• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

人間生活学科

2019.01.28

福祉の先駆者ゆかりの地を訪ねる|杉山博昭|社会福祉学研究室

Twitter

Facebook

人間生活学科

岡山県は、社会福祉の基礎を築いた人物を多く輩出したことで知られます。救世軍(キリスト教プロテスタントの一つ)の指導者として貧困者や病者の支援を推進した山室軍平(新見市)、キングスレー館という先駆的なセツルメント(地域の福祉活動)を創設した片山潜(久米南町)、職業紹介事業などで活躍した八浜徳三郎(笠岡市)などが知られます。

 いずれもキリスト教信仰を基盤にした福祉実践を行いました。なかでも、現在の社会福祉に大きな影響を残しているのは、留岡幸助です。留岡は1864年に現在の高梁市で生まれます。

 留岡は商人の家に育ちますが、幼少期の経験から武士との身分格差の疑問をもちました。キリスト教の平等思想に共鳴して、キリスト教の洗礼を受けます。洗礼を受けたのは、現在の日本キリスト教団高梁教会です。

 高梁には当時、組合教会と呼ばれるプロテスタント教会が盛んに伝道していました。しかし、キリスト教を快く思わない人もいて、迫害を受けることになります。教会が投石されることもありました。

 留岡もまた養親からキリスト教をやめるよう強く言われましたが、屈することなく信仰を維持しました。

 同志社を卒業した留岡は組合教会の牧師になり、やがて北海道の監獄(刑務所)に教誨師として赴任します。そこには、殺人など凶悪とされる罪を犯した人が数多く収監されていました。

 留岡は、彼らと粘り強く対話をしていきます。やがて犯罪の原因は本人の生まれつきの性格などにあるのではなく、教育や家庭環境の欠陥にあることに気づきます。

 そこで留岡は、非行児童を支援するために家庭学校という施設を1899年に東京で設立します。家庭学校は,当時の用語で感化院、戦後は教護院と称され、現在は児童福祉法による児童自立支援施設と呼ばれる種類の施設にあたります。少年院とは違いますので混同しないでください。

 家庭学校は、非行児童が入所する施設でありながら、塀で囲ったり門を閉めたりしないで、開放的な形で運営されました。現在でも全国の大部分の児童自立支援施設は、開放的になっています。これは家庭学校の影響です。
 社会福祉は、こうした先駆者の苦労があって基礎が築かれ、今があるのです。社会福祉を学ぶためには、こうした先駆者の思いを知ることが欠かせません。

 杉山ゼミでは、こうした社会福祉の先駆者ゆかりの地を訪ねています。今年度は高梁に行きました。高梁には、この写真の「顕彰碑」のほか、高梁教会や留岡の養父母の墓などがあります。こうした史跡から、先駆者の思いをくみ取り、これからの福祉を考える糧にしていきたいと考えています。

一覧にもどる