「文字をつむぎ、言葉をひもとく」日本語日本文学科リーフレット完成のお知らせ

 

  

 

 

 

 

 今年も、本学科の広報紙が出来上がりました。今年の学科リーフレットでは、4年次において卒業論文を書くという行為について意識的に紹介してみる、という方針で編集を行いました。それは、卒業論文を書くという行為が、本学科で学生が何を体験し、そして目指すようになるのかが具体的に表れてくる行為だと考えるからです。

 卒業論文を書くという行為について、高校生の皆さんはあまりイメージが持てないかもしれません。今回出来上がった広報紙で紹介している卒業生も、かつて本学に入学したときには、はたして自分に卒業論文が書けるだろうかという不安を感じていたに違いありません。

 この広報紙冒頭にも書かれていますが、日本語日本文学科では、「言葉にまつわって日本の文化と向き合」っていきます。つまり、1年次から4年次に至るまで、本学科では、文学作品や日常の現象、あるいはその背景となっている思想に具体的に触れつつ、あなたとあなたの背景に存在する文化を考えていきます。


 「それは何を意味しているのだろう」「これと同じ事はどこか別の場所でも起きているのだろうか」・・・など、あなたが心のどこかで感じている小さな「何か」―問題意識、或いは違和感と呼んでもいいかもしれません―に触れる作業を通して、ある人は、遠い昔に編まれた物語の中に自らの魂のルーツとでも呼ぶべきものを発見するかもしれません。またある人は、語られ、採録された方言や表現の中に、あなたの大切な人たちが繰り返してきた日々のありようを見出すかもしれません。

 何かを論じる、といことは、そうした自分自身のテーマと向き合いながら、さらにその先に存在する他者に向けて、根拠を示しつつ自己を顕(あらわ)すという行為です。その行為のプロセスの中で、あなたは、あなた自身を発見し、そしてまた再発見し、他者と関わりながら変容を重ねていくでしょう。私たちはそのプロセスにおいて、あなたの物語が醸成し変容するための安全な器でありたい、と願っています。

 もし機会があれば、ぜひこのリーフレットを手にとってご覧になってみてください。

 

 

 

 

 

文:日本語日本文学科広報小委員会(リーフレット担当)前谷明子

日本語日本文学科 リレーエッセイ

【第177回】 2018年7月1日

【著者紹介】 木下 華子(きのした はなこ)

 古典文学(中世)担当

平安時代期・鎌倉・室町時代の和歌や、和歌をめぐる様々な作品・言説について研究しています。

  

「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき」

 

だだをこねた話

 30年以上も前のことだが、子どもの頃、家族を困らせた記憶がある。
 皆が、祖父の思い出を楽しそうに話していた時のことだ。父方の祖父は私が生まれる5年前に死去したため、私は写真でしか祖父を知らない。当然ながら、話の輪に入ることができない。私自身は5人きょうだいの末っ子で、上の4人は兄、加えて少し年の離れた子どもだったため、話についていけずに黙って周りを見ているなど珍しいことでもなかった。普段ならば、そのことで何かを思うわけでもなかった。しかし、どうしてだろう。その日に限って、祖父の話がわからないことがひどく悲しくて、泣き出してしまったのだ。泣きじゃくりながら、「私にはわからない」と訴えたようにおぼえている。
 子どもながらに気付いてはいたのだが、誰にもどうしようもないことだ。後から生まれた私にわからないのは当たり前。祖父とともに生きた時間を共有する家族には、話したい思い出がたくさんあるだろう。それらをともにすることができないのは、私にとっては悲しいことだが、生まれた時期の問題なのだから本当にどうしようもない。泣いて周囲を困らせることでは、決してないのだ。叱られてよい話だったと思うのだが、その時、家族の誰一人として私を咎めなかったことも、よくおぼえている。
 そのやさしさのおかげだろう。私にとっては、ほろ苦いながらやわらかい思い出である。

 

