ノートルダム清心女子大学は,教員養成という点においても大きな実績をあげています。

 英語英文学科の卒業生も,最近10年間で見ても,中学校,高等学校の英語科教諭として正式採用された卒業生は70名を超えています。そして毎年10名前後が本学卒業後に中学校または高等学校等に教諭または講師として勤務し,生徒たちに英語を教えています。

 教員免許状を取得するためには,教職課程を履修し,教員になるために必要な定められた単位を修得することが求められています。今回の学科エッセイでは,教師を目指す学生たちの姿の一端を紹介したいと思います。

 教師を目指す学生たちの学び

 本学の学生たちがとりわけ苦労しているように思われるのが,二つの演習科目のようです。「英語科指導法演習Ⅰ」という科目は,国内外の英語の論文を読みながら,将来必要になるであろう英語教育に関する知識を演習形式で蓄えていけるよう設定された科目ですが,英文を正しく理解するためには,その背景となる主に言語学に関する知識が必要になるため,どの学生にとっても最初の段階では単なる英文読解を超えた難解さがあるようです。この科目では,英語科教育の理論面を深く学びます。

 さらにもう一つの演習科目である「英語科指導法演習Ⅱ」では,学生たちはグループごとに指導計画を立案・検討し,一人の学生が生徒役の他の学生に対して模擬授業を行います。この科目では,実際の学校の授業を想定して学生たちの実践的指導力を育成しています。事前にどれほど準備をしていても,授業というものは日々の状況や環境によって常に変化するものであるため,想定外の出来事に遭遇し,その対処に苦労しながらも学生たちは最終学年で実施される教育実習に備えています。

英語科指導法演習Ⅱ

 より良い教師になるためには,免許を取得するために英語に関する専門科目だけを学んでいればよいということではないため,学生たちはこの他にも様々な教職に関する科目を4年間にわたって学んでいます。「教職基礎」から始まって,「教育課程論」,「学校経営論」,「教育心理」,「生徒指導論」などの科目履修を通して,教師としての学びを深めていきます。筆者は,過去5年間,卒業前の最後の科目で,教職に関する意識調査を実施してきましたが,その中で4年間の教職履修で自分にとって教育に関する心に残る言葉は何かという問いかけをしてきました。以下に挙げているのは学生たちの心に残った言葉の一部ですが,学生たちが4年間の教職履修の中で,講義の内容,教育実習先の生徒たちや先生方から学んだ内容,自ら読んだであろう幾多の本,そして学生自らの体験を通して,多くのことを学び取ってくれたことが,これらの言葉から読み取れるのではないかと思います。

心に残る言葉

  ①生徒から信頼される先生は,生徒を信頼している教師である。

  ②どんな生徒も,その生徒を取り巻く人間次第で変わる。

  ③良くなると思えば必ず良くなる。悪くなると思えば必ず悪くなる。それが子ども。

  ④生徒の短所・欠点を見るのは凡人。長所・美点を探し出すのが名人。

  ⑤できない教師ほど子どもの愚痴を言い,子どものせいにする。

  ⑥成功したのは生徒のおかげ。失敗したのは教師のせい。

  ⑦子ども同士の教育(教え合い・学び合い)は,親や教師による教育に優る。

  ⑧大人がしてやれるのは,相談に乗ること,支えること,大事な時に逃げないこと。

  ⑨子どもは教師を選べない。

  ⑩厳しい指導とは,決して見捨てない指導である。

  ⑪人は人によって人になる。

  ⑫忘れられて喜べる教師になりなさい。

  ⑬学校は「正しいこと」が,何にもまして大切にされる場所でなければならない。

  ⑭教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと。

  ⑮教育は教えるものでなく,学ばせるものである。学び方を指導するものである。

  ⑯人は好きな人からしか学ばない。

  ⑰教えることは学ぶこと。

 

