12月8日の創立記念日は、本学名のノートルダム(聖母マリア)と「清心」に関係の深い、「無原罪の聖マリア」(Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)の祝日です。
「無原罪の聖母マリア」の祝日はカトリック教会の大祝日で、イタリア、スペイン、オーストリアなどの国々では現在でも国民の祝日に制定されています。創立記念日と無原罪の聖母マリアの祝日、そして大学名の「清心」は、深い結びつきをもっています。

ショファイユの幼きイエズス会によって「まいかい高等女学校」という校名をもつ本学の前身は、1911年に校名を清心高等女学校に改称しました。その13年後、ナミュール・ノートルダム修道女会によって引き継がれました。「清心」の由来は、「聖母のいと潔き御心にささげられた清心」にあります。

本学の創立記念日は従来11月1日の諸聖人の祝日とされていました。初代学長が辞任され、第二代学長のシスター・エメー・ジュリーが就任されたときの英字新聞には、次のような記事があります。


  • 無原罪の聖母とシスター・メリー・コスカによって始められた働きは、たしかに成し遂げられました。この創立は、深く、強い土台をもっています。将来につづく世代も、この礎の上にしっかりと根ざしてゆくことができますように。(N. D. S. C. TIMES、1956年11月22日発行)



ここに創立記念日を「無原罪の聖マリア」の祝日にすること、そして、本学の「礎」(いしずえ)と建学の精神の土台は、無原罪の聖母にあることが示されています。

聖母マリアの「無原罪の御宿り」は1854年教皇ピウス9世によって、カトリック教会の教義に定められました。「無原罪の御宿り」とは、イエスの母マリアが神の特別な恵みよって、その母アンナの胎内に宿り、この世に生を受けた瞬間から原罪をまぬがれていたという教えです。1858年ルルドでベルナデッタ現れた聖母は「わたしは無原罪の御宿りです」と告げられました。ルルドに出現した無原罪の御宿りのマリアは、病、老い、苦しみ、悲しみのうちにある人々にいつも寄り添い、力づける聖母です。



ルルド、マッサビエルの洞窟の聖母像
聖母が聖ベルナデッタに語りかけた「私は無原罪の御宿りです」
("Que soy era Immaculada Councepciou." )という言葉が刻まれている。


 


聖母マリアは、いのちの最初の瞬間からあらゆる罪と汚れから免れ、神とともにおられ、わたしたちのもっとも近くにおられ、母として、そして、姉妹、同伴者としてわたしたちを助けてくださいます。

創立記念日は、わたしたちの大学の礎である聖母マリアに祈りを捧げ、初代学長シスター・メリー・コスカをはじめ、本学のために尽くされた恩人に感謝する日です。「清心」の名をいただく学び舎に集うわたしたちが、聖母マリアに倣い、清らかな心で神に近づき、共に歩むことができますように。


スルバラン「無原罪の聖母」(アイルランド国立美術館蔵)




キリスト教文化研究所 所員 須沢 かおり

教員紹介 須沢かおり
キリスト教文化研究所
清心アーカイブズ

ノートルダム清心女子大学歴史展示室が11月5日(土)に開室しました。
11月5日、6日の大学祭の二日間、多くの方に歴史展示室へ来室いただきました。
在学生、教職員の皆さんは展示物の数々に触れ、清心の歴史に新たな発見があったのではないかと思います。
卒業生の方々は在学当時を懐かしみ、思い出話に花を咲かせている様子も見受けられました。
また、地域、保護者の方々にとって、清心の歴史を知っていただくための足がかりとなることを願います。

大学祭時の様子




本学の歩みを伝える展示室、今回はその一部をご紹介いたします。



1924年7月22日サンフランシスコから客船プレジデント・ウィルソン号(「宣教師特別船」とも呼ばれる)に上船し、8月9日神戸港に到着した。来岡は8月13日。岡山で約40年間、宣教と教育に従事してきた「ショファイユの幼きイエズス修道女会」の教育事業を引き継いだ。

(1924年撮影)


ND BULLETIN No.194より転載



詳細を「清心アーカイブズ」でぜひご覧ください。本学の歴史、伝統、行事、関係の深い人物について深く知ることができます。

2016年11月9日(水)に、本学にて地震と、地震後の火災発生を想定した防火・防災訓練を実施しました。地震発生直後の避難要領および地震発生直後に起きた火災に伴う避難訓練を実施して、人や物への被害の軽減を図ることを目的としています。

避難時の様子
避難場所として設定されたグラウンドでは、学生と教職員が真剣な表情で防火・防災委員長の話に耳を傾けました。
四国沖で南海トラフが発生したとき、岡山では緊急地震速報が出た1秒後に地震が来ると予想されています。この1秒の間に何が出来るのか。
・机の下に隠れる。
・壁に寄り、かばんなどで頭を守る。
・窓ガラスや蛍光灯から離れる。
・扉を開けて避難経路を確保する。
1秒というわずかな時間で避難することは不可能ですが、揺れに備え命を守ることが大切だという内容でした。

防火・防災管理委員長によるお話の様子
今年の10月には鳥取県を震源とする震度6弱の地震が発生し、各地で被害が発生しました。岡山市でも緊急地震速報が発令され、震度4の揺れを観測しています。その際机の下に隠れるなどの行動を取ったかという防火・防災管理委員会の職員の言葉に、多くの学生が手を上げていました。日頃から有事の際の心構えをしておくことで、実際に地震や火災が起きたとき、被害を防ぐことに繋がります。

