The past five years have seen significant increases in awarness of, and appreciation for, Extensive Reading (ER). Extensive Reading involves the students reading accessible, easy materials to build fluency and automaticity of language recall.  This means students read a lot of texts (often graded readers) quickly to build reading speed. This allows students to read better because they read for meaning rather than to decode text, thus when students read faster they remember more and enjoy what they are reading more.

NDSU has made massive strides in the past few years to build up its graded reader library and resources centres and how all first and second year students in the university are required to read several books each year. The University library now has thousands of books for language learners (language learner literature) as well as many books for younger teens.

Each year students report they enjoy this reading (even if they find it hard to find time in their busy lives), but not all students prefer to read. Many prefer to listen, so NDSU has hundreds of CDs and audio recordings for students to listen to. In the future my hope is that more books will become available at NDSU and that we can continue to research the reading habits so we can better understand our students and their needs.

These developments in Extensive Reading are being mirrored all over Japan with many schools and universities opening Extensive Reading programs. But overseas we are seeing immense initial interest in reading extensively. My recent workshops in Taiwan, Korea, Thailand, Vietnam and Indonesia all have demonstrated interest in ER and many schools are starting to open their first ER programs. Over time and as interest grows, and the word gets out, I expect most private institutions in North and East Asia will have ER programs within the next ten years.  As always, the public programs are harder to develop dues to administrative red tape, curriculum barriers and the lack of state funding. But it is my hope that these too will join the ER bandwagon.

もう20年前ほどになるだろうか、キャンベラにあるオーストラリア国立大学で1年ほど過ごした。シドニーとメルボルンの2大都市がわが方こそ首都とお互い譲らず、妥協策として両都市間の中間の放牧地帯に作られたのがキャンベラである。これは有名なエピソードであるが、キャンベラを首都に選定したもう一つの理由は、海岸部では外敵からの侵入を受けやすいということである。自己防衛の意識は、キャンベラの都市設計にも見られ、国会等の首都機能を有する施設に至るには、間に横たわるバーリー・グリフィン湖に架かる2本の橋を渡るしかないように設計されている(地図参照)。

 

キャンベラの地図

 この懸念はあながち杞憂でもなかった。オーストラリアの歴史の中で本土が攻撃されたのは2度あるが、それは日本軍による19422月のティモール海沿いの都市ダーウィンへの空爆と、同年5月の潜航艇によるシドニー湾攻撃であった。キャンベラにはその歴史を伝えるために戦争記念館があり、今では観光スポットの1つとなっている。

こうした日本との暗い因縁もあるが、キャンベラ自体は大自然のなかに首都機能が移転されたので、「森の中の首都」(ブッシュ・キャピタル)とも言われている。実際そこで暮らしてみると、自然の中の都市であることが実感できる。「野生動物注意」の道路標識がそこかしこに見られ、大学寮の裏山には野生のカンガルーがピョンピョンと跳ねている光景を日常的に目にしたものである。予想以上に大きなカンガルーと出くわした時には、進退窮まって手に汗握ったものである。加えて、キャンベラはアメリカの建築家ウォーター・バリー・グリフィンの都市デザイン案によって建設された典型的な計画都市であるため、自然と議事堂や省庁といった建物が程よく調和し、道路網は整然と整備され、非常にクリーンで美しい都市である。

「森の中の首都」という異名と共に、アボリジニの言葉で「キャンベラ」は「出会いの場」を意味し、人口30万強と小規模の首都ながらも、外国人が多く集う場でもあった。学生寮にも特にアジア諸国からの留学生が多く住んでいた。大学では比較文化を主に専攻していたが、寮にて彼らとその実践編という体験を色々したことは良き思い出である。仲の良かったネパール出身の学生がもてなしてくれたカレーを彼の流儀に倣って、スプーンを使わず右手だけを使って食べることが至難の業であることを知り、学生時代に部活動していた関係で少々腕に覚えのあった卓球は、大して上手くないという中国人学生との試合によって、その自信も木っ端みじんに吹き飛ばされた。共用の冷蔵庫に入れていた卵のパックは夜の料理時には姿を消しており、その傍らの、チェーンで巻かれた食材を目にして、食料防衛の必要性を痛感した次第である。短い期間ではあったが、こうして振り返ると、大学以外でも多くの異文化の学びがあった。

2017年
02月15日

Planting Flowers│Lyn Swierski

Planting Flowers
Lyn Swierski

2016 was a dark and difficult year around the world.  In my home country, the United States, we endured a depressing presidential campaign and the election of a person that most of the world views with fear and uncertainty.  The heart-breaking refugee crisis, continuing terrorist attacks, the rise of right-wing politicians, and the deaths of far too many beloved public figures, including our own Riji-cho, Sister Kazuko Watanabe.

