ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会では、現在、機関誌である『清心語文』20号への投稿を受け付けています。

 この度、2018年5月の学会幹事会において投稿規程を改訂しましたので、新しい規程を掲載します。下記の投稿規定・投稿要領をご参照の上、投稿をお願いします。 締切は、2018年7月31日(火)です。

       

*投稿規定・投稿要領は、pdfファイルで開きます。

清心語文投稿規程.pdf

清心語文投稿要領.pdf

2018年
05月01日

波兎

日本語日本文学科 リレーエッセイ

 【第175回】 2018年5月1日

 【著者紹介】
 佐野 榮輝(さの えいき)
 書道担当
 書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。

 

波兎

 

波兎文様

 私の机上に横幅3寸(9㎝)ほどのガラス製の紙鎮【写真Ⅰ】がある。何時だったか東京国立博物館のミュージアムショップで購ったもの。身体よりも耳の長い兎が三羽波の上を奔走している。解説書に、波兎蒔絵文様、英文でRabbit and Waveと題して、

 この文様は波兎蒔絵旅櫛笥(寸法ほか略)から写したしたものです。荒ぶる波の間を 兎が飛ぶ意匠は、江戸時代初期に流行します。謡曲『竹生島(ちくぶしま)』の一節、 「月海上に浮かんでは兎も波を走るか おもしろの島の景色や」に由来するものです。

とあり、さらに英文では17世紀としています。

【写真Ⅰ】紙鎮【写真Ⅰ】紙鎮

  謡曲『竹生島』の一節を『日本古典文学全集41 謡曲集下』(小学館)で閲して見ると、

......浦を隔てて行くほどに、竹生島も見えたりや。
緑樹影沈んで、魚 木に上る景色あり、
月 海上に浮かんでは、 兎も波を走るか、
面白の浦の景色や。

といい、「湖岸を離れて進みゆくうちに、竹生島も見えてきたではないか。木々の緑の影が湖面に映り、湖底に沈んで、水中に泳ぐ魚はあたかもその木々に登るかのよう。月が湖上に影を映すと、月の中の兎も波の上を走るのかと思われる。なんとまあ面白いこの島の景色であること。」と訳されています。注に、「緑樹影沈魚上木、清波月落兎奔浪」、あるいは下句を「月浮海上兎奔浪」とするなど、典拠に諸説があるようですが、ストーリー展開として、この幻想的な情景描写は視聴するものを別世界に誘うプロローグです。

 下句「月浮海上兎奔浪」が冒頭に記した紙鎮の絵柄となったもので、解説書が時代を江戸初期に特定していますが、この紙鎮の波に兎の図は、波兎文様、波うさぎ文様、波のりうさぎ文様あるいは竹生島文様とも呼ばれます。同様の絵柄として同時期の著明なものを二つ挙げておきます。一つは、国宝「婦女遊楽図」(大和文華館蔵)。この屏風は九州・平戸藩の松浦家旧蔵だったので「松浦屏風」とも称され、六曲一双に遊女18人が画かれ、その右隻最も左の遊女の小袖に波の上を走る兎が描かれ、屏風は江戸前期の作とされるもの。
 もう一つは、「黄金色地葵紋波兎文羽織」(徳川美術館蔵)で、「辻ケ花染衣服残缺帖」に貼り込まれた断片を分析し、徳川家康の羽織を、平成17年に復元したもの。だとすればこの文様も戦国から江戸前期の遺品ということになります。余談ですが、家康は天文11年(西暦1542年)壬寅生まれとされていますが、この羽織から推察して、翌12年癸卯の生まれだともいわれているようです。
 二点ともインターネットで検索できます。

阿智神社の波兎

 私は、旧倉敷総鎮守の宮・阿智神社が鎮座する鶴形山の東の麓に住んでいます。岡山県倉敷市中心部は、古くは無数の島々から成り、戦国時代から江戸時代にかけて干拓が進められ、陸続きとなったと言われています。
 阿智神社の名称は、四世紀・応神朝の帰化人・阿知使主(あちのおみ)に由るもののようです。「知」と「智」は音通で用いられしばしば標記に異なりがありますが。その社の山門・随神門の、鴨居というのでしょうか、表裏両面に耳の長い兎の像が二体嵌め込まれていて、どちらも下の鴨居には波紋が彫られています【写真Ⅱ】。これは「波兎」に相違ありません。