 また、本学では年に数回、卒業生を招いて3年生及び4年生を対象に特別講義を実施しています。中学校または高等学校等で英語教師として勤務している本学の卒業生に、実際の学校や生徒の様子及び教員としての仕事と勤務状況を、後輩たちに話をしてもらうよう依頼しています。学生たちにとっては、年齢の近い先輩から聞く体験談は、自らの教職履修を振り返るとともに、職業としての教師の在り方に思いをめぐらせて卒業後の職業選択を自覚する良い機会となっています。 

 学生たちの前で堂々と話をしている卒業生の姿を見ていると、つい最近まで大学の講義室で学んでいたとは思えないほど、彼女たちの卒業後の成長の大きさを実感するとともに、教師を目指す学生たちに関わる担当者としての大きな喜びを感じています。


ロサンゼルスで講演を行った広瀬佳司教授のエッセイを2回に渡って掲載します。

1回目はこちらをご覧ください。
2019年ロサンゼルス講演:小辻節三を世界に ―「諸国民の中の正義の人」賞への挑戦ー(1)


 27日当日はあまり寝られず、2時間ごとに目が覚め、結局朝の4時にはベッドを出て原稿の最後の仕上げをした。また予想される質問への答えも入念に準備し直した。朝食もとらず水だけを飲み、ホテルに迎えに来てくれる総領事館の公用車の到着を待った。純大さんもお疲れの様子だったが約束の時間には姿を現した。11時から再度会場での打ち合わせをする。講演会は開場が午後6時30分であった。それまでに最終チェックを終えて昼食の予定だった。ところが、私に一つ困ったことが起きた。当初、原稿を持ちながらのスタイルで準備していたが、パワーポイントを使用するために会場の灯りが落とされていて、演台のテーブルには小さなライトのみであることが判明した。そのため、純大さんのようにコンピューター原稿をそのまま読む方法に切り替える必要性がでてきた。結局、急いで昼食を終えてホテルへ戻り、2時間ほどコンピューター上の原稿を発表用に整理をし直した。その作業が終わる頃には午後5時近くなり、仮眠の時間など残ってはいない。目薬を用意していたのがせめてもの救いであった。そのまま会場入りをした。不安なのは、準備の段階で紙媒体の原稿に色々とメモをしておいたのが、コンピューター上にはそれがない。かなり焦ったが、もうどうしようもない。
 いよいよ開演である。平田さんのピアノ演奏(ショパン:「エオリアンハープ」)で講演会が厳かな雰囲気で始まった。日本総領事の千葉氏、日米文化会館・最高責任者である日系の望戸(もおこ)リキオ・ダレン氏、それからサイモン・ヴィーゼンタール・センターの副館長であるラビ・クーパー氏と挨拶が続いた。

サイモン・ヴィーゼンタール:副館長ラビ・クーパー氏
 その後、いよいよ私の講演である。呼び出しを受けて、高い演台へと向かう私は久しぶりに震えていた。「コンピューターがうまく働いてくれるだろうか」という一抹の不安からである。

 講演が始まると少しずつ落ち着いた。準備していたイディッシュ語ジョークも思い通りに決まって、220余名の聴衆からも大爆笑を誘った。この笑いが大きな波となり、私を最後まで運んでくれた。講演後もしばらく拍手が鳴りやまなかった。降壇すると、ラビ・クーパー氏が満面の笑顔で私を迎え、「素晴らしい講演でした!」と強く手を握った。

