L・M・モンゴメリ研究所創設25周年とフェリーチェ講座「赤毛のアンの世界」


赤松 佳子教授


 2018年6月、プリンス・エドワード島大学 (University of Prince Edward Island)において、第13回モンゴメリ国際会議(The L.M. Montgomery Institute's 13th Biennial Conference)の期間中に、本稿の題目にある研究所(L. M. Montgomery Institute)は、創設25周年を祝った。今回も研究発表をする機会に恵まれた私は、6月23日朝8時過ぎに、Kelley Memorial Buildingの外で行われた記念植樹祭に招かれ、その式典に参加することができた。
 L・M・モンゴメリ研究所は1993年、エリザベス・ロリンズ・エパリー博士(Dr. Elizabeth Rollins Epperly)の尽力によって設けられた。エパリー博士は、初の本格的なモンゴメリ作品研究書(The Fragrance of Sweet-Grass, 1992)をはじめ、さまざまなモンゴメリ関連書を出版してきただけでなく、女性として初めてプリンス・エドワード島大学学長になった(1995-1998)研究者である。中でも、1994年から隔年でテーマを定めて国際会議を開くきっかけを作り、モンゴメリ研究を牽引してきた。実は、この研究所の国際パトロンは2004年から日本の高円宮妃殿下である。そのため、2018年の日本人の国際会議参加者7名は、桜の記念植樹に呼ばれたのだった。黄金のシャベルを真ん中にして、珍しい状況の中で記念撮影が行われた。(写真1と2を参照)参列者には、桜の苗木が大きくなる25年後まで、ぜひ国際会議に来てほしいという声掛けがあった。そこまでの長期にわたって参加することは私には難しいが、モンゴメリ研究を通じて日加の友好関係が続くことは可能であろう。桜が大きくなるとともに、モンゴメリ研究がますます発展してほしいものである。
 なお、2018年の国際会議のテーマは「モンゴメリと読書」(L. M. Montgomery and Reading)であった。6月の会議を盛り上げるため、2017年9月から毎週火曜日に、モンゴメリ初の長編小説『赤毛のアン』(Anne of Green Gables, 1908)全38章を1章ずつ担当者が発表をするという、ウエッブ上読書会が行われ、私も第20章についてエッセイを発表した。今も、モンゴメリ研究所のサイトで読むことが可能である。
http://www.lmmontgomery.ca/anne-green-gables-read-long-chapter-xx-good-imagination-gone-wrong)
 また、国際会議では植樹祭と同日23日午後の「大人の世界を読む――教育・医療・法律」(Reading Adults: Education, Medicine, and Law)のセッションで、私はモンゴメリ作品を生涯学習の視点から取り上げ、ノートルダム清心女子大学の生涯学習講座フェリーチェの「赤毛のアンの世界」を紹介した。大人読者のためにも、モンゴメリ作品がいかに最適なテクストなのかを論じたのである。興味のある方は、今秋10月6日と11月10日に開催予定の二つの講座にぜひ参加していただきたい。二人の友人、モンゴメリ研究家・梶原由佳さんと写真家・吉村和敏さんの映像を交えたお話が行われる。(「文学への招待――赤毛のアンの世界」を参照: http://www.ndsu.ac.jp/felice/)  2015年から開催してきた本講座がますます充実していることを参加者に実感してもらえると、コーディネイターとして私は確信している。


(1. 植樹祭参列者の集合写真)



(2. 日加の友好を示す、植樹の記念プレート)


*写真はいずれもL. M. Montgomery Institute より

This is a report of the Extensive Reading Foundation tour of Indonesia in July 2018. Dr Rob Waring of Notre Dame Seishin University, Dr Willy Renandya of Nanyang Technological University in Singapore, and Yuseva Wardhana of Sanata Dharma University, Yogyakarta, Indoensia were the main speakers on this tour.  The tour comprised talks at six universities in four locations, Yogyakarta, Solo Surabaya, Salatiga and Jakarta.

The main theme of the talks was to introduce and promote the notion of Extensive Reading to Indonesian teachers who are quite new to the idea of extensive reading. Almost 1000 teachers and teacher trainees attended the talks. At the beginning of the talks ony 2-5% of teachers had heard of graded readers but by the end, 97-98% of the teachers were interested in finding out more and buying some books.  Since the tour finished many new extensive reading programs have started and there are many demands for more lectures next year.

