組織の理念分析
―大学の場合―


濱西栄司 准教授

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 今回は、少し難しい話です。

 筆者は、いろいろな社会組織(組織未満の集団や群集も含め)について、社会学的な分析をおこなっています。普段、分析しているのは、たとえば、国際機関やNPO、NGO、会社、協同組合、行政組織等ですが、一昨年度から昨年度にかけて、国内外のカトリック系大学の理念や歴史に関する分析を求められる機会がありましたので、そのことをここではかんたんに御紹介します。

 

1.組織の目的(理念)

 まずは「組織」(organization)というものの基礎知識。組織には必ず「目的」(メンバー共通の目的)が存在します――場合によって「理念」という言い方もされます(図1)。会社であれば、利潤の追求。国家であれば憲法に示された理念等々。

                    図1 組織とその目的(理念)

 どのような組織であっても、組織の目的(理念)を把握することが、組織分析の第一歩です。もちろん、現実の組織は、目的(理念)を不十分にしか実現できていません。ですが、目的(理念)を把握することで、その実現を妨げている要因を客観的に分析することができます。また現実の組織を評価し、改善していくこともできるようになります。そのため、会社であっても、国家でも、国際機関であっても、NPO法人であっても、まずその組織の目的(理念)に注目することが重要なのです。

 

2.大学組織と重層的な理念規定

 さて世界中に存在する「大学」という組織も、それぞれ目的(理念)を有しています。ここでは、理念を特に重視している私立大学、その中でもカトリック系大学の場合について考えてみましょう。参考にしたのは、主に全米カトリック大学協会(ACCU)の資料(注1)等です。

 ACCUによれば、まず①カトリックの教育理念は、「教育の普遍的権利」、「道徳的宗教的教育」、「信仰と科学の調和」、「リベラル・アーツ」(注2)といった特徴をもつとされています。その上で、本学のように設立母体(修道会等)が、②「Marianist」(聖母マリア系:「信仰の人」、「聖母マリアの追従者」、「コミュニティの人」、「平等の原則」、「ミッションのリーダー」であることを重視)の場合、その教育理念は、「信仰の下での陶冶に向けた教育」「統合された質の高い教育」「家族的精神のなかでの教育」「奉仕、正義、平和のための教育」「適応と変化のための教育」の提供にあるとされます。さらに本学の場合、設立母体は、③聖ジュリーの実践(貧しく虐げられた人のために働き、行動を大切にし、教育者の教育を重視し、生活と教育を一致させる)を範としており、教育理念にもそれらの特徴が現れることになります(注3)。カトリック系大学の教育理念は、基本的に、このように重層的に規定されることになるわけです(図2)。

図2 教育理念の重層的規定

(全米カトリック大学協会資料他を基に筆者作成)

 

 もちろん、実際の組織は、理念どおりにはなりません――本学であれば、戦前・戦中・戦後の大学運営の歴史と日本の法律等に影響を受けています。それでも、理念をまず把握することによって、現実の組織とのズレの原因を探ることができますし、改善していくための方針を立てることもできるのです。これは会社でも、国家でも、国際機関でも基本的に同じことです。組織の分析においてまず理念を把握することは、非常に重要なのです。

 

 

1)全米カトリック大学協会(Association of Catholic Colleges and Universities :ACCU)会長によるThe Catholic Intellectual Tradition at Catholic Colleges and Universities(PP)、及びAssociation of Catholic Colleges and Universities のHP内のCatholic Intellectual Traditionページ等を参照。

2)「リベラル・アーツ」という言葉は日本でも知られていますが、カトリック系とプロテスタント系の違いはほとんど知られていません。そもそも「リベラル・アーツ」教育とは、特定分野の知識・技術を狭く極めるのではなく、広い視野に立ったものの見方や考え方を身につけたリーダーの育成、を念頭におくものです。もともとは人々を導くキリスト教の宣教師の育成のための手法でしたが、その後、さまざまなコミュニティのリーダー、政治家の育成につながり、現在では、自分・社会のために知識を得る人、責任ある個人、世界に関わる人を養成するという理念を共有しています。具体的には、大学においては、幅広い科目を用意し、少人数制を徹底し、根拠を示す・求める力を磨き、読み・書き・意思疎通する力、論理力、言語力、質問力を養うことを重視するカリキュラムとして表れます。ただし、カトリック系とプロテスタント系で違いもあります。Catholic Education Research CenterのHP内のThe Value of a Catholic Liberal Arts Educationページにもあるように、「プロテスタント系リベラル・アーツ」(PLA)は、自由をかなり重視し、また学生の判断を重視します。それに対して、「カトリック系リベラル・アーツ」(CLA)は、(特にカリスマに関わる)宗教的な儀式・儀礼を重視し、自由放任ではなく、互いに「コミュニティ」のメンバーとして面倒をみるという特徴があります。PLAの代表はたとえばアメリカのAmherst、Wellesley、Williams大学などです。日本では国際基督教大学(ICU)がそうだといえます。CLAの代表格は同じくボストンカレッジなどであり、国内では本学などです。

