八月の末、ある学会の仲間と、瀬戸内・長島のハンセン病関連施設をめぐる小さな旅に出かけました。夏の盛りを過ぎたとはいえ、雲一つない空からの日射しを案じながら、なかなか見えてこない海の色を車中に思い描いていると、いつの間に車は橋を渡って、島へと入って行きました。

 かつて長島は、たった30メートルほどの対岸にありながら、舟で渡るしか手だてがありませんでした。この島に初めてハンセン病患者が収容されたのが1931年。それから半世紀以上を経て、この「隔離」の海にようやく橋が架けられたのは1988年のこと。「人間回復の橋」と呼ばれているこの橋を、今や私たちはいとも簡単に車で渡ることができるのですが、そこに至る時の道のりは、長く厳しいものだったようです。

 長島は、読んで字のごとく、長く東西に連なる島です。まずは手前にある「邑久光明園」を訪れました。「長島愛生園」の7年後に落成しましたが、もともとは明治期から大阪にあった「外島保養院」が室戸台風で壊滅したために、その復興施設として建設されたという歴史を持っています。

 印象深かったのは、島の急斜面を上った小高い丘の頂上付近にある「監禁室」。帰郷を許されずに逃走しようとした者や、規則を守らなかった者が入れられたといいます。厚い壁に覆われた薄暗い内部には牢が並び、当時の人々が書き綴った「落書き」が今も残されています。小さな窓から入る光に照らされて浮かび上がる文字は、恨みつらみというよりも、ひたむきな祈りの滲むもののように思われました。

光明園の「監禁室」                                 壁に刻まれた文字

 

   午後からは、さらにその先の「長島愛生園」に移動して、歴史館と島内の施設等を見学しました。展示の中には、長年に渡って続いた隔離と差別の実態を伝える、克明な資料が並びます。特効薬プロミンが普及して以降も、治療や教育の中には差別や忌避の意識が色濃く残っていたようです。それらを象徴する「消毒」や「白衣」などについて記された、園内学校の生徒たちの手記の言葉が、胸に突き刺さります。

 少し重たい気持ちで戸外に出ると、容赦ない真昼の日射しの下、眼前に広がるのは、光り輝く夏の瀬戸内海。正面に小豆島、左手に遥か淡路島を望むその光景に、しばし言葉を失いました。それは、いかなる苦悩とも無縁のような、底抜けの明るさと穏やかさで、あらゆる感覚を美しく奪い去るようでした。私は心に落ちる暗い影と、その恵みのような風景のあいだで、少々戸惑いを感じつつ、日射しを避けるように木陰を選びながら、見学の列の一番後ろをついて行きました。

愛生園歴史館前の海をのぞむ                    収容所内の消毒風呂     

 

  島に到着した人が舟から降ろされた桟橋、監房の跡地、消毒風呂の残る古い病棟を経て、納骨堂のある丘に上ったところで、見学は終了、最後の一時間は、会議室で入所者の方のお話を聴きました。

 お話下さった広瀬哲夫さんは89歳。柔らかく、淡々とした口ぶりで、施設の歴史と現在の暮らしぶりについて語って下さったのですが、少し「意外」なことに、広瀬さんは差別や隔離といった、いわゆる「人権問題」を批判する視点だけでは、愛生園や日本のハンセン病療養の歴史を語り尽くすことはできない、というお考えを述べられました。広瀬さんは、折しも日本が戦争に向かい、破局へと突き進んだ時代の苦難の中で、そこにはハンセン病に限らない、様々な人権問題があったことを指摘されました。そして、比較して長島の人々は、恵まれた穏やかな環境の中で、生きるための糧と、生きがいを持って暮らす道を与えられてきたのではないか、とおっしゃるのです。

 ご自分はそうした環境に置かれたことを感謝している、そのように広瀬さんは穏やかに語られましたが、実際には私たちの想像を絶するような、様々な苦悩を生きてこられたはず。それでもそのようにおっしゃる表情のうちに、私はあの海からの光に似た何かを、ふと感じたのでした。