 祖父の手跡

 さて、数ヶ月前のことだが、その祖父の50回忌の法要があった。そのために実家に帰ったところ、準備の途中で、仏壇の抽斗(ひきだし)から私の名前を記した紙が出てきたのだという。書き手は祖父、しっかりした和紙に筆で「華子」と書かれている。
 両親は、最初の子どもが生まれる折に、男の子と女の子と名前を一つずつ決めておいたらしい。その時に祖父が双方の名前を墨書しており、女の子のほうのものが仏壇から出てきた私の名前なのである。長兄の生まれ年は昭和37年(1962)だから、平成30年(2018)の今年から数えると56年も前に書かれたものということになる。
 さすがに驚いた。こんな形で半世紀以上も前の祖父の手跡と対面することになろうとは、思ってもみなかったのだ。しかも、書かれているのは私の名前である。正直なところ、時間も理屈も飛びこえて、祖父が自分の名前を呼んでいるような、語りかけられているような気分になったのだった。
 とはいえ、私も研究者の端くれだから、用例を探し出して、ちょっとした理屈くらいはこねてみたい。字に性格が出るというのはよく言われることだが、筆跡・手跡はその人をまさしく象徴する。
 例えば、『平家物語』巻三の「少将都帰」という章段には、次のような一文がある。丹波少将と言われた藤原成経が、配流先の鬼界ヶ島から都に帰る途中で、故人となった父・成親が籠居していた備前国有木の別所(現岡山市北区の吉備中山周辺)を訪れる場面である。


父大納言殿の住み給ひける所を尋ね入りて見給ふに、竹の柱、ふりたる障子なんどに書き置かれたる筆のすさみを見給ひて、「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき。書き置き給はずは、いかでかこれを見るべき」...(略)...

[成経は、父の大納言殿(成親)が住まわれていたところを探して、有木の別所に入ってご覧になると、竹の柱や古びた障子などに故大納言殿が書き置いている慰み書きがある。成経はそれをご覧になって、次のように言う。「人の形見として、筆跡にまさるものはない。父上がこのように書いておかれなかったら、どうしてこの形見を見ることができただろうか」...(略)...]

 「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき」という成経の一言は、目の前に残された筆跡が亡くなった父・成親その人をまざまざと思い起こさせるものだったことを意味する。そこから、成経が生前の父を偲び、涙したことは想像に難くない。筆跡・手跡というものは、時間も場所もこえて、それを残した者と見る者とを強く結び合わせるのだろう。人の手で書かれた文字には、それほどの力が宿るのだ。
 数ヶ月前、私に起こったことも、そういうことなのだと思う。

『平家物語』巻三「少将都帰」(表記は「少将都還」)               

吉備中山・藤原成親供養塔

 



 

 

 

 

 

 

 

 手跡に過ぎたるものぞなき

 今でも、私は、写真と思い出話でしか祖父を知らない。祖父のことを話す人たちの口調や雰囲気から、その人となりをうかがうばかりだ。ただ、数ヶ月前に、祖父が私の名を記した手跡を見た時、芯のあるやさしい字だと思った。そういう人柄だったのだろうか。いずれ生まれてくる孫への思いなのだろうか。半世紀の時を経て、そこに触れたような気がしたのである。物理的な時間や経験はどこまでいっても共有のしようがないが、それらをこえるものが思わぬ形で到来したのだった。
 祖父の手跡は、私の手許にある。泣きじゃくっていたかつての私には想像もつかなかったことだろうが、今の私にはこれで十分なのである。

 

 

※『平家物語』の引用は、新編日本古典文学全集『平家物語』(小学館、1994年)に拠る。
※画像(上)は、下村時房という人物によって慶長年間(1596~1615)に刊行された古活字本の
『平家物語」巻三・「少将都帰」(国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/)。なお、本文の章段名は「少将都還」と表記されている。画像(下)は、吉備中山(岡山市北区)中腹にある藤原成親供養塔。画像の無断転載を禁じます。 

 

日本語日本文学科 リレーエッセイ

 【第176回】 2018年6月1日

 【著者紹介】
 野澤 真樹(のざわ まき)
 近世文学担当
 主に上田秋成の研究をしています。

 