3)シスター・オブ・ノートルダム(1934)、ノートルダム清心女子大学(1970)、メリー・リンスコット(1970)等を参照。

 

参考文献

ノートルダム清心女子大学、1970『ノートルダムの教育――その理念と方針』ノートルダム清心女子大学.

シスター・オブ・ノートルダム、1934『福者ジュリー・ビリアート伝』清心高等女学校.

リンスコット・M、1970、『講演録 メリー・リンスコット ノートルダムの教育』ノートルダム清心女子大学.

 

参考サイト

Association of Catholic Colleges and Universities のHP内のCatholic Intellectual Traditionページ
http://www.accunet.org/About-Catholic-Higher-Ed-Catholic-Intellectual-Tradition (最終閲覧日:2018/6/4)

Catholic Education Research CenterのHP内のThe Value of a Catholic Liberal Arts Educationページ
https://www.catholiceducation.org/en/education/catholic-contributions/the-value-of-a-catholic-liberal-arts-education.html (最終閲覧日:2018/6/4)

Institute of Catholic Liberal EducationのHP
https://www.catholicliberaleducation.org/news.html (最終閲覧日:2018/6/4)

Learn.orgのHP内のCatholic Liberal Arts Collegesページ
https://learn.org/articles/Catholic_Liberal_Arts_Colleges_Your_Questions_Answered.html (最終閲覧日:2018/6/4)















武鑑全集―見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」―

 
 現代社会学科 藤實久美子教授(協力「見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」」の紹介です。


 武鑑(ぶかん)は江戸時代の大名家や幕府役人に関する名鑑のことです。これまで筆者は歴史学の手法を使って、武鑑にアプローチしてきました。しかし、「四の五のいわずとも、眺めているだけで楽しい」。江戸の空気が詰まった武鑑には「ワクワク感」があります。

この「ワクワク感」が、情報学・統計学の最新技術によって多くの人びとに共有される時代に入りました。これを後押ししているのはオープンサイエンスという考え方です。

オープンサイエンスとは、ある特定の分野研究の専門家だけでなく、さまざまな人が、多様な方法で研究活動に参加できるようにする動きのことで、日本の人文学分野では人文学オープンデータ共同利用センター(Center for Open Data in the Humanities / CODH)が情報技術を用いた新しい人文学の方法論の開拓をけん引している。

北本朝展(きたもとあさのぶ)先生は、人工知能(AI)の最新技術なども活用しながら、画像を切り取って集めるソフトウェアを開発して、武鑑を再編集(キュレーション)しました。

見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」(情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設 人文学オープンデータ共同利用センター制作)に最新の成果が公開されています。

 江戸の情報空間をどのように現代によみがえらせるのか。プロジェクトは現在進行形で進められています。

福島藩の幕末・戊辰戦争


藤實久美子教授

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 慶応4年(1868)正月9日朝、「去3日鳥羽・伏見の戦いで徳川幕府軍は敗北した」との報が福島城に入った。福島藩内の議論は、朝廷を支える勤王か。幕府を支える佐幕か。両論に分かれた。正月15日、「徳川慶喜追討命令」が奥羽諸藩に発せられた。福島藩内は勤王に傾いた。佐幕を唱える江戸留守居馬淵清助は国許に呼び戻され、揚屋(あげや・牢獄)入りを命じられた。
 3月5日、福島藩主板倉勝尚(当時17歳)は江戸を出立した。帰福途中の下野国喜連川には藩士が待ち受け、「上京」を進言する。だが勝尚は帰福する。これはその後に大きな影響を与えることになる(写真1 板倉神社 福島城址にある)。