 精神科医の神谷美恵子(1914〜79)は、かつて子育てや仕事に多忙な時期に、また自らも病を抱えながら、身を振り絞るように長島へと通い、島の患者たちのケアに尽した人でした。なぜ神谷さんはあれほど島に深く捉えられたのでしょうか。それは医師としての「使命感」という以上に、そこに暮らす人々の「苦悩」に寄り添う中で、彼女の魂を射抜くような「光」に出会ったからではないでしょうか。身も心も病に追いつめられ、不条理な苦しみの中で、それでも生きる意味を探し求める人たちの、いのちの輝きに。

 彼女の残したエッセイを読み返しながら、私もあの島で出会った光と影に思いをめぐらせています。それはいったい私に何を告げ、どこへと導こうとしているのでしょうか。それを探しに、今度は学生たちと一緒に長島を訪れたいと思っています。

愛生園の「収容桟橋」

 時々、もしコロンブスがいなくて、アメリカ新大陸が「発見」されていなかったら、今の私たちの食生活はどうなっているのだろうかと夢想することがあります。もちろん、コロンブスがいなくても必ず他の誰かが「発見」していたに違いありませんが。

  現在、我々が普通に食べているものでアメリカ大陸原産のものは以下のように、たくさんあります。

主たる新大陸起源の作物

穀類

トウモロコシ

野菜

トマト、カボチャ、インゲン豆、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ

果物

パイナップル、アボカド

ナッツ類

ピーナッツ、カシューナッツ

その他

カカオ(ココア、チョコレートの原料)、トウガラシ、バニラ

 

ここですべてを紹介することはできませんので、以下、現在の我々の食生活に欠かせない重要なトウモロコシと個人的に私の好物であるトマトに焦点を当てて、紹介していきたいと思います。

 

 トウモロコシ

 イネ科で原産地は南米アンデス山麓地帯と言われています。コメ、小麦と並んで世界の3大穀物と呼ばれており、その中で生産量が最も多く、米国、ブラジル、アルゼンチンの南北アメリカ諸国が主要な輸出国になっています。

 同じ3大穀物といっても、トウモロコシがコメや小麦と異なるのは、消費の用途でみると、家畜のエサである飼料の割合が大きいことです。世界の全消費量(2015/16年度)9.8億トンの内、飼料用消費量は6億トンで約6割を占めています。経済成長に伴い、一般に食肉の消費は伸びていきます。世界の食肉消費量の増加を支えているのは、実はトウモロコシの生産増加です。平均の日本的な畜産技術ですと、食肉1kgを生産するために必要なトウモロコシは、牛肉11kg、豚肉7kg、鶏肉4kgです。肉を食べるということは、間接的にトウモロコシを食べていることに等しいのです。その意味で、肉は効率の悪い食べ物とも言えます。

 食品工業用の用途としては、コーン油、コーンスターチ、異性化糖の原料となります。工業の用途として近年注目を浴びているのがバイオエタノールです。世界最大の生産国である米国では全需要量のうち、約4割がエタノール向けです。これは米国環境庁がガソリン供給の一定割合をエタノール燃料として義務付ける「再生可能燃料基準」を定めているためです。

 余談になりますが、トウモロコシは米国やカナダではコーン(corn)、英国ではメイズ(maize)と呼ばれています。コーンは本来、穀物一般、あるいはその土地で主要な食べ物を指すので土地土地でコーンが意味する作物が異なる場合があります。例えば、イギリスのイングランドでは小麦、スコットランドではエン麦(オート麦)を意味し、ドイツではコーン(Korn)はライ麦を意味します。誤解を与えないようにするにはメイズの方が無難かもしれません。国連の専門機関である国連食糧農業機関(FAO)でもトウモロコシの標記はメイズになっています。

 

