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日本語日本文学科

2017.02.01

致富長者譚を超えて ―竹取物語再読―|原 豊二|日文エッセイ170

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第170回】 2017年12月1日
【著者紹介】
原 豊二(はら とよじ)
古典文学(中古散文)担当
源氏物語など平安時代の文学を多角的に研究しています。
  
致富長者譚を超えて ―竹取物語再読―

お金持ちになるという昔話はかなり多い。わらしべを元と
して、手に入れたものを交換し続け、富を得る話。動物の出
てくる場合が多いが、宣告の通り行動することで富を得る
話。一般に『わらしべ長者』や『花咲かじいさん』と呼ばれ
るお話だが、話型研究の立場からは「致富長者譚」という種
類に分類される。これらの話の共通するところに、どのよう
に富を得たかについてはあれやこれやと叙述があるのだが、
お金持ちになった後、どのような生活をしたのかという叙述
があまり見られないということがある。漠然と「いつまでも
いつまでも幸せに暮らしましたとさ」といった感じでその話
はだいたい終わる。その理由は、おそらく「致富長者譚」の
本質が、金持ちになってセレブな生活を目指すということで
はなく、多くの庶民たちの大きな課題である「貧困からの脱
出」にあるからであろう。彼ら昔話の受容者にとって、現実
の裕福な生活など実感そのものがないし、夢見る具体的な姿
も曖昧模糊であったに違いない。むしろ、現在の苦しい生活
からの脱却こそが、彼らの当面の切実な課題であったことは
十分想像できる。
 そういう点に着目すると、同じような致富長者譚が組み込
まれているはずの『竹取物語』は、翁が富を得た、その後の話の方が圧倒的に長い。致富長者譚であるにも
かかわらず、金持ち生活が延々と語られているという独自性が『竹取物語』にはあるのである。
 竹を採集して生計を立てていた翁であるが、ある時、その竹から黄金が見つかる。そのことで翁は「猛の
者」になっていくのだが、このプロセスにはいくらかの疑問点が残る。作品の書かれた平安時代にどこまで
貨幣経済が広がっていたかはよくわからないが、こうした貴金属を「資本」に置き換え、さらに「労働力」
に変換して巨大な邸宅を構えるということがこんな簡単にできるのであろうか? そもそも、竹の採集に従
事していた人物が、特別な知識なしに「金融」の世界に飛び込むことは本当に可能なのだろうか?
 実は翁は文字を読めたかも判然としない。というのは、この話の最後の方で出てくるかぐや姫からの手紙
を、「読みて聞かせ」られているのである。自身は文字を知らなかった可能性が高い。そういう人物が、中
国からの輸入品であった「金」、ようやく日本では東北地方で見つかった「金」という高度に金融的な資産を、円滑に適切に運用できたかについてはやはり疑問が残るのである。現在でも、宝くじでとんでもない大
金を得た人物が、あっけなくその財産をすべて失ったり、失踪を繰り返した後、不幸な顛末に陥ったりする
ことはよく聞く話である。文字の読解自体はともかくとしても、相当にしっかりした人、したたかなまでに
深慮遠謀を考えている人でもなければ、素人がこうした金融業に手を出すことは難しいと言わざるを得な
い。普通に考えれば、黄金を手に入れた翁は、誰かずる賢いが金融知識のある人物に適当にだまされてしま
いました、という程度のことで終わったかに思うのである。
 私の勘ぐりを無視するがごとく、『竹取物語』では翁のセレブ生活が描かれ続けるが、はたしてこの生
活、それほど愉快なものではなかったらしい。養女であるはずのかぐや姫は、大嘘つきで欺瞞に満ちた貴公
子たちに結婚を迫られ、やがては本人が実は月人であることがわかり、その帰還を阻止するために、天皇の
権力で集められた武士たちがそれに挑む。が、月軍の圧倒的な威力に全く手も足も出ない。屈辱的な敗北の
まま、翁は「血の涙」を流し、絶望の淵に墜ちる。
 『竹取物語』にいわゆる主題なるものがあるのか私にはわからないが、致富長者譚の行き着く先が、人間
の醜さと愚かさ、それに加え権力や富のなし得る限界、さらに老いの後の孤独と絶望であるとするならば、
感じのよいところで話を終わらせ、その後を曖昧にしたままの多くの昔話の方がよりスマートな作品であっ
たとも言える。『竹取物語』は致富長者譚の挫折を描いたということにもなるが、一方で致富長者譚を超越
したあり様こそがこの物語の真の魅力なのかも知れない。本来金持ちになるべき人物ではない翁が、それを
達成するところでの一種の破壊力のようなものが、一見強靱に見える富や権力の限界をも結果的に暴き出し
たのである。
 眼前にある富や権力に惑わされず、この世界に生きる人間たちをどのように見るか? この難しい課題を
解決できるのは、この翁のような、身分や階級を乗り越えた人物しかいないのかも知れない。どこまでも翁
は誠実であり続けたし、娘であるかぐや姫をずっと愛し続けたのだから。  
※ 画像は、文政六年(1823)写『竹取物語』(著者所蔵)。画像の無断転載を禁じます。 を、円滑に適切に運用できたかについてはやはり疑問が残るのである。現在でも、宝くじでとんでもない大
金を得た人物が、あっけなくその財産をすべて失ったり、失踪を繰り返した後、不幸な顛末に陥ったりする
ことはよく聞く話である。文字の読解自体はともかくとしても、相当にしっかりした人、したたかなまでに
深慮遠謀を考えている人でもなければ、素人がこうした金融業に手を出すことは難しいと言わざるを得な
い。普通に考えれば、黄金を手に入れた翁は、誰かずる賢いが金融知識のある人物に適当にだまされてしま
いました、という程度のことで終わったかに思うのである。
 私の勘ぐりを無視するがごとく、『竹取物語』では翁のセレブ生活が描かれ続けるが、はたしてこの生
活、それほど愉快なものではなかったらしい。養女であるはずのかぐや姫は、大嘘つきで欺瞞に満ちた貴公
子たちに結婚を迫られ、やがては本人が実は月人であることがわかり、その帰還を阻止するために、天皇の
権力で集められた武士たちがそれに挑む。が、月軍の圧倒的な威力に全く手も足も出ない。屈辱的な敗北の
まま、翁は「血の涙」を流し、絶望の淵に墜ちる。
 『竹取物語』にいわゆる主題なるものがあるのか私にはわからないが、致富長者譚の行き着く先が、人間
の醜さと愚かさ、それに加え権力や富のなし得る限界、さらに老いの後の孤独と絶望であるとするならば、
感じのよいところで話を終わらせ、その後を曖昧にしたままの多くの昔話の方がよりスマートな作品であっ
たとも言える。『竹取物語』は致富長者譚の挫折を描いたということにもなるが、一方で致富長者譚を超越
したあり様こそがこの物語の真の魅力なのかも知れない。本来金持ちになるべき人物ではない翁が、それを
達成するところでの一種の破壊力のようなものが、一見強靱に見える富や権力の限界をも結果的に暴き出し
たのである。
 眼前にある富や権力に惑わされず、この世界に生きる人間たちをどのように見るか? この難しい課題を
解決できるのは、この翁のような、身分や階級を乗り越えた人物しかいないのかも知れない。どこまでも翁
は誠実であり続けたし、娘であるかぐや姫をずっと愛し続けたのだから。  
※ 画像は、文政六年(1823)写『竹取物語』(著者所蔵)。画像の無断転載を禁じます。

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