関心のある不関与・無関心の不関与──都市空間のルール──


中山 ちなみ 准教授

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 人口が多く匿名的で、見知らぬ人どうしが絶えず出会ったり行き違ったりする都市空間においては、「不関与規範」という暗黙のルールが存在すると言われてきました。例えば、電車の中のような公共空間では、私たちはできるだけ他人と目を合わさないようにするために、新聞や本を広げたり、吊り広告を読むふりをしたり、外の景色を眺めたりします。こうして、「私は他人のことに関心がありませんよ」ということを、その場にいる全員が態度や行動で示すことで、お互いのプライバシーを守り、わずらわしさや無駄なトラブルを避けるためのルールなのです。みんながこのルールに従っている中で、隣の人が読んでいる新聞をのぞきこんだり、気安く話しかけたりしようとしたあなたは、都会のルールを知らない"田舎者"とみなされることになります。都会の人間関係は冷淡で、親密な関係が築けないというイメージがありますが、それはその通りなのかもしれません(洗練された都会人のスタイルとはそういうものと思っておきましょう)。

 ただし、このような「見知らぬ人にみだりに関与しない」という態度を、都市の人びとが他者に無関心であることと同義でとらえるのは誤りです。「関与しない」というルールをみんなが守り、「不関与的に」相互作用しあうことで、人びとは都市空間の秩序を保つために相互に協力しあっているのです。各自が電車の中の様子に絶えず目を配り、どの席が空いたか、自分が立つ位置はここでよいか、あのおばあさんに席を譲るべきか、痴漢と間違われないだろうか、などと観察していなければ、不関与規範は成立しません。人びとは他者に無関心なのではなく、無関心と見られるように細心の注意を払って行動しているわけです。みんなで一生懸命にお互いに干渉することを避け、無関心を装いながら協力しあっているというのは、想像すると何となく可笑しくなってきませんか。

 さて、携帯電話やスマートフォンは、不関与規範を遵守するための小道具としてうってつけのものです。画面に目を落とし、イヤホンを装着すれば、苦労せず「不関与」「無関心」の態度を示すことができます。しかしその結果、わたしたちは無関心を装うのではなく、本当に無関心になってはいないでしょうか。空間を共にしている他の人びとよりも、画面の向こう側にあるものへ関心が向かい、同じ場にいる人びとへの関心はお留守になってしまっているのではないでしょうか。

 「私はちゃんと、この場でふるまうべき行動を理解していますよ」ということを意識しながら(関心を持って)不関与を装うのと、その場の人びとに本当に関心がないために結果として不関与になるのとでは、表面上の行動は似ていますが、中身は全く異なります。公共空間にいきなり各個人宛に電話がかかってくるような時代になってから、わたしたちは社会のルールよりも、個人のルールを大切にするようになってきているといえるのかもしれません。

廟の神さま


鈴木 真 准教授

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 中国には,むかしの文人たちが書き留めた怪異譚が数多くあります。今回は(しん)(だい)(1636~1912)に著されたものの中から,「(びょう)」(おみや,ほこら)とそこにまつられている神さまのお話を紹介しましょう。

 

 ある村の少年が化け物に取り憑かれました。親は近くの土地神(村落の神さま)に対して,化け物を(はら)ってほしいと嘆願書を記し,それを燃やしました(こうすると,あの世に届くのです)。その夜,土地神が親の夢に現れますが,「化け物はたしかに取り憑いているが,自分の力ではどうしようもない」と告げます。
 そこで親は,その土地神の上役である(じょう)(こう)(しん)(都市の神さま)に嘆願します。するとある晩のこと,この世で城隍神をまつる場所を(じょう)(こう)(びょう)といいますが,その城隍廟にかざられている泥人形の兵卒の首がぽとりと落ちました。化け物の正体は城隍神の家来だったのです。だからこそ土地神は,上役である城隍神の家来をこらしめようとせず,少年の親の嘆願をこっそり握りつぶしたのでしょう。しかし,あらためて親の訴えを聞いた城隍神は公正にお裁きを下し,自分の家来をきびしく処罰したというわけです(清・()(いん)『閲微草堂筆記』巻十一,槐西雑志一)。


