総監視社会の中で:情報ツールとの付き合い方をめぐっての雑感

                                                                                 

山下 美紀 教授

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 携帯電話を失くした。
すぐさま契約会社に連絡をして使用を止めてもらう。紛失したと思われる所に連絡を試みるが見つからない。
どうしよう。
決めた!もうケータイ持つのをやめよう!
ゼミ生にケータイの紛失を伝えると「えー」との声。さらに、これから携帯電話は使わない予定である旨伝えると、「ギョえ゛ー」という絶叫。ゼミ生たちからの「みんなでキッズホンを買ってあげるから持ってください」という優しいお申し出をきっぱり断り、携帯のない生活が始まった。

(連絡は糸電話か、伝書鳩か。)

 

 不便かというとさして困らない。そもそもガラケーなので、用途は電話機能とメール機能のみ。しかし、家に固定電話はあるし、パソコンからメールは送れるので不便はない。むしろ、連絡手段を持っていない私とは簡単に連絡が取れないので、ドタキャンや待ち合わせの遅刻が減る。
 一方、スマホのない生活など考えられないという学生たち。スマホで利用する機能は多岐にわたる(らしい)。そしてそれは、生活にとって重要な位置を占める(らしい)。
情報社会といわれて久しいが、情報化の進展は私たちの生活世界にどのような影響を与えているだろうか。
 先日、ゼミ生たちとゼミ旅行に行った。旅行の間、とにかく彼女たちはスマホを活用している。フェリー乗り場、ランチの場所、入場料金、乗り換え路線をいともたやすく調べてくれる。ありがとう。そして、行く先々で撮影タイム。FBやライン、ストーリーにつぶさに挙げている。

(2018年度ゼミ旅行(宮島にて)。すべてゼミ生が計画してくれた。)

 

 誰が、いつ、どこで、誰と、何をしているかがあっけなく判明する。

 1975年フーコー1)は、ベンサム2)の考案したパノプティコン(一望監視装置)3)が近代社会の特徴であることを指摘した。権力側の「監視する者」は「監視される者」に知られることなく人々を監視することができるという。監視される者は、監視者によって個人的に特定され、常に見られ、その私的な個人情報は蓄積されていく。監視されている側=つまり私たち一般人は、監視されていることを意識しながら生活せざるを得ないというのである。
 ところが、現在はどうだろう。スマホなどの利用によって「監視する者」と「監視される者」は常に入れ替わる。厄介なのは、自分が他者を監視していることも、また他者から監視されていることも意識されていないことである。さらに、SNSなどを通じて、軽々と自分の情報を見世物(スペクタクル)化しているといえる。知らない間に、自分のあれやこれやが、不特定多数の他者に無意味に知られていく、、、、。これ以上は怖いので考えないことにしよう。
 ところで、先日、携帯電話が戻ってきた。どうやって付き合っていこうか、悩みどころである。

 

1) Foucault,Michel 1926-1984 フランスの思想家・歴史家。言説の産出・配分を統率する権力の関係や政治学、それらの歴史的変化の過程に分析の焦点をあてている。近代社会のなかで登場してきた監獄、さらには学校、工場、病院が、人々に対して規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として機能していることを指摘した。
 Surveiller et punir:naissance de la prison,Gallimard,1975(=田村淑訳、『監獄の誕生』新潮社、1977.)

2)Bentham,Jeremy 1748-1832 イギリスの法学者。古典的功利主義の創始者。パノプティコンに「一望監視装置」という訳語を考案し、監視の存在が人々の性格を改善し、習慣を新たにするという効果を主張している。

3)パノプティコン(=panopticon)とは、「すべて」を表す pan と「見る場所」を表すopticonからなる語で、監獄の監視体制を示している。中央に高い監視塔を設け、それを取り巻く形で工房や監房を配置すると、監視塔からは各房の内部が見渡せるが、房のなかからは監視者が見えない。

