは「抜書き」であり、現存する和歌のうちすべてが揃っているものではないが、年代のわかる『風葉和歌集』の写本としては最古のものに相当する。

 この光政筆本の発見は、本学の紀要での発表と前後して、山陽新聞とNHKで報道され、多くの方々に興味を持っていただいた。政治家という役割が前面に出ていた光政が、一方でこうした文事にも力を入れていたことは意外なことに映ったのかも知れない。やはり映像の素晴らしいところは、筆跡や料紙(用いられた紙)が鮮明であって、その流麗さ・豪華さがよく伝わることである。

 このようにして、光政筆本は世に出ることになり、後日、所蔵元の林原美術館でも展示されることになった(企画展「すみいろ」―古筆・宸翰・大名の書―〔2016.4.12-5.15〕)。加えて最新の『風葉和歌集』の注釈書(名古屋国文学研究会『風葉和歌集新注1(新注和歌文学叢書)』青簡舎、2016)にも、校合本として利用された。この本は順次刊行の予定である。

 こういうことをしていると、さらなる情報が自然と集まるもので、新たな光政筆の風葉和歌集を2点確認することができた。

 一つは備前焼ミュージアムに寄託されているもの【写真①】で、列帖装(一枚の紙の両面を使って書写したもので、冊子の形態)で、縦19.1cm、横17.1cm、58丁、所収和歌数197首。ここに抜書きされている和歌は、林原美術館所蔵の光政筆本のうち一本(書跡504-1)ならびに神宮文庫所蔵本のものと同様である。『風葉和歌集』の現存歌数は1400首あまりだから、全体の7分の1ほどが選歌されていることになる。これらの写本の共通性は、どのような歌が抜書きされたかを考える上で重要であり、ここに光政自身による選歌ということを見据えなくてはならないだろう。なお、この本は戦前までは池田家にあったようである。
 次に岡山県立博物館寄託の一本【写真②】である。これも明治期までは池田家にあったようである。巻子本(いわゆる巻物)で、幅23.9cm、所収和歌67首。こちらの所収和歌は、いずれの抜書本の所収歌とは対応していない独自なものである。奥書に「寛文七年未丁 初秋廿五日」とあり、これは1667年7月の書写ということになる。寛文七年頃、光政は藩内の宗教政策などをめぐって、幕府にだいぶ目をつけられていた頃だから、このような和歌集の書写をする暇がなぜあったのかなどとも思うのだが、この場合、必ずしも政治的な緊張感とは関係がなかったということなのだろう。なお、この本は2017年の元旦から1ヶ月ほど同博物館において展示される。
 本学の特殊文庫の資料にも池田光政筆と伝えられるものがいくらかあって、そのすべては正宗敦夫の収集に関わるものである。そのうち例えば『和漢朗詠集』などは、ここで紹介した『風葉和歌集』の筆跡と一致するし、表紙や料紙の豪華さなどを考えると、まさしく光政自筆と言うことができるわけである。学外の資料を根拠に、大学内の資料について解明が進むことはやはり嬉しいことである。大学と学会の往復だけで学問が深められるというのは大いなる妄想ではないだろうか、と時に思う。若き日のデカルトではないが、やはり旅に出ていかなくてはならないはずである。

 日本文学研究にはいろいろな方法があり、実際にはかなり多様な様相を呈している。そのそれぞれに尊重すべきところは多くあり、一概にどの方法が最適であるなどとは言えないであろう。けれども、私自身はできるだけ現実の社会と向き合うように心掛けている。それは現実というところにしかない<説得力>というものに、常に私が魅了され続けているからである。こうした現場から生成される着想や経験には、時に読書体験以上の意味や価値を含む場合がある。

 一つの資料が見出されると、それを保存・保管してきた人々への感謝の気持ちがまず湧き上がる。また、そのことを伝えるマスコミ関係者、それを展示する博物館などなど。多くの面々の中で、私のような古典文学研究者の役割がある。研究者だけがただ傲慢な態度であったならば、そうした学域に将来は見通せない。
 
参考文献
原豊二「池田光政と「抜書」―『風葉和歌集』『拾遺百番歌合』をめぐって―」『ノートルダム清心女子大学紀要・日本語日本文学科編』40巻1号 (2016)

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