2017.11.01
「 烏(からす)のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏(からす)を養ってくださる。」「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
(「ルカによる福音書」12章24節‐27節)
京都市左京区の曼殊院という寺の庫裏(くり)(キッチン)の入り口に額が掲げられています。曰く、「媚竈(びそう)」。「竈(かまど)に媚(こ)びよ」という謂です。「虚栄の権力に媚びるなかれ。己れのいのちを直接に支えてくれるカマドの番人をこそ尊ぶべし」。「媚竈」の額はそう語っています。ここには、「権力なるもの」に対する反骨精神とともに、権力に阿(おもね)ることから生じる価値の転倒を戒める精神が見出されると言えるでしょう。
上掲の一節は牧歌的な自然讃美と誤解されがちですが、そうではありません。イエスの語った「野原の花」は、ユリなどではなく、実はアザミでした。アザミは、イスラエルでは忌み嫌われる草花でしたから、イエスは「カラス」と「アザミ」という、当時、不吉として忌み嫌われていたものをあえて組み合わせて語ったことになります。そして、「栄華を極めたソロモンにではなく、あなたがたの忌み嫌うカラスやアザミにこそ目を向けよ」と説いたのでした。まさに媚竈の精神ではないでしょうか。
人間生活学部 教授 葛生 栄二郎