【写真Ⅱ】随神門内面

 このことを若い社人に尋ねてみましたが、門の建立は江戸期、兎の由緒は不明とのこと。時代をもう少し限定できないものかと門の右側に柵となっている石柱には寛政12年(1800年)、門の石段下の狛犬は左右ともに文化14年(1817年)と刻されており、どうやら門は江戸後期に建てられたものかと想像します。
 そしてまた私は想像します。その頃には、兎は、浪の上を奔ることから、海難除けの象徴となり、同社が祭神とする「宗像(むなかた)三女神」とともに、海上交通の守護神となったのだ、これは阿智神社の波兎だと。

 五月には岡山県指定天然記念物「阿知の藤」が見頃を迎えます。アケボノフジとしては日本一の巨木だそうです。ぜひ倉敷探訪を。

 
参考文献
 黄 韻如「日本の染色意匠と中国―波兎文様を中心に―」(2008)
 インターネットで検索できるが、引用図は省かれている。

  

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日本語日本文学科 リレーエッセイ

 【第174回】 2018年4月1日

 【著者紹介】
 山根 知子(やまね ともこ)
 近代文学担当
 宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。

 

〈文学創作の新たな発信〉と〈文学を軸とした岡山のまちづくり〉

  ―2017年度から開始した日本語日本文学科学生の2つの挑戦―

 

 日本語日本文学科の学生の活動として、2017年度に新たに開始した2つの動きがありました。学生たちが文学についての学びと人生および社会への思いを深めて主体的に挑戦している姿には、才能の発揮とその過程を通しての目覚しい成長が見られ、これらは紹介せずにはいられない画期的な活動となりました。
 その2つの活動とは、まず1つ目に、授業「文学創作論」の受講生が、授業で創作した作品を脚色して、県立生涯学習センターのプラネタリウム「サイピア」で「星空と音楽をめぐる自作朗読会withリンクアップとっしー」と題した自作朗読会を行ったものです。2つ目は、日文の学生有志が「ツボジョーワールド探検隊」という坪田譲治を軸とした活動団体を結成し、岡山市の「大学生まちづくりチャレンジ事業」に応募して採択され、多くの企画に挑戦したという活動です。

 

プラネタリウムでの自作朗読会 (授業「文学創作論」)

 「文学創作論」では毎年学生の創作した作品の文集を発行しており、また既成の作品を朗読する体験は毎年行っていますが、学生自身が創作した作品について朗読会を行うことは初めてでした。

 2017年9月の土曜日に行われた自作朗読会の本番に至るまで、前期の授業では朗読の学びから創作の学びへと進み、短編作品を仕上げていきます。これらの学生の創作内容は、体験を描いたエッセイをもとに書かれました。2017年はプラネタリウムでの朗読会が予定されていることを考慮して素材として天体が関係するエッセイを書くことに始まり、そのエッセイを創作作品として再構成し仕上げていきました。初めて文学創作をするという学生もいましたが、どの学生もそれぞれ文学創作に至る過程で、そこに切実な人生の問題を確かに見出し、それを生かすことがおのずとできていきます。天体に関する描写が入るという要素も、実感からくるリアリティが出るとともにテーマを際立たせる効果につながりました。
 この作品を自ら聴衆を前にして朗読するということについては、どんなふうに作品を受けとめてもらえるのか、学生たちの心に不安が渦巻いていたようでしたが、朗読では、作者がナレーションを務め他の受講生が会話文の朗読を行う協同の形にしたことに加え、プラネタリウムの独特の雰囲気によって作品世界が不思議な広がりを見せてきたことに自信をもてるようになったようです。
 プラネタリウムでは、学生は観客の後ろの光が漏れないようにした場所で、姿を見せずに朗読をします。その声が導く作品の描写にあわせて、主人公が見たままの風景として、日が暮れたり、流れ星が流れたり、月が移動したり、またオリオン座のベテルギウスが光ったりする光景が目の前に展開します。
 今回朗読した7作品に対して観客から大きな拍手をいただいたことで、会場に感動が満ちていることを感じ取り、学生たちは達成感に満たされていました。
「星空と音楽をめぐる自作朗読会」を終えて(両端はお世話になったスタッフととっしーさん)「星空と音楽をめぐる自作朗読会」を終えて
(両端はお世話になったスタッフととっしーさん)

  

「ツボジョーワールド探検隊」(大学生まちづくりチャレンジ事業)