現社で歴史に出会うとき

西尾和美教授

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 列島各地で地震、豪雨、猛暑、台風などの被害が相次いだ今年の夏から秋。思いもかけず失われた多くの人びとの命。生活再建への厳しい道のり。人びとの負った痛手はどれほど深いだろう。当面の被害を免れた地域でも、いつどんな災害に見舞われるかと不安を抱く。

 大学では、例年通り後期授業が始まったが、今年はその貴重さを思わざるを得ない。そこで、今回のブログでは、授業の話をしてみようと思う。

 歴史も学べる現代社会学科には、「史料講読」という科目がⅠからⅣまである。日本中世史専門の私が担当している「史料講読Ⅰ」では、かつて岡山県の北西部にあった新見(にいみの)(しょう)という荘園の史料を読んでいる。高校までの日本史では、京都や奈良、鎌倉、江戸・東京以外の歴史に触れることは少ないが、新見荘は、京都の東寺(とうじ)領となって「東寺(とうじ)百合(ひゃくごう)文書(もんじょ)」(2015年10月、ユネスコ世界記憶遺産に登録)などに膨大な史料が残る、中世有数の荘園である。

       写真1. 新見荘を知る。
              右から、近藤義郎・吉田晶編『図説 岡山県の歴史』河出書房新社、1990年。
                             岡山県史編集委員会『岡山県史』中世Ⅱ、1991年。
                             藤井学ほか『岡山県の歴史』山川出版社、2000年。
 
 授業で読んでいる史料は活字だが、日本史ながら漢文で、平仮名があっても旧仮名遣いで濁点もない。今どき珍しい通年4単位の科目である。果たして1年間やっていけるのか、4、5月の学生のリアクションペーパーは不安の声が占める。「あーら、大丈夫よ!」と励まされても表情は固い。それが6、7月頃だろうか。「難しい、難しい」に、控えめながらも「楽しい!」という声が混じり始める。今年も、読み方や意味を学生同士で相談し合って、あたっては盛り上がり、はずれても盛り上がり、ときに超少人数クラスとは思えないにぎやかさを見せる。

 それは、なぜだろう。高校までは、教科書に書いてある、暗記すべき単語がちりばめられた1つの決まったストーリーが歴史であった。しかし、自ら史料と格闘して知る歴史はちがう。名前も存在すらも知らなかった人間とその営みに、自分たちの力で近づき、それぞれの感性で何かを思う。

 新見荘の農民たちは、過酷な代官を追い出し、荘園領主である東寺が直接に支配してくれるよう、使者を上京させて粘り強く交渉する。

               写真2.(寛正2年)備中(びっちゅう)(のくに)新見庄(にいみのしょう)名主百姓等(みょうしゅひゃくしょうら)申状(もうしじょう)(ならびに)連署(れんしょ)起請文(きしょうもん)(え(はこ)23。部分)
                               起請文末尾に、名主百姓41名が署名と略押(りゃくおう)(簡単な印の署判)を連ねる。
                               (以下、写真2~4はすべて、京都府立京都学・歴彩館の東寺百合文書WEB公開画像による)

 
 やがて(ゆう)(せい)という東寺の僧侶が現地支配のために京都から下ってくるが、農民たちは一筋縄ではいかず、異常気象で作物が大きな被害を受けた年には、近隣の村の情報も収集して一歩も引かずに年貢減免を要求する(写真3・4)。
               写真3.(かん)(しょう)3年(1462)12月13日新見庄代官(ゆう)(せい)注進状(ちゅうしんじょう)(え函33。部分)
                                           農民たちの強い年貢減免要求を領主の東寺に注進し、対応を相談している(一条目)。

 

               写真4.(寛正4年)たまがき書状(ならびに)新見庄代官祐清遺品(いひん)注文(ちゅうもん)(ゆ函84。部分)
                          たまがきは、代官祐清の身の回りの世話をした女性。
                                           祐清死後、東寺に葬儀の算用を報告するとともに、遺品の形見分けを願い出ている。
                                           中段末尾に「たまかき」と署名が見える。
                                           室町時代の地方在住女性の自筆書状として稀有なもの。


