2018年
01月31日

聖書の言葉 マタイによる福音書4章3~4節│﨑川修准教授

「神の子ならば、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
(マタイによる福音書4章3~4節)

 霊に導かれて荒れ野に赴いたイエスは、四十日間の断食の後、空腹を覚えます。そして、それにつけ込もうとする悪魔からの誘惑を前に、旧約聖書の一節(申命記8章3節)を引用し、きっぱりとその試みを退けました。
 旧約でモーセがイスラエルの民に告げたこの部分は、四十年間この民を苦しめた荒れ野の旅の意味を明らかにしたものでした。神は苦悩を通じてあなたを試し、神の道を歩むように導いておられるのだ、というのです。
 ここでいう「言葉」は、自分の口から出る言葉ではありません。それは語るものではなく、ひたすら聞こえてくるもの、耳を傾けるものです。私たちはともすると、自分は自分の力だけで何とか生きられるし、そうすることが正しいのだ、などと考えがちです。しかしそうした自己コントロールの幻想にとらわれると、自分の過ちや弱さを認められず、完璧主義になって、人や自分を責め立てるようになってしまいます。
 心の飢えや渇きを感じるとき、それを隠したり、自分だけで抱え込んでいると、目の前にすでに与えられている豊かな糧に、素直に心を開くことができません。そんなとき、せめて神の前に素顔をさらし、胸を騒がす言葉をしずめて、沈黙のうちに祈ることができれば、そこには荒れ野から緑なす谷間へ通じる、一筋の道が見えてくるように思うのです。

人間生活学科 准教授  﨑川 修