広瀬佳司教授
 私の後で演台に向かう純大さんの表情にも緊張が見て取れた。海外では初めての講演であるという。始まると、小辻本人や小辻が二人の娘さんと写った個人的な写真がスクリーンに映し出され、小辻家と親しくないとできない思い出話が披露された。そのために、会場の人々もとても和やかな雰囲気になっていくのが感じられた。演台を降りてきた純大さんに満足の表情が浮かんでいた。そんな彼と私は固く握手を交わした。こうなると二人は戦友である。
 二人の講演が終わり、再び平田氏による山田耕筰の曲集「スクリャービンに捧ぐる曲」より「夜の詩曲」のピアノ演奏がなされた。その調べが一瞬にして会場を包み込み、人々はしばし現実世界から解き放たれた。前夜の晩さん会の席で、平田氏も語っていたが確かに音楽は普遍的な言語である。瞬時にして言語の障壁を超え、様々な聴衆の心にしみわたる。ピアノ演奏で講演会に来てくれた人々も少し緊張がほぐれた様子であった。
 その後、寛容博物館のリーベ・ゲフト館長に続いて、私と純大さん、それに純大さんの通訳者が舞台という現実世界に戻る。少し気がかりな質疑応答の時間だ。最初に、ゲフト氏は私たち二人が、いかにして小辻のテーマにたどり着いたのかを尋ねた。私はホロコースト研究の一部としてユダヤ人救助者の研究に入ったことを述べた。いわばユダヤ人側からのアプローチである。純大さんは、ペパーダイン大学(ロサンゼルス)の学生時代に杉原千畝の話に興味を抱き、進めていくうちに小辻節三に行き当たり、それから小辻のお嬢さん方にコンタクトを取り研究に入った経緯を詳細に説明した。

リーベ・ゲフト館長
 このあとで会場から様々な質問が出たが、そのうち二つほど答えに窮するものがあった。一つは、杉原にビザを発行してもらい、団体で日本に来た350人のミール・イシヴァー(ラビ養成神学校)の学生はいつ、どうやって上海に移って行ったのかということである。大まかには41年に神戸を去り、上海へ移り、そこからアメリカやイスラエルへ移ったことはわかっているが、諸説があり純大さんも答えづらかったと思う。すべてユダヤ難民の口述証言によるために個々人により記憶が異なる場合が多い。

サイモン・ヴィーゼンタール・センター大ホール:左からゲフト館長、広瀬、山田、通訳
 もう一つは、かなり意地悪な政治的な質問である。純大さんが当時の様子を伝えるために日本軍が行進する写真を何枚か画像に挿入していたことに関している。
 中年の男性が、「日本人はユダヤ人問題では功績は認められるが、他の民族への対処の仕方はどうだったのですか?」と質問してきた。明らかにアジア諸国での日本軍の残虐行為への批判を込めている質問である。まともに応えればさらに厄介な質問が飛んでくるだろう。そのことが想定できたので、これは私が受けて立った。
 「今回は、ユダヤ難民の救助者の話をしていますが、それはたまたま私がユダヤ人問題を専門にしているからです。なぜそこに焦点を当てることが大切かということは、民族間の偏見をなくすためには深くお互いの民族を知ることが大切だからです。私には他の民族間の問題は専門にしていないので無責任な分析はできません。しかし、偏見をなくすためには、具体例を示すことが非常に大切だと私は思います。そうした意味で今回は日本人とユダヤ人の関係に絞ってお話をしているのです。だからと言って他の問題があることを否定するという意図はありません。アメリカを始め、今多くの国々で人種間の偏見から大きな問題が起きています。この講演会が、そうした問題を考える一助になれば幸いです」と答えると、質問者はそれ以上何も言わなかった。
 30分ほどの質疑応答後、二人が深々と頭を下げると聴衆から私たちにスタンディング・オベーションが送られた。ありがたい喜びの瞬間であった。講演会の終了後に催されたレセプションで、千葉総領事が私のところに来られて、「やはり、先生が昨日言われていたような意地悪な質問が出ましたね。先生のお陰でうまく行きました。本当にありがとうございました」とお礼を述べられた。総領事も気になった質問だったのであろう。しかし、毎回思うことだが、海外での講演会での醍醐味は、そんな質問がきたときに質問者の意図を的確に捉え、瞬時に判断しうまく対処することである。緊張はするが、一種楽しみでもある。日本では決して味わえない真剣勝負のようなものかもしれない。
 翌日28日、昼過ぎに帰国する私の便に合わせて総領事館の公用車が8時に迎えに来てくれることになっていた。しかし、空腹で、早朝から目が覚めてしまっていた。昨夜は、講演会が終わってからも日本とアメリカの新聞記者の方が10人ほど来てくれて、その対応で40分ほどの時間を費やした。私たちの講演に強い関心を抱いてくれたようだ。そのためにレセプションが終わる20分前にしかレセプション会場に行くことができず、会場に行った時には食べ物は180人ほどの客たちによってきれいになくなっていた。チーズひとかけらも残っていない。しかし、私のゼミの卒業生や千葉総領事と話せたことは意義深かった。
 7時30分にはチェックアウトを済ませ、ロビーで公用車を待っていると後ろから「おはようございます!」という声が聞こえた。純大さんだ。風邪をひかれている様子で、「先生、近づかないでください」と手のひらを見せた。純大さんは、もう一日当地に留まり、翌日の便で帰国予定なので早朝から起きる必要はなかったが、義理堅く挨拶だけはと見送りに来られたのだ。芸能界という上下関係の厳しい世界に身を置かれているせいかもしれない。しかし、それだけでなく、躾の行き届いた方である。そこで昨夜の反省事項を二人で話した。例の政治的な質問に対する対処の仕方なども話した。これから純大さんはアメリカで講演をすることが多くなるであろう。老婆心からのアドバイスである。純大さんは、深くうなずきながら黙って私の話を聞いてくれた。本当に素直で思慮深い人だ。これからも、彼の様に信念を持ち、世界で活躍してくれる若い日本人が増えてくれることを心から望んでいる。この講演会を機に、数回の打ち合わせを通して山田純大さんのような若い方と知友になれたことは、このイベントで得た私の財産でもある。

