2016.06.23
「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
(「コリントの信徒への手紙一」12章24節-26節)
今回の熊本地震で現在も苦難の中におられる方々に心よりお見舞い申し上げます。
震災の直後、熊本出身でいたたまれない様子の学生から、募金活動をしたいとの申し出がありました。翌週には彼女たちが中心メンバーとなって学内での募金活動が開始されました。被災者の苦しみを想って呼びかける彼女たちの切実な思いが多くの学生や教職員の心にも通じて、多くの人が募金をしていました。
今回の聖書の言葉は、私たちが、同じ命の源である神の子どもであり、私たち一人ひとりは、それぞれ同じその命全体の体の一部として互いにつながっていることを教えています。神の思いはこの体全体に及んでいるので、この体のどこか一部分が苦しめば、神自身が共に苦しみ、その苦しんでいる一部が慰められれば、神も慰められるというようにつながっているのです。
震災直後のキリスト教学の授業の感想で、なぜこうした苦しみが人間に与えられるのかと問う学生が多い中で、今こそ聖書で学んでいるアガペーの愛の実践が問われるように思うとの言葉がありました。神の愛であるアガペーの愛は、なによりも困難に直面する人の心に寄り添うところからはじまるでしょう。私たちの命が一つの体としてつながりあっていることを意識し、一つの部分の苦しみをすべての部分が共にすることで、私たち一人ひとりが今自分にできる行動へと促されていくことが私たちに求められているアガペーの実践であると思われます。
キリスト教文化研究所教授 山根 道公