I found myself at the beginning of 2017 with a feeling of great heaviness, and very little hope in my heart.  How can we continue to move forward in this uncertain time?  Where are we heading?  I could try to imagine, but none of my imaginings were very positive.

Then, in early January, I saw this little cartoon online: 

My first thought was to say, "Ha ha. I see.  The only thing we can be sure of, is what we do for ourselves.  Got it."  It took a few seconds for the second meaning to reach me... and then I smiled, and realized how simple the message is: the gardener is expecting something beautiful to come, because he has planted something that will be beautiful. Flowers don't spring up automatically, and you can't expect them to just magically appear to make your life brighter.  If you want to be surrounded by "the positive," you, yourself, have to make the effort and do all you can to make sure that will happen.

We have little control over world events, of course, but we can choose how we spend our time and energy in our daily lives to make our world a more positive place.  Mother Teresa said,

"We cannot do great* things while on this Earth,
but we can do small things with great love."

 (* "great" here means "big")

It's up to you, and me, and each one of us.  So go out there and plant some flowers!  It's almost certain that something positive will follow.

(I actually couldn't find the cartoon when I went back to look, so asked one of our graduates, Megumi Iwaskai-Makino, from the English Drama Club, and Jidogaka, to draw this cartoon.  Thank you, Meg!)


  フランスの敗者の底抜けの明るさと比較すると、日本の敗者は、暗い。更に悪いことに、日本の敗者は怨霊化する傾向にある。怨霊が自分の周りに存在することを日本人が意識し始めたのは、太古の昔のことであろうと思われるが、その後も日本人は怨霊の存在に怯え続ける。そうした日本人の怨霊観は現代の研究者の心を捉えて離さない。梅原猛『隠された十字架』がその典型である。

  飛鳥時代以降も敗者の怨霊は跋扈し続ける。上田秋成の『雨月物語』がそれである。その中で「白峰」と「吉備津の釜」は、それぞれ舞台が讃岐の国と吉備の国であるという点で興味深い。「白峰」は『山家集』を、また「吉備津の釜」は『梁塵秘抄』を下敷きにして書かれたもので、それぞれが異なる怨霊観で描かれている。

  西行は崇徳上皇と面識があり、讃岐の白峰に配流となった後も、崇徳上皇への西行の敬愛は続く。しかし、西行が白峰を訪れるのは、崇徳上皇が薨去した後のことで、その旅の経路は『山家集』に記されている。(その足跡を偲んで、道中立ち寄った玉野市の渋川海岸には西行の歌碑と銅像が設置されている。)

人間の生の儚さを述べることを趣旨とする『山家集』に対して、『雨月物語』では崇徳上皇の御霊は怨霊として描かれる。

 「其の形異なる人の、背高く痩せおとろえたるが、(中略)新院の霊なることをしりて、地にぬかずき涙を流していふ。」

  なぜ崇徳上皇の御霊は怨霊として描かれるのか。それは崇徳上皇薨去後の御霊信仰に起因すると研究者は書いている。その説では崇徳上皇の御霊信仰の頂点は『雨月物語』の百年後の慶応四年にあるとされる。

  「崇徳上皇の白峰御陵は、讃岐の坂出にあるが、慶応四年(一八六八)八月二十六日、勅使がその御陵のまえで、明治天皇の宣命を読みあげた。(中略)呪詛して憤死した崇徳上皇の霊が、奥羽諸藩に味方して官軍をなやましたとしたら、それこそ由々しい事態になるかも分からないと、朝廷は判断した。」 (谷川健一『日本の神々』、1999年、岩波新書、p.146-147)