ロサンゼルスで講演を行った広瀬佳司教授のエッセイを2回に渡って掲載します。


 「ユダヤ人」という言葉は日本人にはあまり馴染がないが、スピルバーグ監督、画家マルク・シャガール、物理学者アインシュタインなど、ユダヤ人の名前は意外に知られている。その八面六臂の活躍ぶりはノーベル賞受賞者数にも明らかで、世界人口の0.2%のユダヤ人がノーベル賞受賞者数では、ほぼすべての分野で2割を超えるから驚きだ。その成功は主に教育重視という伝統に因る。この点では日本人とも似ているかもしれない。「日本人はユダヤ人の子孫である」という言説が、まことしやかに囁かれた時もあった。
 米国ユダヤ社会や、イスラエルにおいて日本人は好感を持たれているようだ。ユダヤ系アメリカ人の友人でも、日本人女性と結婚している人が少なくない。日本は神道と仏教を同時に信仰する稀有な多神教国家である。そのために、異なる宗教文化も抵抗なく日本文化に取り込んでしまう。例えば、キリスト教でもないのに、クリスマスやイースターを盛大に祝う。
 キリスト教国ではない日本では、ユダヤ人迫害が起こった歴史もなく、ユダヤ人に対する感情的なしこりもない。歴史的に見れば、19世紀末から20世紀初頭までユダヤ人社会が長崎に存在していた。事実、坂本国際墓地の一角にはヘブライ語で記されたユダヤ人墓石が並んでいる。また、日露戦争(1904-05)で弱小国家日本の経済面を支えてくれたのもユダヤ系・米国投資銀行のジェイコブ・シフである。シフは、その貢献が認められ、明治天皇から1906年に勲一等旭日大綬章を授与された。
 それではユダヤ社会からみて、彼らに貢献した日本人は誰かといえば、最初に杉原千畝(1900-1986)(すぎはら・ちうね)の名前が挙がる。杉原は、第二次世界大戦中に、ナチスに追われた多くのポーランド系ユダヤ難民に「命のビザ」を発行し、結果的に多くのユダヤ人を救った。今では、米国のどのホロコースト記念館にも、杉原の功績を展示するコーナーが設けられている。だが、杉原の日本通過ビザだけで多くのユダヤ難民が救われたわけではない。ユダヤ難民救助の鍵を握るのが小辻節三博士(1889-1973)であった。
 京都下賀茂神社の宮司の家系に生まれた小辻は、十日間有効の日本通過ビザを携え来日した4600人を超えるユダヤ難民の日本通過ビザを、当時の外務大臣松岡洋右の助言を受け数か月にも延長した。そればかりか、ユダヤ難民を経済的にも援助し、ほぼすべての難民を希望する国々へ送る支援をしたのが小辻であった。まだ、日本ではほとんど知られていないこの稀有なヘブライ語学者の貢献とその情熱は注目に値する。