                写真1 板倉神社 福島城址にある

 
 4月10日過ぎ、福島城下には会津討伐先鋒の任務をおった仙台藩士が集まり始める。
 閏4月11日、奥羽諸藩は白石城で会議を開き、会津藩主松平容保の謝罪嘆願を決める。12日仙台藩領岩沼に置かれた奥羽鎮撫使の総督府に、仙台藩主伊達慶邦(43歳)・米沢藩主上杉斉憲(48歳)はおもむく。総督府は提出された嘆願書を受理した。しかしながら、下参の世良修蔵の強硬意見によって嘆願書は却下され、総督府は戦闘続行を決めたという。
 閏4月20日、世良修蔵は福島城下で仙台藩士に暗殺される。
 閏4月23日、奥羽諸藩は白石城に再び集まり、新政府軍に対抗する奥羽列藩同盟を結ぶ。同盟軍事局は福島城下の舟場町(ふなばちょう)長楽寺に置かれた(写真2 長楽寺)。

                   写真2 長楽寺

 閏4月27日、棚倉から援兵依頼の書状が福島藩に届いた。
 翌日申刻(16時)過ぎ、藩主の見送りを受けて、陣貝(じんがい・ほら貝)の音と共に福島藩軍は出発する。以後、福島藩軍は奥羽街道を南下する。
 5月3日、つぎの4点が仙台藩の参謀増田歴治繁幸より伝えられる。

  (1)  白河城は新政府軍によって奪取されて「味方」は敗走した。
  (2)  大軍をもって今後白河城を攻める。
  (3)  番手は1番二本松藩、2番会津藩、3番仙台藩、4番福島藩とする。
  (4)  進軍の指図は仙台藩参謀増田が務める。

 目指す場所は白河城に変更された。
 5月6日、福島藩軍は郡山善道寺に到着する。9日から20日まで福島藩軍は須賀川に滞陣した。25日二本松藩隊長丹羽右近より書状が届き、また6月1日仙台藩隊長中島兵衛助の来陣があり、5日白河城総攻撃と決まった。しかし、攻撃は延期される。
 12日七ツ時(午前4時)、外面(とづら)から大谷地(おおやじ)に繰り出す。仙台藩隊長中島に続いての出陣であった。六ツ半時(午前7時)味方優勢となり、大谷地から金勝寺山手前まで繰り出す。砲戦は2時間におよび、混乱は極まり、応戦はもはや難しくなった。
 未刻(午後2時)、外面まで後退し、中島も矢吹まで退却したとの知らせが入る。福島藩軍も矢吹に引き揚げる。ただし21名は帰らぬ人となった。
 16日、福島城から矢吹に早馬が着き、次のことが伝えられた。福島から兵の補強は望めない。この場で頑張ってほしい。藩主は戦場の様子を詳しく聞き落涙された。
 17日、仙台藩士泉田志摩(福島軍事局参謀)が矢吹に到着し、諸藩の隊長は集められた。その後、仙台藩物頭今村鷲之助より福島藩に対して兵の増員が示唆される。しかし福島藩は矢吹南関門の守衛を務めるにとどめ、人員交代を名目に5・6人ずつ引き揚げることにする。
 7月25日、新政府軍による二本松攻撃は近いとのことから、藩主は米沢藩領板谷に退去する。その後、二本松城の戦況が決まる。藩論は分かれたが、29日福島城は開城し、城と城下は仙台藩・米沢藩の管理下に入った。8月15日仙台藩降伏、9月4日米沢藩降伏。福島城には新政府軍渡辺清が入った。

  以上は、戊辰戦争での福島藩軍の動きである。
 ここからは福島藩軍が仙台藩の隊長の指示に従って動いたことがわかる。そのためであろう。これまで福島藩の行軍の様子は知られていなかった。

  今回、福島民報社主催「戊辰戦争150周年歴史講演会 福島県の幕末と戊辰戦争を読みなおす」にお招きいただいた(リンクhttp://www.minpo.jp/news/detail/2018050451335)。講演準備のなかで福島県立図書館所蔵の「陣中日誌」を解読する機会を与えられた。
 「陣中日誌」の記主は福島藩物頭・高橋秀蔵直周である。「地域の視座から通史を撃て」とは歴史家宮地正人の名言である。地域史料を地道に解読して共有してゆくことは、私たちの務めである。

 

 

【参考文献】福島市教育委員会編、1973『福島市史』




第10回学術公開講演会のお知らせ(現代社会学科主催)

