2019年
04月01日

書道卒業制作展をふり返って ー継ぐそして繋ぐー |佐野榮輝|日文エッセイ186

【著者紹介】
 佐野 榮輝(さの えいき)
 書道担当
 書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。

  

  書道卒業制作展をふり返って ー継ぐそして繋ぐー
 

 平成31年1月、第24回書道卒業制作展を無事開催し、終了まもなく第25期の「顔見世」でメンバーが確定。正課履修の新4年生三名のほか、特別参加の新3年生四名(日文・書道部)が加わって役割分担を決定しました。25回目の記念とはいえ、今のところ特別な展示などは考えてはいないので、ここで、やや渺茫(びょうぼう)となりつつある往事のいくつかをふり返えっておこうと思います。以下、卒展の回と期は同じで混用します。
 本学に着任した年、4年次生対象の「書道Ⅳ」は、開講せずとなっていました。今では講義科目として隔年開講している、「中国書道史」、「日本書道史」、「書論」(科目名は当時)3科目は夏季集中に入っておりました。それを二年間行って、ようやく通常の講義日程に組み込まれたのでした。また、赴任二年目に「書道Ⅳ」を再び開講したのですが、90分2コマ連続では月曜日から金曜日の日中に時間割を入れにくかったらしく、土曜日午後からの静かな学内で、まるでサークル活動のようにして集まって、六年間を過ごしたのでした。三年半単身赴任していたので土曜夜の新幹線で帰京し、月曜9・10限の講義に間に合わせて帰岡するということもたびたびでした。
 そうして8年たち、科目名「書道Ⅳ」は9期から「書道卒業制作」と改称しました。
 卒制一年目は、何もかにもが手探りの連続で、パネルを作り、裏打ちや表装もすべて自分たちで、手作りをモットーに始め、この作業は今でも続いています。第1回展は壁面の仕切りがなく、パネル作品を屏風のようにジグザグにして立て掛けるという荒技で凌ぎました。2回展は、搬入日に大雪の洗礼。交通網は全くのマヒ状態だったこともありました。
 ポスターも毎年試行を重ね、自身で刻した印をモチーフにしましたが、現在の円形の中心に「書」、周囲にメンバー各自の白文名印、対角に朱文の雅号印を配する図案の原型は9期に始まります。この時の履修生は今ではまったく信じられない、総勢十二名という大所帯。学生たちの発案で、時計の文字盤風のデザインができあがり、全員で「書」一字をすべて書体を変えて書き、印を捺すことに決まり、中心の「書」は佐野が学生の用具を借りて、即興で染筆したもの。以来、使い続けることになりました。見ようによっては曼荼羅(マンダラ)のようで気に入っています。
 毎回発行している所感文集も他の展覧会などでは例を見ないものです。初めは出品目録に釈文と出品者のプロフィールを記した数ページのものでしたが、制作意図や苦労したことなどを知ってもらわないと、なかなかアンケートに答えていただけないよということで、2期以降、冊子として発行してきました。10回展で「心画抄」と命名し、11期から印刷・製本を業者に委託するようになりました。判型がB5からA4に、片面印刷から両面印刷、作品図版の掲載など、これも学生たちが作品制作の追い込みのかたわら、パソコンとスマホを駆使して、年々大きな成果を上げています。
 誰が何期だったか即座には思い出せなくなって、20回展から所感文集に「書道Ⅳ・書道卒業制作履修生名簿」を掲載しました。あるOG曰はく、戦没者名簿? と。 余答へて曰はく、然らず。出席簿なりと。
 卒展終了後はご来場下さった皆さんから寄せられたアンケートを集計して、ファイルし作品集として書道準備室に配架してあり、後輩達が、作品制作のヒントをつかむ手がかりとしています。これも大きな遺産です。毎回、会場の受付附近に置いているので、卒業生が自分たちの期を懐かしむ大切な縁(よすが)ともなっています。
 先輩から受けた恩は後輩に返しなさいということで、何時からだったか、顔見世と称して、卒展終了後、次の期の有志を集めて、自分たちの一年間を紹介し、役割分担の説明、パネルの布張り実習などを行ない、現在では、継ぐそして繋(つな)ぐという好循環ができています。
 「書道Ⅳ」復活の時、学生の負担を考え、高等学校芸術科書道免許取得のための必修科目とはしなかったので、毎年、これが最後だと自分に言い聞かせながら指導をしてきましたが、年度が改まるごとに、名乗りを挙げる学生たちにめぐりあい、四半世紀にわたって書道卒業制作に携わり、「ともに咲くよろこび」を見守り続けられたことは、まことに奇運でありました。そして卒制履修者は殆どが大学入学から卒業までの四年間を書に賭けた日々を共有した同志でありました。彼女たちを「ツワモノ」と呼称する所以です。

第9回展のポスターより

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