                 写真1:浙江省杭州の城隍廟

 またこんな話もあります。(しん)という男がひそかに妻を殺め,事故死として片付けました。罪なくして殺された妻はあの世で城隍神に訴え出ますが,城隍神は「沈の寿命はまだ尽きていないから」という理由でとりあってくれません。そこで妻は,城隍神よりはるかに格上の「(かん)(てい)」という神さまに(じき)()しようとします(現在も世界中のチャイナ・タウンでまつられている,あの天下の「(かん)(せい)(てい)(くん)」こと(かん)()のことです)。あわてた城隍神は,難癖をつけて妻を自分の城隍廟に縛りつけてしまいます。するとある日の早朝,にくき夫の沈がその城隍廟へノコノコとお参りにやって来たため,妻は復讐を果たすことに成功したのでした(清・(えん)(ばい)『子不語』巻十九,「焼頭香」)。

                   写真2:神戸の関帝廟

 このように中国の神さまには,土地神(村落の神さま)→ 城隍神(都市の神さま)→ 関帝ほか(天下の神さま)のように,明確な統属関係やランクの差がありました。格下の神さまは,格上の神さまに気をつかったり(そん)(たく)したり,あるいは不始末や職務怠慢で叱責されることをおそれていたのです。神さまの世界もいろいろ大変のようです。

中国の文人たちも小難しい学問にのみ没頭していたわけではなく,このような神さまや妖怪の出てくる怪しいうわさ話・ヨタ話なども少なからず書き残しています。それらは肩のこらない読みものとしてだけではなく,当時の人びとの日常生活や死生観・信仰を探る材料としても有用かもしれません。

 

<参考文献>

・紀昀著(前野直彬訳)『中国怪異譚 閲微草堂筆記(下)』平凡社,2008(初出1971)

・袁枚著(手代木公助訳)『子不語(4)』平凡社,2010

 


総監視社会の中で:情報ツールとの付き合い方をめぐっての雑感

                                                                                 

山下 美紀 教授

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 携帯電話を失くした。
すぐさま契約会社に連絡をして使用を止めてもらう。紛失したと思われる所に連絡を試みるが見つからない。
どうしよう。
決めた!もうケータイ持つのをやめよう!
ゼミ生にケータイの紛失を伝えると「えー」との声。さらに、これから携帯電話は使わない予定である旨伝えると、「ギョえ゛ー」という絶叫。ゼミ生たちからの「みんなでキッズホンを買ってあげるから持ってください」という優しいお申し出をきっぱり断り、携帯のない生活が始まった。

(連絡は糸電話か、伝書鳩か。)

 

 不便かというとさして困らない。そもそもガラケーなので、用途は電話機能とメール機能のみ。しかし、家に固定電話はあるし、パソコンからメールは送れるので不便はない。むしろ、連絡手段を持っていない私とは簡単に連絡が取れないので、ドタキャンや待ち合わせの遅刻が減る。
 一方、スマホのない生活など考えられないという学生たち。スマホで利用する機能は多岐にわたる(らしい)。そしてそれは、生活にとって重要な位置を占める(らしい)。
情報社会といわれて久しいが、情報化の進展は私たちの生活世界にどのような影響を与えているだろうか。
 先日、ゼミ生たちとゼミ旅行に行った。旅行の間、とにかく彼女たちはスマホを活用している。フェリー乗り場、ランチの場所、入場料金、乗り換え路線をいともたやすく調べてくれる。ありがとう。そして、行く先々で撮影タイム。FBやライン、ストーリーにつぶさに挙げている。

(2018年度ゼミ旅行(宮島にて)。すべてゼミ生が計画してくれた。)

 

 誰が、いつ、どこで、誰と、何をしているかがあっけなく判明する。

 1975年フーコー1)は、ベンサム2)の考案したパノプティコン(一望監視装置)3)が近代社会の特徴であることを指摘した。権力側の「監視する者」は「監視される者」に知られることなく人々を監視することができるという。監視される者は、監視者によって個人的に特定され、常に見られ、その私的な個人情報は蓄積されていく。監視されている側=つまり私たち一般人は、監視されていることを意識しながら生活せざるを得ないというのである。
 ところが、現在はどうだろう。スマホなどの利用によって「監視する者」と「監視される者」は常に入れ替わる。厄介なのは、自分が他者を監視していることも、また他者から監視されていることも意識されていないことである。さらに、SNSなどを通じて、軽々と自分の情報を見世物(スペクタクル)化しているといえる。知らない間に、自分のあれやこれやが、不特定多数の他者に無意味に知られていく、、、、。これ以上は怖いので考えないことにしよう。
 ところで、先日、携帯電話が戻ってきた。どうやって付き合っていこうか、悩みどころである。

 

1) Foucault,Michel 1926-1984 フランスの思想家・歴史家。言説の産出・配分を統率する権力の関係や政治学、それらの歴史的変化の過程に分析の焦点をあてている。近代社会のなかで登場してきた監獄、さらには学校、工場、病院が、人々に対して規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として機能していることを指摘した。
 Surveiller et punir:naissance de la prison,Gallimard,1975(=田村淑訳、『監獄の誕生』新潮社、1977.)