「ブータンから学ぶ幸福のカタチ」

講師 本林(もとばやし)靖久(やすひさ) 士 氏  宗教人類学、民俗学、大阪大学等非常勤講師

日時 2018年 6月27日(水)14:45~16:15

場所 2300JB(学内ヨゼフホール3階)
コーディネーター 小嶋博巳・現代社会学科教授

入場無料・事前申し込み不要
ご多用と存じますが、皆さま奮ってご参加ください。

【内容】
 ブータンが近年、「世界一幸せな国」と言われ、注目されていることをご存知でしょうか? ヒマラヤ山脈の南にあり、チベットとインドに挟まれた小さな国です。人々は、仏教を信仰し、豊かな文化や伝統を大事に生活しています。
 この国の特徴は、GNH(Gross National Happiness)を提唱し、GNP(国民総生産)で測られる経済的な成長よりも、国民の幸せ度を上げることを重視していることです。これが、「世界一幸せな国」につながっているのです。
 でも、実際ブータンの人びとは、幸福をどのように考えてきたのでしょうか? 長年ブータンを研究されている宗教人類学者・民俗学者の本林靖久先生から、ブータンから学ぶ幸福のカタチについてお話しいただきます。


【本林靖久先生のご紹介】
・ご専門 宗教人類学、民俗学
・ご所属  大阪大学・大谷大学ほか非常勤講師、日本宗教民俗学会副代表委員
・主なご著書
 『ブータン・スタイル―仏教文化の国から―』(京都書院、1998年)
 『舞鶴市の地域資源を活用したフィールドワークのあり方に関する調査研究:調査報告書』
                            (大学コンソーシアム京都、2004)
 『ブータンと幸福論―宗教文化と儀礼―』(法藏館、2006)
 『ブータンで本当の幸せについて考えてみました。―「足るを知る」と経済成長は両立するだろうか?―』
                        (共著、阪急コミュニケーションズ、2013)

問い合わせ先 〒700-8516 岡山市北区伊福町2-16-9
        ノートルダム清心女子大学文学部現代社会学科 小嶋・横田

ラブリー&コスモポリタン

轟木広太郎准教授

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 2017年度、海外研修ということで、パリとケンブリッジに滞在する機会を得ました。まったくタイプの違う町ですが、ともに、じつに多様な国籍・民族の人たちが入り混じって暮らしているという点では似通った両都市です。ただ、雰囲気はかなり違っていて、パリがエスニック(多民族的)であるのに対して、ケンブリッジはコスモポリタン(世界市民的)だと言えそうな気がします。今回は、ケンブリッジの話を少々...。

 ケンブリッジは言わずと知れた大学町です。30を超えるカレッジと大学の施設が各所に点在していて、それが町のコスモポリタン的雰囲気を醸し出す源になっているのは間違いありません。世界中から多様な出身地の人が集まってくるのですが、この人たちは何か、「知的な折り目正しさ」のようなものを市民生活の共通の中心軸に据えるようにして暮らしています(私もとりあえず、そんな顔をしていました)。キングズ・カレッジの荘重さはあたかもその象徴のようです(写真①)。

                     写真①

 こういうと、しかつめらしくて何か窮屈そうに聞こえますが、タクシーの運転手はきまって「この町はラブリーなところだ」というようなことを言いますし、住民が、顔見知りでなくても互いによく挨拶を交わすような、実際はなごんだ空気にあふれたところです。そして、なぜか町中の人が自転車(イギリスでは「バイク」という)に乗って走り回る活気あふれる場所でもあります(写真②)。

                     写真②

 私も小学校への子供の送り迎えの必要から中古自転車を買って乗っていましたが、なんどか高級そうな変速機付きバイクに乗ったそこそこの年齢のご婦人に追い抜かれました(こちらも「おじさん」だけど)。しかも、そのやたらに多い、おまけにさまざまな種類の自転車が、車と同じように信号を出しながら(手信号)、堂々と車道を疾走しています。これも、共通のルールのうえを走っている国際的な市民感覚のなせる業、というと聞こえはいいですが、みんな、えっちらおっちらと必死にペダルを漕いでいるのには違いありません。

 それから、町のなかにはかなり広大な緑の公園が随所に存在しています。これもパリのいろいろ手の込んだ由緒ある公園とは違って、ただ緑地が広がっているという感じで、むしろ開放感に満たされます。今回住んでいた所属カレッジのフラットの裏にも林があって、リスと小型の鹿がときどき姿を見せに来ました(写真③)。なんとその鹿は、もとは中国から来た鹿だそうです。こんなところにもラブリー&コスモポリタンが...。
                     写真③