  勤勉さと眼鏡の関係 ~江戸時代の浮世草子から~

 この4月に本学に着任しました。初めての「日文エッセイ」ということで、エッセイにしては少し堅い内容なのですが、これまでの研究対象のことを書いてみたいと思います。現在、私は主に浮世草子と呼ばれる江戸時代の読み物を研究しています。浮世草子を精読していると、これまで意識していなかった江戸時代と現代との違いに気づかされることが何度もあります。
 次に挙げるのは、『雨月物語』の著者として有名な上田秋成の浮世草子『世間妾形気(せけんてかけかたぎ)』の一部です。

 砂川といふ辺りに小店をかりて、夏冬なしに油扇の絵千枚画て一匁五分。筆の命毛はかなくも親子四人口。さのみむさふも住あらさず、背戸の朝顔葉鶏頭を、目鏡ながらのながめに渋茶のたのしみ。心は貧しからねども、鼻のさきの桃山のさかりを見る事なく、大路の往来にのみ春を知りていくとせをか過ぬ。(上田秋成『世間妾形気』巻四の三)

 この物語の主人公は浪人の「伊右衛門」です。彼が「小店」を借りて住んでいるという「砂川」は京と伏見とを結ぶ伏見街道の途中、いわば町外れにあります。浪人が内職で金を稼ぐ場面は時代劇にもしばしば描かれますが、伊右衛門も当時伏見の名産だった油扇の絵を描く「賃仕事」で生計を立てています。扇絵を千枚描いてやっと得られるという「一匁五分」は、西鶴の浮世草子などによれば家族が一日を送るのに必要な最低金額です。「命毛」は筆の先端部分を指し、さらにその「命」から「はかなし」という言葉を導きます。その筆でなんとか親子四人を養っているというのです。
 彼はいつも家の裏手の「朝顔」と「葉鶏頭」を、「目鏡ながら(眼鏡をかけたまま)」に眺めています。江戸時代の俳諧に「蕣(あさがほ)は世帯くづさぬ詠哉」(『俳諧東日記』)、「広からぬ庭綺麗なり葉鶏頭」(『蕪村翁評発句五十章』)などとあるように、これらは質素な家に植えるものでした。植えるというよりは、どちらも前の年に落ちた種から勝手に芽が出てくる、とても育てやすい植物です。この伊右衛門、心は貧しくないけれど生活は質素で、近所にある桃の名所「桃山」の花盛りを見に行くこともなく、伏見街道に花見客の往来が増えるのを見て春の訪れを知る、といった具合です。人々が好む桃の花ではなく、ささやかな朝顔・葉鶏頭を楽しんでいるのも、彼の清貧さを示すポイントでしょう。

 さて、先の文中に伊右衛門はその朝顔や葉鶏頭を眼鏡のまま眺めているとあります。これは内職にいそしむ伊右衛門の勤勉さを表す一節です。なぜ眼鏡をかけたままでいることが、勤勉であることに繋がるのでしょうか。
 現在では眼鏡をかけて一日の大半を過ごす人が一定数います。その感覚で行けば、眼鏡をかけたまま花を眺めるのがむしろ自然と感じるかも知れません。しかし、江戸時代の眼鏡は現代のように普段ずっとかけているようなものではなく、何か手元をしっかりと見るときにだけ使用するものでした。逆にその必要がない時には眼鏡をはずすのが普通だったのです。今の老眼鏡に似ていますが、当時は若い人もこれを使用したそうです。つまり、ここでの伊右衛門の眼鏡は「油扇の絵」を描く作業のためのもの。それをかけたままいるということは、彼が眼鏡をはずして休憩することもせず、仕事に精を出しているということを表しています。
 『世間妾形気』より少し前の浮世草子『武遊双級巴(ぶゆうふたつどもへ)』にも次のような表現があります。

 摂州難波潟、安久寺町といふ所に、目自慢の太次右衛門といふ両替屋あり。...ふだん眼鏡はなさず、そろばんひぢにつゐて、天秤の前をはなれぬ心がけから、自然と勝手も宜しく、手代の四五人も置ならべてくらしける。(『武遊双級巴』巻五の一)