Indonesian Er Talk

 グローバリズムという言葉が世に出て久しいが、至る所でその語は枕詞のごとく使われ、今なおその命脈は保たれているようである。しかしながら、良く指摘されることであるが、この用語は「アメリカニズム」の類語として、あるいはその隠れ蓑として機能している。グローバリズムを象徴する企業と言えば、マイクロソフト、アップル、フェイスブック、コカ・コーラなど、アメリカ籍のグローバル企業が多く思い浮かぶことからも分かるであろう。つまり、アメリカ的な自由主義経済の推進と波及を表す言葉として理解され得る。その影響は当然経済や商業に限ってことではない。言語にしたところで、アメリカ英語中心の語学教育は日本の学校教育からも一目瞭然である。もちろん、言語ではEnglishes、文化では「サラダボール化」や「モザイク化」といった、複数性を志向する多元主義の流れがあることも無視できないが、通信・交通・流通による地球のボーダレス化の大きな流れの中で、アメリカ的価値観が大きな影響力を及ぼすのは自明の理であろう。しかし、これに対する修正主義的提言がないわけではない。その一つとして、「惑星的思考」という考え方が比較文学の領域から提起された。提唱者は、サバルタン研究でも有名な文芸批評家G・C・スピヴァクである。この惑星的思考(スピヴァック自身、この考えを一度は破棄しているが)は、乱暴な言い方をお許し願えれば、地球を一つの惑星として見て、人間を地球上の主体というよりはむしろ惑星上の一生物と考えることで相対化し、これまで看過されてきた他者の存在に着目するという考え方である。もちろんglobeも「球体」や「地球」を表し、地球全体を見るという視点が内在しているが、この語が地球上から地球を想像するというニュアンスを有しているのに対して、planetは他の惑星との関係性のなかでよりマクロ的に地球を捉える見方と言える。文字通り、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士土井隆雄氏は「アメリカも日本もウクライナもインドも、それらの国がどこにあるかは見えなくとも、この地球が私たちの故郷なのです」と語っているが、そこには、経済的・政治的強者であるアメリカの姿は不可視であり、ましてや国境を隔てる「壁」など問題にもならない。加えて、地球上の強者である人類とてその存在は確認しえず、むしろ海や大地、緑の存在が際立っているであろう。

                                          

 グローバリズムがアメリカニズムのメタファーとして、実質、地表レベルの経済的・商業的・社会的陣取り合戦を意味したとしても、惑星的レベルの視点に立てば、それは不可視な事柄である。むしろ可視化しうる海や空、大地といった自然環境や、人類と共に生きている動植物のことに思いを馳せ、一つの惑星として地球全体の繁栄を願う視点を有してこそ、グローバリズムの本当の意味を問うことが出来るのではないだろうか。

2018年
04月09日

Endings and Beginnings

Endings and Beginnings

by Lyn Swierski

 

I am writing this a few days after the new Class of 2022 thundered down the aisle, into the school gymnasium, to celebrate their Entrance Ceremony on April 2nd.  Only two weeks earlier, the graduating Class of 2018, marched slowly down the aisle in their caps and gowns in graceful precision, a beautiful sight to see.  It is amazing to attend these two events so close together. We watch the mature young women we have spent four years with, walking out into the world with their heads held high, holding onto their diplomas, symbols of the knowledge and experience they have gained from their time in university.  Then, soon after, to fill the void, there is a fresh group of young students, most of whom have just finished high school, all in their crisp suits and heels, new to each other, and unsure about this unfamiliar place called Notre Dame Seishin University. I smile at how the new students rush into the gym, and in my mind's eye I can already picture them four years from now, standing straight and looking elegant, slowly marching out the door. 

The recent graduates I've grown close to, especially those members of the English Drama Club that I direct, and the members of my seminar group, are precious to me.  These new students cannot take their places.  But life is cyclical, and there are few places that illustrate that aspect of life better than a school. March and April are two months that stand out in that way.  We say goodbye to students we have watched and helped to grow, and we open the door to a new group, and trust that wonderful things lie ahead for them in the next four years.  It's a beautiful cycle that teachers get to witness every year.  