 現代の状況とも重なりつつ、学生たちは気づくのかもしれない。自分たちが困難や違和感と格闘しつつ読んでいる史料の向うにいるのは、時代は違っても、頑張って生きようとする、ときにはかけ引きもする、今の自分たちと変わらない人間だった。

 史料がもたらす気づきは大きい。それは、間接的で迂遠だが、史料の向うにいた命たちと現代の私たちの命が出会うゆえに生み出される力だ。学生たちよりはるかに長い年月、史料とも現代の現実ともささやかながら格闘してきて、私はそう感じている。

身近にある「異文化体験」のススメ


二階堂裕子 准教授

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 グローバル化が進む今日では、異なる文化を持った人同士が直接向き合っていかなければならない状況にあります。そのため、異なる文化を持つ人々と積極的に交流し、互いの文化や価値観の違いを受け入れつつ、新たな関係を創造することが求められるようになりました。そうした機会のひとつとして、海外留学の人気が高まっています。高校生の中には、大学生になったら、自分も海外の大学へ留学してみたいと考える人も多いことでしょう。
 しかし、そのような「異文化接触」は、外国へ行かなければ体験できないというわけではありません。 そこで、身近にある「異文化体験」として、私がゼミの学生とともに2015年から岡山県美咲町で続けているフィールドワークについて紹介しましょう。
 岡山県の中央部にある美咲町は、人口14,000人あまり(2018年7月末現在)の小規模自治体で、人口減少と少子高齢化が著しく進む過疎地域です。これまで、ゼミの学生たちは、美咲町の住民や自治体職員のほか、他の地域からやってきた多くのボランティアの人々とともに、空き家となっていた現地の古民家を新しい活動拠点として生まれ変わらせたり、美しい棚田で田植えや稲刈りを行ない、農業の再生を支援したりする取り組みに参加してきました。

          写真1 美咲町「棚田きんちゃい祭」で田植え体験(2018年6月)

 現在、私たちが関わっているのは、美咲町大垪和地区で、現地の女性たちが運営する農村レストラン「やまっこ」の支援です。「やまっこ」では、手作りの豆腐や油揚げのほか、地元で生産された新鮮な野菜や米などを使ったお惣菜の人気が高いのですが、これまでメニューにデザートがありませんでした。年齢を問わず、多くの人に喜んでもらえるデザートを考案することが、ゼミ生たちの目下の仕事です。
              写真2 「やまっこ」で「伝説の油揚げ」を作る

 このほか、2016年から行われている「美咲芸術世界」の支援も、私たちが力を入れている活動のひとつです。「美咲芸術世界」は、大垪和地区に移住してきたアーティスト夫婦の発案で始まったアートイベントで、これまで廃校となった小学校や神社などを会場として開催されてきました。作品の展示やミュージカルの上演のため、この夫婦はもちろん、夫婦の友人であるアーティストたちが世界各国から現地に集い、1カ月近くを費やして準備にあたります。ゼミの学生たちは、この過程を手伝うほか、イベント開催中も運営に関わります(2018年は9月23日から10月28日まで開催)。
            写真3 「美咲芸術世界2018」の準備(2018年8月)

 これらの活動を振り返ってみると、それはある意味で、私たちにとって貴重な「異文化体験」の連続でした。田植えや稲刈りなどの農作業を初めて経験した学生の多くは、農業の楽しさと厳しさを肌で感じることとなりました。また、異なる世代や職業、人生経験をもつ人々との協働作業を通して、多様な生き方や価値観があることを学びました。とりわけ、個性豊かなアーティストたちとの出会いは、私たちの人生観を大きく変えてしまうほどの刺激あふれるものでした。さらに、「やまっこ」でいただいた油揚げやごはんの素朴な美味しさに加えて、そこで働く女性たちの親切さにすっかり魅了された者、携帯電話の電波が届かない場所で過ごす時間がもどかしく、自分がいかに「IT社会」にどっぷりとはまって生活しているかを痛感した者もいます。これらはいずれも、通常の大学生活では得がたい経験であり、美咲町での活動は、私たちの視野を広げ、新たな自分を「発掘」する、かけがえのない機会なのです。
 だから、フィールドワークはやめられません。身近な「異文化体験」を、見直してみませんか。