 トマト

 私の大好物です。ナス科で、原産地はペルーのアンデス山脈の太平洋側高地ですが、栽培はメキシコで始まりました。16世紀にスペイン人がヨーロッパに持ち帰りました。しかし、赤い色が当初は有毒だと思われ、観賞用として栽培されていたそうです。ヨーロッパでトマトを最初に食用にしたのはイタリア南部です。トマトソースとパスタが良く合うことに気づき、17世紀末にパスタ料理が大流行します。これは、トマトとパスタの「幸福な結婚」と呼ばれています。

 ちなみに、当時はパスタはまだ手で食べていました。熱々のパスタを指でつまみ上げて、上を向いた口に落として食べていたのです。すでにフォークは発明されていましたが、肉塊を指すためのもので、2本歯でした。そこで、当時のミラノ国王フェルディナンド2世のために、部下の式部官が、パスタが食べやすいように歯と歯の間隔が狭い、4本歯のフォークを発明したのです。このフォークはパスタ以外のものを食べるのにも便利だったので、ヨーロッパ全土に広まっていきます。これは新たな食べ物が食器の開発につながるという興味深い例と思います。


 このように、ヨーロッパでも食事用のフォークが普及するのは18世紀で、それまでは王侯貴族でも手で食べていた(手食)だったのです。現在、地球上には約74億の人類が生活しており、それぞれの民族により独特な食べ方があります。食べるときに用いる食具により、次の3つの文化圏を形成しています。

 

①手食文化圏:東南アジア、オセアニア、西アジア、インド、アフリカ、中南米の原住民。
 人口の約44%。

②箸食文化圏:中国、韓国、日本、台湾、べ卜ナム。
 人口の約28%。

③ナイフ・フォーク・スプーン食文化圏:ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、ロシアなど。
 人口の約28%。

 皆さんは意外に思うかもしれませんが、今日でも手食の民族が世界で一番多いのです。

 

 話は戻りますが、もう一つ、イタリアの人気パスタ料理にペペロンチーノがあります。これはニンニクとトウガラシを効かせたオリーブ油にパスタを絡ませた料理ですが、ペペロンチーノとはトウガラシという意味です。トウガラシも最初に紹介したように、アメリカ大陸原産で、コランブスがヨーロッパに紹介した物ですので、もう一つの「幸福な結婚」と言えるのではないでしょうか。 

 

 このように、アメリカ大陸原産の作物は現在の世界の食生活を豊かなものにしています。機会があれば、今回取り上げたもの以外も紹介したいと思います。 

 

 蛇足です。私はウィスキーを飲む時にカシューナッツをつまみにすることがあるのですが、初めてブラジルへ行った時、このナッツがなっている姿を見て、びっくりしました。恥ずかしながら、ピーナッツのように土の中でできるのだと勝手に思い込んでいたのです。その姿は木にピーマンがなっていて、その先にカシューナッツが刺さっているようにしか見えませんでした。このピーマンのような果肉は英語でカシューアップルと呼ばれ、ブラジルではこの果肉を絞ったジュースが人気です。ブラジルの原住民はこれをウカジューと呼んでいたのを、ポルトガル人がカジュー(caju)と聞き取ってしまい、それが英語でなまってカシューになったと言われています。

カシューの木

                      (写真:カシューの木)

 岡山県内には、明治の中頃から昭和の初期頃まで、とても変わった建築が数多く姿を現しました。現在も県内にこれらの建物が、たくさん残っています。「擬洋風建築」って、聞いたことがありますか。このように呼ばれる建物は、県内の身近なところでもその気になれば探し当てることが出来ます。

 「擬」という言葉には、「なぞらえること、型取り、似せること」といった意味があり、西洋建築を似せて造った建物を「擬洋風建築」と称しました。現代の建築が発展する中で、擬洋風建築はこれまであまり評価されてきませんでした。しかし、この建築スタイルは、日本の大工さん達が明治以降の文明開化の中で、西洋の建築に憧れ、日本の大工技術で工夫を懲らせて西洋に負けじと考え出したものです。これまでの木造建築の技術で工夫を重ね、世界に類のない素晴らしい建築様式を編み出したと考えています。現在では、どこか懐かしい風景を創り出す建物でもあります。