 岡山市出身の小説家・児童文学作家の坪田譲治をめぐってまちづくり活動をめざした3年生6名によるこの団体は、2017年度の初めに結成されました。学生たちにとっては、日ごろの文学研究を、学外の教育現場や社会で意義深く働きかけるものへとつなげる挑戦の場でありました。さらに、文学をもとにした地域貢献の可能性を探る議論をするなかで、これまで各自が得意としていた文学はもちろん漫画、写真、朗読、音楽の分野で、まちづくりへ貢献する力を試しながら発揮するチャンスでもありましたし、教職や公務員、マスコミ関係など将来希望する各自の目的を確認しながら社会人への学びを行う場でもありました。また実際に、学生の意欲的かつ自主的な企画によって、驚くほど充実した計画がびっしりと立てられました。これだけの計画が実際できるだろうかとやや心配になるくらいでしたが、学生たちは授業の合間に集まったり、各自深夜まで作業をしたりしながら、互いの協力のもと全てやり遂げたのです。

 学生たちは、作家紹介のための冊子づくり、イベントで披露するテーマソングの作曲、さらに作品朗読やトークショーなど、それぞれの才能を次々と生かしていきました。さらに、岡山の坪田譲治ゆかりの地を楽しんでめぐってもらえることに意味があると考え、スタンプラリーを企画しました。これには、スタンプ置き場やクーポン協力店の視察と交渉を重ね、そのための依頼の書類を作る必要もありました。この企画でもスタンプ画をデザインし、景品に手作りのブックカバーを作成するほか譲治の生涯をデザインしたしおりを原画から描いて作成したいと話し合い、知恵と労力を振り絞って心を込めて実現させました。
 どれひとつを取っても、それぞれの活動が人々に与える意味を考えることを大切にして心を込めて行うことは貴重な体験であり、こうした文学を軸にした初めての社会的な活動への挑戦からかけがえのない収穫を得たことは言うまでもないでしょう。
 最後の行事が12月に終わって全てを振り返ったとき、社会人になる前に貴重な体験ができ、また自身が岡山の魅力に開眼できて人にも伝える力を試し、将来像をつかめたことは本当に良かったという感想を皆涙ながらに述べてくれました。さらに、2018年2月に行われた活動報告会では、岡山市長より本事業における特別賞が授与されました。
 
 両活動とも、今後も継続させる予定です。〈文学の力〉を基盤とした学生たちの挑戦力と心の成長に期待をし、こうした成長を求めて学生がさらに集ってくれることを望んでいます。


「ツボジョーワールド探検隊」の活動が紹介された『山陽新聞』(2018年1月26日)

 

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ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会 第21回大会のご案内

 2018年度ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会を、下記の日程・内容にて実施いたします。当日の研究発表・実践報告者を募集いたしますので、下記の要領にてご応募下さい。皆さまの奮ってのご参加をお待ちしております。 

                 記

[大会スケジュール]

日時:2018年6月17日(日)10:00~16:30(予定)

  〇開会挨拶

  〇総会

  〇研究発表・講演・実践報告

  〇茶話会(昼食)&情報交換会 
   *昼食は各自ご持参ください。

  〇国語教育部会

 

[研究発表・実践報告応募要領]

  〇発表時間は25分以内、質疑応答は15分以内です。

  〇応募締切は5月7日(月)です。厳守願います。

  〇発表希望者は、発表題目と連絡先・氏名を記し、
   大会運営担当幹事(東城)までお送り下さい。
   応募書類の宛先は、以下の通りです。

        

             〒700-8516 岡山市北区伊福町2-16-9
     ノートルダム清心女子大学 
     日本語日本文学会 東城敏毅

  

※ なお、機関誌『清心語文』第20号への投稿も募集しております。 詳しくは第19号投稿規程をご覧下さい

 

日本語日本文学科 リレーエッセイ

 【第173回】 2018年3月1日
 【著者紹介】
 山根 道公(やまね みちひろ)
 近代文学担当

 遠藤周作を中心にキリスト教と関わる近現代文学を研究しています。

 

遠藤周作『沈黙』とスコセッシ監督「沈黙―サイレンス―」をめぐって

 

 遠藤周作の『沈黙』は私が授業で最もよく取り上げる作品だ。そこには、卑怯で弱虫で裏切者という誰からも信用されず嫌悪されるキチジローという人物が登場する。最初はそうしたキチジローを最低の人間と言って嫌っていた学生が、作品の読みを深めていくなかで、キチジローこそ自分と同じだ、最も人間の本質を表している人物だと意見を述べるようになっていく姿に幾度となく出会った。それは、他者を理解し受け入れる心を耕してくれる、文学作品の力を改めて知る体験だ。