 ここで両替屋の「太次右衛門」は「ふだん眼鏡はなさず」、十露盤を肘のそばに置いて、商売道具の天秤の前を離れぬことを心がけたので、金回りもよくなり四五人の手代を雇って暮らしていたといいます。どうやら伊右衛門よりは懐があたたかそうですが、ここでも眼鏡を手放さないことが彼の仕事熱心な様子を表現しているでしょう。
 享保17年に刊行された『万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』という本に、当時の眼鏡の種類や作り方についての説明が載っています。それによると、眼鏡のレンズには朝鮮から輸入された「白びいどろ」の茶碗の割れたのをリサイクルして使うこともあったそうです。限られた材料を有効利用する職人の工夫がうかがえますが、当時の眼鏡が現在よりも粗末な作りだったことは言うまでもありません。それを一日中かけていたら、かなり目が疲れたのではないでしょうか。
 少し眼鏡に深入りしてしまいました。このような小さな違いに気づくことで当時の人々の生活が身近になった気がして、それが私の研究上の楽しみでもあります。この小さな発見を原動力に、これからも様々な作品を読み解いていきたいと考えています。

   

 伏見街道「第二橋」の跡

 

  『万金産業袋』巻之三

 画像1...伏見街道「第二橋」の跡(2017年3月野澤撮影)
 画像2...『万金産業袋』巻之三(国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/より)

《引用文献》
『世間妾形気』...『上田秋成全集』第七巻(中央公論社、平成2年)
『武遊双級巴』...『八文字屋本全集』第十五巻(汲古書院、平成9年)
『俳諧東日記』『蕪村翁評発句五十章』...『俳文学大系』(古典ライブラリー)

 

 画像の無断転載を禁じます。

ノートルダム清心女子大学 日本語日本文学会第21回大会のご案内 

 今年度の日本語日本文学会を、下記の日程・内容にて実施いたします。 今年度は、本学臨時職員・大学院生の研究発表、本学教員の講演、ならびに現役の高等学校の先生の実践報告を予定しております。
 皆様、奮ってご参加ください。

           記

 日時:2018年6月17日(日)9時30分~15時
 会場:ノートルダム中央棟630ND教室
    *当日は東門よりお入りください。
    *入場無料で、出入りは自由です。

 内容:午前の部(9時30分~)
 一、開会
   代表挨拶                  

 一、研究発表  
 ・小川洋子研究 ―閉じられた世界にみる―    
     万城 由季 (本学学芸員課程 臨時職員)
 

 一、研究発表  
 ・村上春樹『海辺のカフカ』論
  ―夏目漱石『坑夫』との関係性について―
     大岡 愛梨沙(本学大学院博士前期課程2年)
 

 一、研究発表
 ・司馬遼太郎「兜率天の巡礼」論
  ―題材としての〈異説〉をめぐって―
     轟原 麻美 (本学大学院博士後期課程3年)
 

 一、総会


 一、茶話会(昼食)& 情報交換会 
     会場:ヨゼフホール一階ラウンジ
     *昼食は各自ご持参ください。 
     *『清心語文』既刊分余部を無料配布します。

   午後の部(13時30分~)
 一、講演
 ・秋成浮世草子の性格
  ―『諸道聴耳世間猿』から『世間妾形気』へ―
     野澤 真樹 (本学専任講師)
 

 一、実践報告
 ・司書教諭の役割と学校図書館の可能性
     赤澤 扶美子 (岡山県立興陽高等学校教諭)
 

 一、閉会

 一、国語教育部会(15時30分~)
     会場:ジュリーホール一階小会議室

 

 皆さま、どうぞお気軽にお越しください。

 ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会では、現在、機関誌である『清心語文』20号への投稿を受け付けています。

 この度、2018年5月の学会幹事会において投稿規程を改訂しましたので、新しい規程を掲載します。下記の投稿規定・投稿要領をご参照の上、投稿をお願いします。 締切は、2018年7月31日(火)です。

       

*投稿規定・投稿要領は、pdfファイルで開きます。

清心語文投稿規程.pdf

清心語文投稿要領.pdf