 2019年3月22日に成田を発ち、日本航空のビジネスクラスでロサンゼルスへ飛んだ。今回は在ロサンゼルス日本総領事館主催、サイモン・ヴィーゼンタール・センターと日米文化会館が協賛して、寛容博物館で実施されたビッグイベントである講演会「AFTER SUGIHARA: SETSUZO KOTSUJI'S AID TO JEWISH REFUGEES」(27日)に講師として招かれ、貧乏学者が経験する初めてのビジネスクラスの旅である。確かに座席は広く食事もよい。ゆったりと横になって寝られるのであまり腰痛もなくロサンゼルスに到着できた。講演までに体調を整えようと公式行事が始まる4日前に私的にロサンゼルスへ向かった。予定通り旧友がロサンゼルス空港で出迎えてくれた。
 カリフォルニア州が全米でも日本人人口はトップの26万人(米2010年国勢調査)で、ロサンゼルスの日本人人口は2010年では10万人を超えていたが、次第に減少し現在は9万人(2017年10月現在)前後であるが、ロサンゼルスがアメリカで日本人の最も多い都市であることは間違いない。庶民的なニュー・ガーディナ・ホテルは、日本人が多い地区に立っている。ゆったりとした部屋で海外初のウォシュレット付日系ホテルだ。欧米ではどんな高級ホテルでもウォシュレットは付いていない。ただ、一つ困ったことは、ポットも湯沸かし器もないことだ。おまけにペットボトルの水も置いていない。友人が気を利かして炭酸水を何本も持ってきてくれた。
 ニュー・ガーディナ・ホテルの周りには日本人向けの小さなショッピングモールがあり、日本人が多い。朝から日本食ばかりである。欧米社会に身を置き、日本文化の中で生活したのはこれが初めてで少し奇妙に感じたが、日本料理屋さんで出された信州蕎麦がとてもおいしかった。蕎麦定食は15ドルほどなので、アメリカでは手ごろな価格である。ホテルのフロントで働く人々もほとんど日本人で日本語しか聞こえてこない。ガーディナ地区はその昔、日本からの移民たちが庭師をしていたのでついた名前のようだ。
 友人と蕎麦屋で食事を終えて帰ろうとすると、「広瀬先生」と後ろから追って出てきた若い女性が声を掛けてきた。振り向くと十数年前に私が長年教鞭を執るノートルダム清心女子大学を卒業した元ゼミ生であり、驚いた。偶然というのはあるものだ。本当に世界は狭い。ひとしきり話してから、今回の講演会の事も話すと是非聴かせていただきたいという。永住権を既に取得し、日本人向けの塾を経営しているそうだ。
 あっという間に22日から26日までの快適なロサンゼルス日本社会での日々が過ぎた。26日午後にガーディナ・ホテルを後にして日本領事館が予約してくれたロサンゼルス中心街の豪華なホテルへ移動した。ホテルに入ると日本人の姿は全くない。少数の富裕層の中国人らしき人以外は金髪碧眼の白人世界なのだ。アメリカ社会独特な住み分けかもしれない。
 前日の26日、領事館の小林大和(やまと)領事から連絡が入り、詳細な講演会当日のスケジュールが届いた。翌日は文字通り分刻みのスケジュールが組まれている。これほど過密予定ならば作るのも大変だろうと思う。やはり、公的な講演会は綿密に計算される。ロサンゼルスに在住の世界で講演活動をしているピアニスト平田真希子さんの演奏で会が始まる。私の講演前には、1分刻みで挨拶が続く。どれほどの人たちが訪れるのかはわからないが大変な催しになるのは理解できた。それと共に私の緊張感も高まる。