 県内の代表的な擬洋風建物を紹介しましょう。例えば倉敷市の美観地区の中にある旧倉敷町役場(写真-1)がそうですし、倉敷市庁舎の隣りに移築された旧倉敷幼稚園園舎(写真-2)もこの建物様式です。擬洋風建築では、屋根に日本瓦が多く用いられ、壁には板を縦と横に張り、一部は漆喰壁でも表現されています。また、窓は上げ下げ窓が付けられ、曲線の造形も随所に見られることがあります。

旧倉敷町役場 旧倉敷幼稚園園舎
写真-1 旧倉敷町役場 写真-2 旧倉敷幼稚園園舎



 岡山市では、岡山市中央図書館の隣りに移築保存されている旧旭東小学校附属幼稚園園舎(写真-3)や岡山県総合グランドの片隅に移築保存されている旧陸軍第十七師団岡山偕行社もそうです。高梁市では、岡山で残存している教会建築として最も古い日本基督教団高梁教会堂(写真-4)や旧吹屋尋常高等小学校校舎(写真-5)があります。

写真-3 旧旭東小学校附属幼稚園園舎



日本基督教団高梁教会堂 旧吹屋尋常高等小学校校舎
写真-4 日本基督教団高梁教会堂 写真-5 旧吹屋尋常高等小学校校舎



 笠岡市の日本基督教団笠岡教会教会堂(写真-6)も今も使われています。また、真庭市の旧遷喬尋常小学校校舎(写真-7)は、端正な美しさが見られ、最も素晴らしい小学校校舎の一つとして評価しています。総社市や牛窓には、旧総社警察署(写真-8)や旧牛窓警察署本館(写真-9)も残っていて郷土の歴史博物館等として使われています。

日本基督教団笠岡教会教会堂 旧遷喬尋常小学校
写真-6 日本基督教団笠岡教会教会堂 写真-7 旧遷喬尋常小学校校舎



旧総社警察署 旧牛窓警察署本館
写真-8 旧総社警察署 写真-9 旧牛窓警察署本館




 県内にまだまだこのような建物が数多く残っています。是非とも、町歩きを楽しみ擬洋風建築を探し出して下さい。

 私の生活環境学研究室では、これまで卒業研究として「岡山県における擬洋風建築-庁舎建築に関する考察」、「岡山における擬洋風建築について-建築の意匠表現を探る-」、「岡山県における擬洋風建築-教育施設を通して-」といった題目で卒業論文を書き上げています。岡山の建築に関心のある学生さんが集まる研究室です。

  蒸し暑い夏が来ますが、パン作りがとっても楽チンになる季節です。できたてを食べる楽しみに加えて、作る工程も簡単なので楽しめます。形や生地に混ぜ込む具材を自分流で作るのもいいですね。

  ここでは時間も力もわずかで済む方法を紹介します。手でこねる時間は5分間くらいで、ホームベーカリーは使いません。一次発酵は省略しますので、簡単な成形なら開始から60分で完成です。

  夕食後にササッと作っておいて翌日の朝食やお弁当にしたり、冷凍保存して食べたいときに軽く温め直して焼きたてを再現したりすることも簡単にできます。

  忙しい毎日ですが、時には作ることも食べることも楽しむ豊かな時間を過ごしてみませんか?

【材料と分量】(作りやすい分量として6個分で紹介)

   ○ ぬるま湯          90g【30℃くらい】

   ○ ドライイースト       3g(小さじ1)

   ○ 砂糖              1g(小さじ1/3)

   ● 薄力粉                 30g【よくふるっておく】

   ● 熱湯                    30g

   □ 強力粉            150g【よくふるっておく】

   □ スキムミルク       15g

   ■ 砂糖                    15g

   ■ 塩                        2g

   ■ バター(室温)       10g

【作り方】

①  ○を全部混ぜてイースト水を作っておく。

②  ●の粉に熱湯を加え、粉っぽさが消えるまでかき混ぜて冷ましておく。

③  ボールに□を入れてかき混ぜ、さらに■と②をそれぞれ少し離して入れる。

④  砂糖めがけて①を注いで箸で混ぜ、徐々に広げて全体を大きくかき混ぜる。

⑤  全体がフレーク状になったら手でひとまとめにし、5分間くらい両手で掴んだり揉んだりする。

⑥  最後に丸い形に整えて乾いたまな板の上に置き、包丁などで6等分に分割して手早く丸める。

  (このとき、打ち粉はほとんど不要です。)