 ちょうど1年前、2017年1月20日、その小説『沈黙』がスコセッシ監督によって映画化され、封切られた。それは、不寛容に向かう時代の潮流を象徴するトランプ大統領の就任演説が朝のニュースで流れた日であった。

『沈黙』(遠藤周作、新潮文庫)累計200万部を超えた新潮文庫『沈黙』(遠藤周作著)

 『沈黙』も不寛容な時代の物語だ。江戸幕府がキリスト教を危険視し、信徒を根絶しようと弾圧し、多くの血が流れた。そうした日本に宣教師ロドリゴは潜入し、日本人信徒の苦悩と悲惨な姿を目の当たりにする。神はなぜ黙っているのかと問い続けるなかで、自分もマカオからの案内人だった日本人信徒キチジローに裏切られて役人に捕まる。精神的に追い詰められた心の痛みの極みで、「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。...お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と踏絵のキリストの眼差しが訴える声を聞き、ロドリゴは踏絵に足をかける。

 この時、原作では「鶏が遠くで鳴いた」と描写され、映画でも鶏が鳴く声が聞こえる。これは、新約聖書のペトロの裏切りを想起させる。『ルカ福音書』(22章31-34)では、最後の晩餐の席上で、一緒に死んでもよいと覚悟しているという弟子のペトロに対して、イエスは、ペトロの弱さを本人以上に理解し、今日鶏が鳴くまでに自分を裏切るだろうと予告し、お前のために信仰がなくならないように祈ったと告げる。その後、イエスは捕えられ、ペトロはイエスを裏切り、鶏が鳴く。自分を裏切る者のためにも祈り、愛し、許すイエスの眼差しが、ペトロに向けられていたのと同様に、ロドリゴにも向けられていることが「鶏が鳴く」描写で暗に示されている。
 さらに、キリスト者が信仰の土台とすべき新約聖書でイエスは、旧約聖書にある「目には目を」という報復を否定し、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるのだから、と愛と寛容を教える(「マタイ福音書」5章38-45)。
 自分を裏切った者を許すことがどれほど困難なことであるかは、『沈黙』において、キリストに倣おうとするロドリゴがどうしてもキチジローを許すことができない姿からうかがえる。しかし、ロドリゴは、踏絵を踏み、自分がキチジローと違わない弱者でありながら、そんな自分がありのままでキリストに愛されていることを悟っていく。そのキリストの愛を知ったロドリゴは、キチジローを心から許し、自分の出会ったキリストの愛を伝え、キチジローは切支丹屋敷に幽閉されるロドリゴをそばで支える召使いになっていく。
 この二人の関係は、原作では最後に付録のように置かれた漢文書き下し文の「切支丹屋敷役人日記」の中で暗示されているのだが、読者のほとんどはそこを読んでくれないと遠藤は嘆いていた。その部分が映画では明確に描かれている。さらに原作は、切支丹屋敷に送られることになったロドリゴが「私の今日までの人生があの人について語っていた」と告白して終わり、役人日記が付されるが、映画では、ロドリゴが仏式で火葬される役人日記の最後の記述までを鮮烈に描き切っている。それによってロドリゴの人生が神について語っていること、どんな力によっても奪うことのできない神とつながる魂の領域があることを暗示した、原作のテーマをさらに深めた、神の眼差しを感じさせる映像で幕を閉じる。
 ロドリゴは、西欧の雄々しい力強いキリストの顔に励まされ、大海を渡って日本の風土に入り、隠れ切支丹の日本信徒が心の拠り所としてきた掌に収まる素朴な木の十字架のキリスト像を譲り受ける。それは日本の風土の中で日本信徒の苦しみに母のように寄り添ってきた愛と許しのキリストの顔であったろう。ロドリゴはそれを隠し持ち、最期には妻によって棺に入れられる。そうした最後の場面は、日本信徒たちともキチジローとも妻子ともつながる密かな信仰を生きたロドリゴの魂のドラマが鮮やかに浮き彫りにされた結末だった。
 ここまで深く人間の魂の領域を描いた作品は、観る者の心をおのずと開き、寛容に向かわせる力があるのではなかろうか。『沈黙』の執筆のために友人の井上洋治神父と長崎の取材の旅をしていた遠藤は、井上神父に「俺は人間が裁けなくなった」としみじみと語っていたという。その言葉が今、思い起こされる。
 この映画「沈黙―サイレンス―」も昨年8月にはDVDになった。次年度の授業では、『沈黙』の原作と映画をめぐってのディスカッションも試みたいと計画を立てている。

  

※画像は『沈黙』(遠藤周作著、新潮文庫)。
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