 インターコンチネンタル・ロサンゼルス・センチュリーシティに着いて2時間ほど休むと、領事館の車が迎えに来てくれて27日の講演会のリハーサルのために会場へ向かう。ここで、数時間前に到着したばかりのもう一人の講演者である俳優であり、小辻節三の研究家でもある山田純大さんと合流した。まだ若い純大さんもさすがにお疲れの様子である。映画の撮影を終えてすぐに日本を発ったそうだ。講演では私がまず杉原千畝・小辻節三に関係する歴史的、思想・宗教的な背景を説明し、今までの解釈では不十分な点を指摘し、ユダヤ人救助者である二人の日本人の接点をまとめて講演する。純大さんは小辻家との個人的な関係を紹介することになっていた。
 サイモン・ヴィーゼンタール・センターが運営する寛容博物館内の大型シアターでパワーポイントの資料を実際に映し出してセンターの技師と事前調整をした。さすがにプロ中のプロはお手並みが素晴らしい。そこで、当日の司会をされる館長のリーベ・ゲフト氏とも打ち合わせをする。1時間ほどのリハーサルが終わり、総領事官邸の歓迎晩さん会に向かった。
 千葉明総領事ご夫妻の住む官邸は閑静な高級住宅地にある大きな邸宅であった。日本国の威信を示す場所でもあるので当然かもしれない。裏庭にはプールもあり、広い庭園ではガーデンパーティもしばしば開かれるとのことであった。その夜は、総領事ご夫妻と、ピアニストの平田さん、山田さん、領事の小林さんと私であった。刺身から始まる豪華な日本食であった。私などには、日本でもいただけない高級料理である。なんでもカリフォルニアで有名な日本料理人が準備してくれたものであるらしい。
 料理もさることながら、今回のテーマであるユダヤ人社会の特質や、イディッシュ語ユーモアなどの話が中心になり、ご夫妻も興味深げに微笑を浮かべながら私の話に耳を傾けてくれた。日本総領事館でも初めての話題であったと思う。主賓として皆さんに喜んで頂けることが話せてよかった。奥様の裕子さんよると、官邸の周辺には正統派のユダヤ人のコミュニティがあり、しばしば黒装束の人々の姿が見受けられるという。つまり、富裕なユダヤ人たちが住む安全な一角であるということだ。純大さんの話だと、様々な人々が小辻節三の「諸国民の中の正義の人」賞授与へ積極的に動いているようだ。また純大さんも個人として、そのための様々な資料をイスラエル大使館に提供しているとの話であった。日本においては、純大さんが小辻節三の研究の第一人者である。忙しい俳優業をしながらも、そうした研究や運動を推進している彼の情熱には頭が下がる。小辻の二女である高齢のメアリーさんも純大さんに小辻の残したものをすべて譲っているという。絶対的な信頼を得ているのが山田純大という人物である。その純大さんの話だと、この名誉ある賞を与える「ヤド・ヴァシェム」(ホロコースト記念館)は審査が非常に厳しく、小辻の推薦は過去3回退けられたという。単なる名誉の賞ではないらしい。「危険に身をさらし、ユダヤ人を救済した」ことが証明されないと認められないのだ。外務省は、そうした状況を踏まえて今回の大きなイベントを企画したのだろう。
 美味しいお酒もいただき、晩さん会にいた人の全員が思い思いの話を披露し、とても和やかで楽しいひと時であった。しかし、純大さんと私に与えられた使命の重さを考えると、嵐の前の静けさとでもいうべきかもしれない。純大さんも、私も明日の講演の事を考え、やや緊張していたのは事実だ。