⑦  丸めた生地は間隔を開けて並べ、乾かないようにラップやオーブンシートを被せて10分くらい休ませて

  おき、この間に使った調理器具の片付けをする。

⑧  生地を軽く押さえてガス抜きし、好みの形に成形してオーブンシートを敷いた天板に間隔を開けて

  並べ、しっかり生地に霧を吹く。

⑨  オーブンの温度を発酵(30~40℃)にあわせて30分間くらい、生地が約2倍になるのを待つ。

  (室温が高いときはオーブンに入れないで、そのままでも発酵できる。)

⑩  200℃のオーブンで8分焼き、焼き色が薄いときは温度を少し上げてさらに数分焼く。焼き時間が長い

  とパサつくので、10分程で焼き上がるように調整する。

【手順の要点】

②  ●の粉に熱湯を加え、粉っぽさが消えるまでかき混ぜる。

熱湯を注ぐ粉と熱湯かき混ぜる







⑤  フレーク状になったらひとまとめにし、5分間くらい両手で掴んだり揉んだり。

フレーク状ひとまとめ掴んだり揉んだり







⑥  丸い形に整えて乾いたまな板の上に置き、包丁などで6等分に分割。

丸い形6等分







⑧  成形してオーブンシートを敷いた天板に並べて発酵。

成形







焼き上がり!(発酵後に小麦粉を振って切り込みを入れたもの)

焼き上がり

 私たちは社会福祉士過程の受講科目である、「社会福祉演習Ⅳ」の一環として、岡山市北区奉還町商店街の調査を行ないました。調査内容は受講者12人を2チームに分け、一方が商店街入り口から見て左方(駅側)、もう一方が右方(学校及び済生会病院側)を観察しながら奉還町商店街の良いところ、また課題になるところを見つけ出し、その改善点について考えるといったものです。

奉還町商店街にて

 調査を通して、良い点としては、様々な種類の店が見られる、穴場スポットが多いなどが挙げられました。また、生活において必要な商品は、大方商店街でまかなえるような印象を受けました。

 その一方で、シャッターが閉まっている店舗や空き店舗が多い、その影響か全体的に暗い雰囲気を感じる、様々な種類の店舗が見られる一方で似たような系列の店が密集しているといった印象も受けました。また、営業時間が短く、学校帰りに店によることができないという意見もありました。調査参加者以外に話を聞いたところ、女子大生一人では歩きづらいという意見もありました。

奉還町商店街にて調査中

 総じて見てみると、やはりシャッターが閉まっている店舗や空き店舗が多くあり、それが目に付きやすいように感じられました。また、どちらかというと主婦層寄りの店が多く、若者にとってはやや近寄りがたいという面もあるように感じました。魅力的な店舗が多いにもかかわらず、なかなか人が近寄れないということは課題解決に向けてのヒントとなり得るのではないでしょうか。

 これらの課題を踏まえた上で、課題の解決をおこなうために、まずは空き店舗を減らすということが挙げられるでしょう。その際に、その空き店舗にどのような系列の店を入れるかによっても呼び込まれる客層も変わってくるため、今まで通り主婦層をターゲットにするか、若者もその層に入れるかを慎重に判断することも必要だと思われます。また、大々的なイベントの開催や、宣伝なども集客には効果的であると思われます。

奉還町商店街にて一息

 簡単な調査であったため、おそらく今回発見した以上に良い点も課題も存在していると思われます。課題を改善し、魅力を伸ばしていき、奉還町商店街の活性化が行われることを期待しながら、地域から学ばせて頂いた一コマでした。

                                                                3年生 山本裕理