組織の理念分析
―大学の場合―


濱西栄司 准教授

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 今回は、少し難しい話です。

 筆者は、いろいろな社会組織(組織未満の集団や群集も含め)について、社会学的な分析をおこなっています。普段、分析しているのは、たとえば、国際機関やNPO、NGO、会社、協同組合、行政組織等ですが、一昨年度から昨年度にかけて、国内外のカトリック系大学の理念や歴史に関する分析を求められる機会がありましたので、そのことをここではかんたんに御紹介します。

 

1.組織の目的(理念)

 まずは「組織」(organization)というものの基礎知識。組織には必ず「目的」(メンバー共通の目的)が存在します――場合によって「理念」という言い方もされます(図1)。会社であれば、利潤の追求。国家であれば憲法に示された理念等々。

                    図1 組織とその目的(理念)

 どのような組織であっても、組織の目的(理念)を把握することが、組織分析の第一歩です。もちろん、現実の組織は、目的(理念)を不十分にしか実現できていません。ですが、目的(理念)を把握することで、その実現を妨げている要因を客観的に分析することができます。また現実の組織を評価し、改善していくこともできるようになります。そのため、会社であっても、国家でも、国際機関であっても、NPO法人であっても、まずその組織の目的(理念)に注目することが重要なのです。

 

2.大学組織と重層的な理念規定

 さて世界中に存在する「大学」という組織も、それぞれ目的(理念)を有しています。ここでは、理念を特に重視している私立大学、その中でもカトリック系大学の場合について考えてみましょう。参考にしたのは、主に全米カトリック大学協会(ACCU)の資料(注1)等です。

 ACCUによれば、まず①カトリックの教育理念は、「教育の普遍的権利」、「道徳的宗教的教育」、「信仰と科学の調和」、「リベラル・アーツ」(注2)といった特徴をもつとされています。その上で、本学のように設立母体(修道会等)が、②「Marianist」(聖母マリア系:「信仰の人」、「聖母マリアの追従者」、「コミュニティの人」、「平等の原則」、「ミッションのリーダー」であることを重視)の場合、その教育理念は、「信仰の下での陶冶に向けた教育」「統合された質の高い教育」「家族的精神のなかでの教育」「奉仕、正義、平和のための教育」「適応と変化のための教育」の提供にあるとされます。さらに本学の場合、設立母体は、③聖ジュリーの実践(貧しく虐げられた人のために働き、行動を大切にし、教育者の教育を重視し、生活と教育を一致させる)を範としており、教育理念にもそれらの特徴が現れることになります(注3)。カトリック系大学の教育理念は、基本的に、このように重層的に規定されることになるわけです(図2)。

図2 教育理念の重層的規定

(全米カトリック大学協会資料他を基に筆者作成)

 

 もちろん、実際の組織は、理念どおりにはなりません――本学であれば、戦前・戦中・戦後の大学運営の歴史と日本の法律等に影響を受けています。それでも、理念をまず把握することによって、現実の組織とのズレの原因を探ることができますし、改善していくための方針を立てることもできるのです。これは会社でも、国家でも、国際機関でも基本的に同じことです。組織の分析においてまず理念を把握することは、非常に重要なのです。

 

 

1)全米カトリック大学協会(Association of Catholic Colleges and Universities :ACCU)会長によるThe Catholic Intellectual Tradition at Catholic Colleges and Universities(PP)、及びAssociation of Catholic Colleges and Universities のHP内のCatholic Intellectual Traditionページ等を参照。

