2016.11.09
「 神よ、あなたは慈しみ深く、真実な方。怒るに遅く、すべてを治める憐れみ深い方。」
(旧約聖書続編 知恵の書 第15章1節)
この聖書の言葉は、神がどのような方であるかを語っています。旧約の時代、人々は多くの苦難、悲嘆、喜びの経験を通して、それぞれの人生に直接働きかける神を経験してきました。ひとりひとりにとって、神は「慈しみ深く」、「憐れみ深い」方です。旧約聖書で「憐れみ」、「慈しみ」という言葉は、ヘブライ語のレーハム(recham)で、その原義は女性の子宮、はらわたを意味します。この言葉から「憐れみ」を意味するラーハム(racham)が出てきます。神はご自身の身を蒙っていのちを生み出し、守り、育てる存在です。イエスはいつも「憐れみ」をもって人々と関わったことが記されています。「憐れみ」はラテン語ではmisericordia で、この言葉は、あわれ、悲惨(miseria)と心(cor)からなる合成語です。すなわち、他人によって心を動かされ、共に蒙ることを意味します。マザーテレサの言葉では「痛むまでの愛」です。
イエスは、「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい。」(マタイ6・36)と言われます。 ローマ教皇フランシスコは、今年の十二月から来年の十一月までをいつくしみの特別聖年に定められました。この聖年は、私たちの大学の創立記念日にあたる十二月八日の無原罪の聖母の大祝日に、ヴァティカンの聖ペテロ大聖堂の「聖年の扉」(ポルタサンタ)が開かれることによって始まります。清らかで汚れない聖母マリアは神のいつくしみの象徴です。教皇はこの聖年に、私たちも御父のいつくしみを生き、ひとりひとりが生き方を変える機会とするよう呼びかけておられます。
今年の夏もフランス、ルルドで傷病者の水浴場で奉仕活動の機会をいただきました。この世にどうしてこれだけ多くの病者が存在するのだろうと、ただこうべを垂れる以外にありませんでした。しかし重い病をかかえてルルドにくる病者こそ、神のいつくしみの受け皿でること、神ご自身がひとりひとりの苦しみと病を我が身に蒙っておられることを感じました。
神のいつくしみがひとりひとりにもたらされますように。
キリスト教文化研究所 教授 須沢かおり