手を上げる学生たち
本学では「震災 避難マニュアル」を入学時に全学生、教職員へ配布しています。地震発生時の対処法や大学との連絡方法、伝言サービス番号等が掲載されており、手の平サイズでコンパクトなので財布などに入れて携帯しておくと便利です。

震災避難マニュアル
また、災害 が起きた時には、manaba folio※を利用して学生の安否確認を行っています。今回の訓練でも、manaba folioで災害訓練用メッセージを流し学生の安否確認テストを実施しました。在学生の皆さんは日頃からmanaba folioにアクセスし、災害時を含め各種情報の収集に努めましょう。

今後も、非常時における迅速な対応および被害の軽減を図るよう、防災力の向上に努めていきます。

 

manaba folio・・・本学で導入している教育機関向けのポートフォリオシステム
学内AED・車椅子・担架設置場所
健康に関するサポート

イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
(ヨハネ20章16節)

 この聖書の箇所は、復活されたイエスとマグダラのマリアの感動的な邂逅の場面です。

 「イエスに従って来て世話をしていた人々」の一人だったマグダラのマリアは、どこまでもイエスにつき従った女性でした。十字架から降ろされたイエスの亡骸を抱きかかえ、香料と香油を準備し、墓に埋葬し、悲しみにくれて、イエスのお墓に佇んでいました。そこに復活されたイエスが「マリア」と呼びかけたのです。「ラボニ」(先生)というマグダラのマリアの応えは、彼女のイエスをどのように愛し、慕い、尊敬していたかを表しています。マグダラのマリアには自分のすべてをイエスに託し、つき従ってゆく、ひたむきさ、信頼、愛がありました。信仰とは「何」というより「誰」が対象であり、人格的な出会いを基にしていることを、イエスとマグダラのマリアの関わりから学ぶことができます。

 マグダラのマリアは、「復活したキリストが最初に現れた人」、「復活を証言するように遣わされた人」、「復活の喜びの中心的メッセージを伝える福音宣教者」です。

 2016年6月、教皇フランシスコはマグダラのマリアをキリストの「使徒たちの使徒」(apostola  apostolorum)に挙げることを発表しました。これまでカトリック教会において使徒は、イエスに従い、生活を共にした男性の弟子たちである十二使徒に限定されていました。マグダラのマリアは「(男性の)使徒たちのなかの(女性の)使徒」となりました。父権的な傾向が強く、司祭職も男性に限られているカトリック教会において、女性の使徒としてマグダラのマリアが加えられたということは、画期的でもあります。女性の本質、使命、役割について再考し、教会の中心となって活躍する女性を鼓舞しようとするカトリック教会の姿勢を見ることができます。

 「いつくしみの特別聖年」は本年11月20日に終了します。この特別な恵みの年にあたり、マグダラのマリアが「使徒たちの使徒」とされたことは、女子大学に集う私たちにも、大きな励ましと勇気を与えてくれます。私たちも人生のそれぞれの場で、信頼と愛に生き、どこまでも、いつまでもイエスにつき従っていったマグダラのマリアに倣ってゆきたいものです。

キリスト教文化研究所 教授 須沢 かおり

「 神よ、あなたは慈しみ深く、真実な方。怒るに遅く、すべてを治める憐れみ深い方。」
(旧約聖書続編 知恵の書 第15章1節)


この聖書の言葉は、神がどのような方であるかを語っています。旧約の時代、人々は多くの苦難、悲嘆、喜びの経験を通して、それぞれの人生に直接働きかける神を経験してきました。ひとりひとりにとって、神は「慈しみ深く」、「憐れみ深い」方です。旧約聖書で「憐れみ」、「慈しみ」という言葉は、ヘブライ語のレーハム(recham)で、その原義は女性の子宮、はらわたを意味します。この言葉から「憐れみ」を意味するラーハム(racham)が出てきます。神はご自身の身を蒙っていのちを生み出し、守り、育てる存在です。イエスはいつも「憐れみ」をもって人々と関わったことが記されています。「憐れみ」はラテン語ではmisericordia で、この言葉は、あわれ、悲惨(miseria)と心(cor)からなる合成語です。すなわち、他人によって心を動かされ、共に蒙ることを意味します。マザーテレサの言葉では「痛むまでの愛」です。

イエスは、「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい。」(マタイ6・36)と言われます。 ローマ教皇フランシスコは、今年の十二月から来年の十一月までをいつくしみの特別聖年に定められました。この聖年は、私たちの大学の創立記念日にあたる十二月八日の無原罪の聖母の大祝日に、ヴァティカンの聖ペテロ大聖堂の「聖年の扉」(ポルタサンタ)が開かれることによって始まります。清らかで汚れない聖母マリアは神のいつくしみの象徴です。教皇はこの聖年に、私たちも御父のいつくしみを生き、ひとりひとりが生き方を変える機会とするよう呼びかけておられます。

今年の夏もフランス、ルルドで傷病者の水浴場で奉仕活動の機会をいただきました。この世にどうしてこれだけ多くの病者が存在するのだろうと、ただこうべを垂れる以外にありませんでした。しかし重い病をかかえてルルドにくる病者こそ、神のいつくしみの受け皿でること、神ご自身がひとりひとりの苦しみと病を我が身に蒙っておられることを感じました。

神のいつくしみがひとりひとりにもたらされますように。


キリスト教文化研究所 教授 須沢かおり