2008年
07月01日

文学と宇宙論|綾目 広治|日文エッセイ57

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第57回】 2008年7月1日

文学と宇宙論

著者紹介
綾目 広治 (あやめ ひろはる)
近代文学担当
昭和~現代の文学を、歴史、社会、思想などの幅広い視野から読み解きます。


講談社学芸文庫『死霊』(表紙、埴谷雄高著、講談社刊)

埴谷雄高という作家を知っていますか? 「はにやゆたか」と読みますが、これはペンネームで本名は「般若豊」(はんにゃゆたか)と言います。あの鬼の「般若」が姓です。すでに鬼籍に入っている(亡くなった)作家で、明治の終わりに生まれ、戦前の昭和には非合法の革命運動に関わりました。文学者として活躍したのは戦後になってからですが、埴谷雄高は日本文学の言わば思考の枠組みを大きく広げた作家でした。名前も変わっていますが、その文学もそれまでの日本文学には珍しいものでした。というよりも、珍しいというような次元を越え出た、途轍(とてつ)もないものを目指そうとした文学でした。代表作は『死霊』で、これは「しれい」と読みます。ロシア文学が好きな人なら、すぐにドストエフスキーの『悪霊』(あくりょう)を連想するかも知れませんね。そうです、『死霊』は『悪霊』の一種のパロディでもあります。埴谷雄高自身が、そう語ってもいます。
ただこの場合、パロディと言っても、通常のパロディのように、原作の枠組みを利用しながらもその原作を批判的に改作する、というようなものではありません。小説の中の出来事や登場人物の役割が確かに『悪霊』と似ているということはありますが、『死霊』はドストエフスキーも考えなかったような壮大なテーマに向かおうとする小説です。似ているところというのは、たとえば『悪霊』では19世紀ロシアの革命運動内部におけるリンチ殺人事件がテーマの一つになっていますが、『死霊』においても革命運動内部のリンチ事件が小説中の大きな出来事になっています。人間の解放を目指しているはずの革命運動が、逆に人間と人間性を文字通りに抹殺してしまう運動に転化するという、これまでの革命運動史に数多く見られた背理(はいり)です。埴谷雄高が体験した戦前昭和の革命運動にもあった悲劇です。
なぜ、弱者や貧者を救済しようとする理想主義の運動がこのようなことになってしまうのかー埴谷雄高はその問題を正面から考えようとしました。もちろんリンチ事件にはスパイ問題なども大きく絡(から)まってもいたりするのですが、埴谷雄高は政治的な次元の革命に止まらず、もっと根源的な〈革命〉が人間には必要なのではないかと考えました。
さて、ここまでこのエッセイを読んで下さった人は、〈「宇宙論と文学」というテーマとどう関係するのか、宇宙はいつ出てくるのか〉と思うかも知れませんね。もうすぐ、そのテーマに入って行きます。それは根源的な〈革命〉という問題と関係します。
埴谷雄高が考えたのは、こういうことでしたー革命運動は政治の革命だけではなく、社会全体の革命を目指さなければならないことは言うまでもないが、それだけではなく人間存在そのものの革命をも目指さなければならない。そうでないと、リンチ事件のような悲劇がまた起こってしまうだろう。しかし、人間存在自体の革命だけでいいのか、人間も含めた存在の総体を革命する、そういう革命ではないと駄目なのではないだろうかー。
〈存在の革命〉は、認識の革命も含みます。また変な言葉が出てきたと思われるでしょうが、認識の革命というのは、私たちが当然のことと思っている、ものの考え方を転覆(てんぷく)させて、これまでの人類史に無かったような思考の法則を考えてみようとすることです。たとえば『死霊』に出てくる人物の一人は、〈自同律の不快〉に悩まされています。自同律というのは、〈私は私である〉という、A=Aという同一律の言わば〈私〉版です。彼はその自同律の法則から逃れ出たいと思っています。もちろん、そんなことができた人や存在は、これまでありませんでした。しかし、埴谷雄高はそれを目指そうとするのです。そんな馬鹿なことがあるかという声が聞こえてきそうです。しかし、埴谷雄高は大まじめです。
たしかにこの世界、この宇宙では、この法則から逃れ出ることはできないだろうが、違った宇宙ではそれは可能ではないだろうかー埴谷雄高はその世界、宇宙を想像力で掴(つか)もうとするのです。最近の宇宙論によれば、対称性の成り立っている〈無〉とも言うべき状態から対称性のほんの僅か(わず)の破れから爆発的なインフレーション(膨張)を経て今日の宇宙に至ったようです。そして、その破れは無数にあるそうです。したがて、宇宙も無数にあり、その別の宇宙では私たちの住んでいる宇宙とは違った論理法則や自然法則が支配しているかも知れません。そうなると、埴谷雄高の考えは決して荒唐無稽(こうとうむけい)ではないことになります。
埴谷雄高は別の宇宙を文学すなわち想像力で捉えようとしましたが、このように文学は、宇宙論をも含んだ(もちろん、政治や社会の問題も含んだ)、広大な領域を扱う言語芸術です。本学の日本語日本文学科では、文学のその広く大きな面白さを、学生とともに考えたいと思っています。