2)「リベラル・アーツ」という言葉は日本でも知られていますが、カトリック系とプロテスタント系の違いはほとんど知られていません。そもそも「リベラル・アーツ」教育とは、特定分野の知識・技術を狭く極めるのではなく、広い視野に立ったものの見方や考え方を身につけたリーダーの育成、を念頭におくものです。もともとは人々を導くキリスト教の宣教師の育成のための手法でしたが、その後、さまざまなコミュニティのリーダー、政治家の育成につながり、現在では、自分・社会のために知識を得る人、責任ある個人、世界に関わる人を養成するという理念を共有しています。具体的には、大学においては、幅広い科目を用意し、少人数制を徹底し、根拠を示す・求める力を磨き、読み・書き・意思疎通する力、論理力、言語力、質問力を養うことを重視するカリキュラムとして表れます。ただし、カトリック系とプロテスタント系で違いもあります。Catholic Education Research CenterのHP内のThe Value of a Catholic Liberal Arts Educationページにもあるように、「プロテスタント系リベラル・アーツ」(PLA)は、自由をかなり重視し、また学生の判断を重視します。それに対して、「カトリック系リベラル・アーツ」(CLA)は、(特にカリスマに関わる)宗教的な儀式・儀礼を重視し、自由放任ではなく、互いに「コミュニティ」のメンバーとして面倒をみるという特徴があります。PLAの代表はたとえばアメリカのAmherst、Wellesley、Williams大学などです。日本では国際基督教大学(ICU)がそうだといえます。CLAの代表格は同じくボストンカレッジなどであり、国内では本学などです。

3)シスター・オブ・ノートルダム(1934)、ノートルダム清心女子大学(1970)、メリー・リンスコット(1970)等を参照。

 

参考文献

ノートルダム清心女子大学、1970『ノートルダムの教育――その理念と方針』ノートルダム清心女子大学.

シスター・オブ・ノートルダム、1934『福者ジュリー・ビリアート伝』清心高等女学校.

リンスコット・M、1970、『講演録 メリー・リンスコット ノートルダムの教育』ノートルダム清心女子大学.

 

参考サイト

Association of Catholic Colleges and Universities のHP内のCatholic Intellectual Traditionページ
http://www.accunet.org/About-Catholic-Higher-Ed-Catholic-Intellectual-Tradition (最終閲覧日:2018/6/4)

Catholic Education Research CenterのHP内のThe Value of a Catholic Liberal Arts Educationページ
https://www.catholiceducation.org/en/education/catholic-contributions/the-value-of-a-catholic-liberal-arts-education.html (最終閲覧日:2018/6/4)

Institute of Catholic Liberal EducationのHP
https://www.catholicliberaleducation.org/news.html (最終閲覧日:2018/6/4)

Learn.orgのHP内のCatholic Liberal Arts Collegesページ
https://learn.org/articles/Catholic_Liberal_Arts_Colleges_Your_Questions_Answered.html (最終閲覧日:2018/6/4)















武鑑全集―見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」―

 
 現代社会学科 藤實久美子教授(協力「見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」」の紹介です。


 武鑑(ぶかん)は江戸時代の大名家や幕府役人に関する名鑑のことです。これまで筆者は歴史学の手法を使って、武鑑にアプローチしてきました。しかし、「四の五のいわずとも、眺めているだけで楽しい」。江戸の空気が詰まった武鑑には「ワクワク感」があります。

この「ワクワク感」が、情報学・統計学の最新技術によって多くの人びとに共有される時代に入りました。これを後押ししているのはオープンサイエンスという考え方です。

オープンサイエンスとは、ある特定の分野研究の専門家だけでなく、さまざまな人が、多様な方法で研究活動に参加できるようにする動きのことで、日本の人文学分野では人文学オープンデータ共同利用センター(Center for Open Data in the Humanities / CODH)が情報技術を用いた新しい人文学の方法論の開拓をけん引している。

北本朝展(きたもとあさのぶ)先生は、人工知能(AI)の最新技術なども活用しながら、画像を切り取って集めるソフトウェアを開発して、武鑑を再編集(キュレーション)しました。

見て楽しむ大名家デザイン集「紋・道具」(情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設 人文学オープンデータ共同利用センター制作)に最新の成果が公開されています。

 江戸の情報空間をどのように現代によみがえらせるのか。プロジェクトは現在進行形で進められています。