2)Bentham,Jeremy 1748-1832 イギリスの法学者。古典的功利主義の創始者。パノプティコンに「一望監視装置」という訳語を考案し、監視の存在が人々の性格を改善し、習慣を新たにするという効果を主張している。

3)パノプティコン(=panopticon)とは、「すべて」を表す pan と「見る場所」を表すopticonからなる語で、監獄の監視体制を示している。中央に高い監視塔を設け、それを取り巻く形で工房や監房を配置すると、監視塔からは各房の内部が見渡せるが、房のなかからは監視者が見えない。

現社で歴史に出会うとき

西尾和美教授

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 列島各地で地震、豪雨、猛暑、台風などの被害が相次いだ今年の夏から秋。思いもかけず失われた多くの人びとの命。生活再建への厳しい道のり。人びとの負った痛手はどれほど深いだろう。当面の被害を免れた地域でも、いつどんな災害に見舞われるかと不安を抱く。

 大学では、例年通り後期授業が始まったが、今年はその貴重さを思わざるを得ない。そこで、今回のブログでは、授業の話をしてみようと思う。

 歴史も学べる現代社会学科には、「史料講読」という科目がⅠからⅣまである。日本中世史専門の私が担当している「史料講読Ⅰ」では、かつて岡山県の北西部にあった新見(にいみの)(しょう)という荘園の史料を読んでいる。高校までの日本史では、京都や奈良、鎌倉、江戸・東京以外の歴史に触れることは少ないが、新見荘は、京都の東寺(とうじ)領となって「東寺(とうじ)百合(ひゃくごう)文書(もんじょ)」(2015年10月、ユネスコ世界記憶遺産に登録)などに膨大な史料が残る、中世有数の荘園である。

       写真1. 新見荘を知る。
              右から、近藤義郎・吉田晶編『図説 岡山県の歴史』河出書房新社、1990年。
                             岡山県史編集委員会『岡山県史』中世Ⅱ、1991年。
                             藤井学ほか『岡山県の歴史』山川出版社、2000年。
 
 授業で読んでいる史料は活字だが、日本史ながら漢文で、平仮名があっても旧仮名遣いで濁点もない。今どき珍しい通年4単位の科目である。果たして1年間やっていけるのか、4、5月の学生のリアクションペーパーは不安の声が占める。「あーら、大丈夫よ!」と励まされても表情は固い。それが6、7月頃だろうか。「難しい、難しい」に、控えめながらも「楽しい!」という声が混じり始める。今年も、読み方や意味を学生同士で相談し合って、あたっては盛り上がり、はずれても盛り上がり、ときに超少人数クラスとは思えないにぎやかさを見せる。

 それは、なぜだろう。高校までは、教科書に書いてある、暗記すべき単語がちりばめられた1つの決まったストーリーが歴史であった。しかし、自ら史料と格闘して知る歴史はちがう。名前も存在すらも知らなかった人間とその営みに、自分たちの力で近づき、それぞれの感性で何かを思う。

 新見荘の農民たちは、過酷な代官を追い出し、荘園領主である東寺が直接に支配してくれるよう、使者を上京させて粘り強く交渉する。

               写真2.(寛正2年)備中(びっちゅう)(のくに)新見庄(にいみのしょう)名主百姓等(みょうしゅひゃくしょうら)申状(もうしじょう)(ならびに)連署(れんしょ)起請文(きしょうもん)(え(はこ)23。部分)
                               起請文末尾に、名主百姓41名が署名と略押(りゃくおう)(簡単な印の署判)を連ねる。
                               (以下、写真2~4はすべて、京都府立京都学・歴彩館の東寺百合文書WEB公開画像による)

 
 やがて(ゆう)(せい)という東寺の僧侶が現地支配のために京都から下ってくるが、農民たちは一筋縄ではいかず、異常気象で作物が大きな被害を受けた年には、近隣の村の情報も収集して一歩も引かずに年貢減免を要求する(写真3・4)。
               写真3.(かん)(しょう)3年(1462)12月13日新見庄代官(ゆう)(せい)注進状(ちゅうしんじょう)(え函33。部分)
                                           農民たちの強い年貢減免要求を領主の東寺に注進し、対応を相談している(一条目)。

 

