2012年
10月15日

七つまでは神のうち|小嶋博巳|現代社会学科の紹介11

現代社会学科の紹介 ─ 授業/エッセイ
<第11回>  七つまでは神のうち
現代社会学科 小嶋博巳(民俗学)

 この連載の第9回で、ヨーロッパ社会史の轟木さんが、ヨーロッパにおける"子ども"の誕生について書いていました。それを受けて、民俗学の立場から日本の社会における子どものことを少々書いてみたいと思います。

 日本には「七つまでは神のうち」という言葉がありました。地方によっては「七つまでは神の子」と言ったり、「六つまでは」と言ったりすることもありますが、言わんとするところは同じです。これはつまり、数え年7歳になるまでは完全に人間社会の存在だとはみなさない、という意味だと理解されます。それ以前の子どもは、半分(以上)、あちら側――神とか霊といったものの世界に属しているというのです。数え年というのは、生まれた時点で1歳と数え、それから正月を迎えるごとに1つずつ加えてゆく年齢の数え方ですから、数えの7歳は満年齢の5歳ないし6歳ということになります。現在でもほぼ就学年齢に相当し、江戸時代でも「手習い上げ」という初等教育の開始はこの年齢だったのですが、それまで子どもたちは、いわば、あの世とこの世の境界にいると考えられていたのです。

 もっとも、「七つまでは~」という言葉にはいろいろなニュアンスが含まれています。一つには、子どもの霊魂は非常に不安定だという認識が、ここには籠められていました。その前提にあるのは、人間には肉体と霊魂があり、母胎で成長した肉体にどこからかやって来た霊魂が宿ることによって子どもができあがるという生命観です。しかし、7つまでの子どもの霊魂は十分に安定した状態ではなく、少々のことで抜け出てしまうと考えられていたのです。じっさい、幼児は高熱を発してひきつけを起こし、意識を失うこともしばしばありますし、なによりも近代の半ばまでは乳幼児の死亡率はきわめて高く、子どもの霊魂はすぐにあちら側に帰ってしまったのです。そこで、子どもが気を失ったり、ぐったりしていたり、またなにかに非常に驚いたりすると、ウブ(子どもの霊魂を、多くの地方でこう呼びました)が飛んだといって、それを呼び戻すさまざまな呪い(まじない)がおこなわれました。

 もう一つ、子どもは神や悪霊といった超自然的存在と接触をもちやすいという意味も、この言葉は含意していました。
江戸時代の幼児の髪形の絵を見たことがありますか。基本的には丸坊主なのですが、うなじの真ん中、盆の窪(ぼんのくぼ)と言われる部分か、またはそこと両側の鬢(びん)、頭頂部などにだけ、わずかに髪を剃り残した髪形が目につくはずです。これをトトゲとかトトクイゲ(魚喰い毛)といい、多くの地方で、子どもが川や囲炉裏(いろり)など危険なところに落ちそうになったとき、神さんがここをつかんで助けてくれるのだと言い伝えていました。

 現在、こうした髪形を見ることはないでしょうが、しかし近い考え方はいまでも耳にすることはあります。新生児微笑に関する伝承がそれです。生まれてまだいくらも経たない赤ちゃんが、大人には見えない何かを相手に、にいっと笑うような表情をすることがあります。これを、神さんがあやしてくれているというのです。岡山県の浅口市あたりでは「ウブの神さんが赤子の尻をつねって(あやして)いる」と言うそうですし、私の郷里の静岡県では「オボツナサンが笑かしてる」と言っていました。「天神笑い」とか「地蔵笑い」という地方もあります。ウブの神さん、オボツナサン、天神、地蔵、いずれも新生児を守護してくれる神さん仏さんの意味でしょう。子どもには、いつも神さんがそばにいて見守ってくれているという考えがうかがえます。

 子どもが神と接触をもちやすいということは、また他方では悪しき霊的存在にねらわれやすいということでもありました。たとえば、子どもの夜泣きがそうです。人びとがきびしい肉体労働に従事していた社会では、夜泣きは大きな実害をともなう災いで、これは子どもになにかよくないものが取り憑(つ)いたためにおこると考えられていました。おしめの夜干しが非常に忌み嫌われたのは、人外のものが活動する夜という時間帯に赤子が肌につけるもの屋外に出しておくと、それを通して悪霊・邪霊の類が取り憑くと危惧したからにほかなりません。

 このほか、祭に登場する稚児が神の宿る依坐(よりまし)として扱われるのも、また、子どもの不可思議な失踪事件を「神隠し」と呼んだのも、同じように、子どもがあちら側の世界と非常に近いところにいるという認識の所産でしょう。民俗学の教えるところに従うならば、どうやら日本の伝統的な思考法のなかでは子どもは「小さな大人」ではなく、異界との境界的・両義的存在とみなされていた面が大きいように思われます。
 ただ、これがどこまで遡りうるものなのか、ヨーロッパ社会のようにどこかで子ども観の大きな変化がなかったかどうかは課題です。民衆のあいだで「家」というものが意味をもち始める中世から近世への移行期に、なんらかの変化があった可能性はあります。ただ、古代の史料にも子どもに神が乗り移って託宣するという例があることなどをみると、子どもの両義性の認識はかなり根深いものがあるように思うのですが。

 民俗学というのは、このように、生活のなかに潜むイイツタエ(伝承)やシキタリ(慣習)を資料として、民衆の生活やものの考え方の歴史を探ろうという学問です。