2019年ロサンゼルス講演:小辻節三を世界に ―「諸国民の中の正義の人」賞への挑戦―(2)へ続きます。

2018年12月、映画『メアリーの総て』(原題:Mary Shelley, 2017)が日本でも公開されました。18歳という若さで小説『フランケンシュタイン』を書いたイギリスの作家メアリー・シェリー(1797-1851)の半生を描く映画です。16歳で出会って駆け落ちした著名な詩人パーシー・シェリーとの関係、そして彼女が「怪物」の物語を生むに至った経緯に重点が置かれていて、見応えのある内容でした。

映画では、『フランケンシュタイン』を出版社に持ち込んだメアリーが、「若い女性が書くにしては奇妙なテーマ」だと言われ、夫が書いたのではないかと仄めかされ、「これは私の物語」だと怒りをあらわにする場面があります。ヴィクター・フランケンシュタインが死体の部位を寄せ集めて「人間」を造り、醜悪なその「怪物」が博士の大切な人たちを次々に殺していくというこの物語は、当時の社会規範に照らせば間違いなく「女性らしくない」ものであったはずです。この作品は当初、匿名で出版されました。

 

『フランケンシュタイン』は怪奇小説ですが、その怪奇性と同じくらい、あるいはそれ以上に印象的なのは、怪物の苦悩と孤独です。「親」であるヴィクターに、この世に生を受けた直後に置き去りにされた彼は、その並外れた体格と不気味な容貌ゆえに差別され、友人もできず、一人で生きるしかありませんでした。彼はひそかに言葉を覚え、拾った鞄の中にあった本を読み、その内容について考えをめぐらせることで、腕力とは違う強さを身につけていきます。そして、ヴィクターと再会した際には、激高する「親」とは対照的に、理路整然と自身の主張を展開してみせるのです。

 

メアリー・シェリーもまた、言葉によって強さを手にした人でした。自分の出産によって命を落とした母の墓で、少女時代のメアリーが読書をしていたのは有名なエピソードです(映画の冒頭もこのシーンでした)。シェリーと駆け落ちした後も、彼女は多くの苦悩や喪失を経験しますが、書くことは止めませんでした。孤独の中で言葉を覚え、自身の考えを訴え、理解者を求める怪物は、おそらく作者自身でもあります。さらに言えば、怪物は「女性らしさ」を押し付けられる時代にあって、言葉という武器を手に道を模索したすべての女性作家たちの姿とも重なるのかもしれません。

 

次年度の3年生の演習(ゼミ)では、この『フランケンシュタイン』をじっくり読み、いろいろな視点から考察する予定です。メアリー・シェリーとほぼ同年代の女子学生たちは、この作品をどのように読むでしょうか。彼女たちとのディスカッションを、今から楽しみにしています。

From December 7th to 9th 2018, ten English Department students took part in the Tsukuba English Model United Nations (TEMUN) at Tsukuba University. At TEMUN, the students had to represent countries such as Libya, Myanmar, Romania, Laos and so on and discuss six topic areas relating to their countries such as sustainable development, natural resources, education, health, infrastructure development and peace in relation to conflicts. The ten students were joined by students from about 30 different countries and from all continents. Through this experience they could not only make many new friends, but also become aware of different accents and ways of expressing English as well as understand global perspectives on important issues.

All of the students said the experience was extremely powerful for them as it had opened their eyes to the world much more than a normal class would do. They admitted the work was heavy and that they had trouble communicating from time to time, but this has motivated all of them to study harder. As a result of this, several of the students said that not only do they wish to take more preparation courses as well as attend more Model United Nations events in the future. One student will be taking part in a Model United Nations in New York in the actual United Nations Hall this March. Several students have expressed their desire to work internationally after graduation at the UN in Geneva or to work abroad in various countries.

The English Department will take students to the Japanese University English Model United Nations (JUEMUN) in Kobe and later in the year to Erfart in Germany to the NMUN event. Because of the overwhelmingly positive response to this event, the English Department will increase the number of Model United Nations classes from 2019 and we hope to open the class to all students at NDSU in the near future so all students will have a chance to have these experiences.