               写真4.(寛正4年)たまがき書状(ならびに)新見庄代官祐清遺品(いひん)注文(ちゅうもん)(ゆ函84。部分)
                          たまがきは、代官祐清の身の回りの世話をした女性。
                                           祐清死後、東寺に葬儀の算用を報告するとともに、遺品の形見分けを願い出ている。
                                           中段末尾に「たまかき」と署名が見える。
                                           室町時代の地方在住女性の自筆書状として稀有なもの。


 現代の状況とも重なりつつ、学生たちは気づくのかもしれない。自分たちが困難や違和感と格闘しつつ読んでいる史料の向うにいるのは、時代は違っても、頑張って生きようとする、ときにはかけ引きもする、今の自分たちと変わらない人間だった。

 史料がもたらす気づきは大きい。それは、間接的で迂遠だが、史料の向うにいた命たちと現代の私たちの命が出会うゆえに生み出される力だ。学生たちよりはるかに長い年月、史料とも現代の現実ともささやかながら格闘してきて、私はそう感じている。

身近にある「異文化体験」のススメ


二階堂裕子 准教授

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 グローバル化が進む今日では、異なる文化を持った人同士が直接向き合っていかなければならない状況にあります。そのため、異なる文化を持つ人々と積極的に交流し、互いの文化や価値観の違いを受け入れつつ、新たな関係を創造することが求められるようになりました。そうした機会のひとつとして、海外留学の人気が高まっています。高校生の中には、大学生になったら、自分も海外の大学へ留学してみたいと考える人も多いことでしょう。
 しかし、そのような「異文化接触」は、外国へ行かなければ体験できないというわけではありません。 そこで、身近にある「異文化体験」として、私がゼミの学生とともに2015年から岡山県美咲町で続けているフィールドワークについて紹介しましょう。
 岡山県の中央部にある美咲町は、人口14,000人あまり(2018年7月末現在)の小規模自治体で、人口減少と少子高齢化が著しく進む過疎地域です。これまで、ゼミの学生たちは、美咲町の住民や自治体職員のほか、他の地域からやってきた多くのボランティアの人々とともに、空き家となっていた現地の古民家を新しい活動拠点として生まれ変わらせたり、美しい棚田で田植えや稲刈りを行ない、農業の再生を支援したりする取り組みに参加してきました。

          写真1 美咲町「棚田きんちゃい祭」で田植え体験(2018年6月)

 現在、私たちが関わっているのは、美咲町大垪和地区で、現地の女性たちが運営する農村レストラン「やまっこ」の支援です。「やまっこ」では、手作りの豆腐や油揚げのほか、地元で生産された新鮮な野菜や米などを使ったお惣菜の人気が高いのですが、これまでメニューにデザートがありませんでした。年齢を問わず、多くの人に喜んでもらえるデザートを考案することが、ゼミ生たちの目下の仕事です。
              写真2 「やまっこ」で「伝説の油揚げ」を作る

 このほか、2016年から行われている「美咲芸術世界」の支援も、私たちが力を入れている活動のひとつです。「美咲芸術世界」は、大垪和地区に移住してきたアーティスト夫婦の発案で始まったアートイベントで、これまで廃校となった小学校や神社などを会場として開催されてきました。作品の展示やミュージカルの上演のため、この夫婦はもちろん、夫婦の友人であるアーティストたちが世界各国から現地に集い、1カ月近くを費やして準備にあたります。ゼミの学生たちは、この過程を手伝うほか、イベント開催中も運営に関わります(2018年は9月23日から10月28日まで開催)。
            写真3 「美咲芸術世界2018」の準備(2018年8月)

 これらの活動を振り返ってみると、それはある意味で、私たちにとって貴重な「異文化体験」の連続でした。田植えや稲刈りなどの農作業を初めて経験した学生の多くは、農業の楽しさと厳しさを肌で感じることとなりました。また、異なる世代や職業、人生経験をもつ人々との協働作業を通して、多様な生き方や価値観があることを学びました。とりわけ、個性豊かなアーティストたちとの出会いは、私たちの人生観を大きく変えてしまうほどの刺激あふれるものでした。さらに、「やまっこ」でいただいた油揚げやごはんの素朴な美味しさに加えて、そこで働く女性たちの親切さにすっかり魅了された者、携帯電話の電波が届かない場所で過ごす時間がもどかしく、自分がいかに「IT社会」にどっぷりとはまって生活しているかを痛感した者もいます。これらはいずれも、通常の大学生活では得がたい経験であり、美咲町での活動は、私たちの視野を広げ、新たな自分を「発掘」する、かけがえのない機会なのです。
 だから、フィールドワークはやめられません。身近な「異文化体験」を、見直してみませんか。