 

 船橋に(1)のような交通安全ポスターが貼ってあったそうです。下線部に注目!

   (1)  こっち見るなっしー! 前見て運転するなっしー!

       (2014年10月10日)

       http://john173.blog.fc2.com/blog-entry-227.html

ツイッターを "みんな見るなっしー" で検索してみました。検出例の1つが(2)です。

   (2)  このあとすぐ、NewsZEROにふなっしーが出るよー みんな見るなっしー

 (2014年7月14日)

https://twitter.com/search?q=%22%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%97%E3%83%BC%22&src=typd

 

 (1)と(2)の下線部は、発音は同一ですが、意味は否定・肯定に関して逆です。(1)では「見ない」ように、(2)では「見る」ように、促しています。

 (1)では、もともと「な」が2個連続していたものが1個省略されているのです。このように、同じ音が2個連続するとき1個が省略される事象を、haplology(ハプロロジー、重音脱落)といいます。

   (1)   見るな + なっしー →  見るななっしー → 見るっしー

   (2)   見る + なっしー             → 見るなっしー

 

 次は、新聞の切り抜きです。政治家2名の提唱する経済政策について解説しています。この紙面にhaplologyの例が見られます。 

ノミクス(朝日新聞)

『朝日新聞』2012年1月9日朝刊

  (3)         エダノ(枝野幸男) +ノミクス → エダノノミクス → エダミクス

  (4)       マエハラ(前原誠司)+ノミクス           → マエハラノミクス

 

 Haplologyは、なぜ起こるか?また、どんな場合に起こるか? 同音連続のある種のものは言いにくく、haplologyはそれを解消するために起こります。したがって、同音連続の言いにくい事例において起こります。上にあげた例は、理屈に従えば「見るななっしー」「エダノノミクス」のほうこそ正しいはずなのだが、実際に発音してみると変な感じがします。

 ふなっしーの例は、特に変わっています。ここでは、haplologyは、逆の意味に取られかねないという不都合をもたらします。にもかかわらず起こります。分かりやすさより言いやすさが優先されるわけです。

 

 ここまでで、Haplologyが起こることがある、ということは分かった。では、どのくらいの人数の人にとって起こるのだろうか? ふなっしーの例について、本学の授業でアンケート調査を行って調べました(2017年12月)。

 次の質問票を使用しました(一部分を抜粋)。6つの文 ―3つの場合(1)(2)(3)に対してそれぞれ2とおり(a)(b)の言い方― を回答者自身が言うか・言わないか、質問しています。

質問票「(ナ)ッシー」

調査結果を、グラフに示します。数字は「言う」という回答の数(%)です。

調査結果「~(ナ)ッシー」

調査参加者は45名でした。このグラフでは、45名のうち(1b)「ダメッシー」とは言わないと回答した34名について集計してあります。(なお、残りの11名は、(1b)を(まれにだが)言うと回答。この人たちは、「ナ」を含まない「ッシー」という別の語尾を、加えて持っていると考えられます。)

 

 グラフから以下のことが読み取れます。

 (1)は、同音の連続とは無関係である場合です。(a)「ナッシー」という語尾は(ふなっしーのまねをするとすれば)ほとんど全員が使います(97%)。

 これに対し、(2)(3)は、「ナ」で終わる語に「ナ」で始まる語尾が続く場合です。(a)「ナッシー」をそのままで付ける人は約3分の2(68%, 63%)に止まります。(b)「ナ」を1個省く人は1/3以上(34%, 41%)います。つまり、haplologyが1/3強の人数の人にとって起こっていることになります。

 (2)と(3)の相違を見ましょう。(2)では、(b)のようにhaplologyを起こすと、逆の意味(邪魔しなさい!邪魔しよう!)で解されかねません。一方、(3)の(b)では、その心配はありません。調査結果を(2b)から(3b)への方向で見ると、少数(7%)の違いだが、「ナ」を1個省く人数が増えます。つまり、1割弱の人たちが、言いやすさより分かりやすさを尊重し、(2)ではhaplologyを控えているのだ、と考えられます。

 

 haplologyの働きは、私たちが気がつかないないうちに、私たちの普段の言い方を変えていっているのです。