  「吉備津の釜」の怨霊は「白峰」の怨霊とは異なる。「吉備津の釜」の制作意図は、鳴釜神事は古代の昔から決して誤ることがないという神の神慮の無謬性にあり、それが神に対する人間の恐れを増幅している。「吉備津の釜」に我々が恐怖観をいだく真の理由は『梁塵秘抄』が吉備津宮の神威をこのように表現していることにある。

 一品聖霊吉備津宮  新宮  本宮内の宮  はやとさき 北や南の神まらうど  艮御先は恐ろしや     

  「白峰」は、同族間の権力闘争の敗者は時空を超えて怨霊となり続ける御霊信仰としての特徴をもつ。それに対して、吉備津宮は「恐ろしや」に止まる。吉備津彦命が退治した温羅(艮御先)の首は、異民族(大和朝廷)によって征服された恨みを怨霊には変えず、釜を鳴らして吉凶を占うことで人々に益をもたらしている。「恐ろしや」ではあるが、怨霊にならない温羅を見ると暗さも多少和らぐ気がする。

スピルバーグ監督:「移民国家アメリカの歴史と未来」
ノートルダム清心女子大学教授 広瀬佳司


 アメリカ西海岸ロサンゼルスでの講演も予定どおり終え、一路、東海岸のボストンにあるハーバード大学へ赴いた。ハーバード大学は1636年に設置されたアメリカ最古の高等教育機関であり、現在に至るまで8人のアメリカ合衆国大統領や、100人以上のノーベル賞受賞者を輩出している世界屈指の名門校である。このハーバード大学を今回訪問した際に、正にバシェールト(運命)と言ってよい経験をした。
 2016年5月25日、イスラエルの研究家のインタヴューを受ける目的でハーバード大学を訪問した。できれば、ハーバード大学で長年教鞭を執られていた、イディッシュ文学の世界的な権威であるルース・ウァイス氏と再会したいと思っていた。ところが、ウァイス教授は体調がすぐれず既に引退され西海岸のロサンゼルスに移ってしまっていた。そこで、ウァイス氏との再会は諦め、気持ちを切り換えてイスラエルの研究家二人とイディッシュ語とヘブライ語の関係について意見を交換した。
 イディッシュ語はホロコースト犠牲者の言葉としてマイナスのイメージを与えるため、主権国家イスラエルに於いて以前はあまり注目されてこなかった。しかし、最近ではヘブライ大学を中心にイディッシュ語の夏季コースもできて少しずつ関心が高まっている。しかしながら、私のお会いした30代の研究家たちはいずれもイディッシュ語を話すことが出来ない。彼らにとってイディッシュ語は、祖父母の時代に使用され、現代では死語同然のものであるのだ。若い研究家たちと話しながら、せっかくハーバード大学を訪れたのにイディッシュ文学研究者に会えないことをとても残念に思っていた。
 私が訪れた5月下旬はアメリカの大学では学期を終えた時期なので、再会できればと望んでいた知人のイディッシュ文学翻訳者たちも既に街を離れていた。おまけに、カナダのトロントから私に会いにハーバード大学に来てくれる予定であった著名なイディッシュ文学の専門家ヴィヴァン・フェルゼン氏からも急用で訪米できなくなった、という連絡を前日に受けた。何もかもタイミングが悪く、アンラッキーとしか言いようがない。その時は、そうとしか思えなかった。
 ところが、がっかりしていささか意気消沈しているときに、思いがけない朗報が舞い込んできた。友人から、翌日26日にはスティーヴン・スピルバーグ監督(1946~ )の講演があることを聞いたのだ。そればかりか、その友人から講演会への招待状も届いた。今までの私の暗い気分は一掃され、小躍りするばかりにうれしくなった。我ながら、現金なものだ。
 翌日、ハーバード大学を訪れると大学の卒業式典があり、厳重な警備が敷かれていた。キャンパスには恐らく100名ほどの警官がいたのではないだろうか。各門からキャンパスへ入るときには、招待状の確認と手荷物検査が厳重に行われた。実は、スピルバーグ監督はこの日、ハーバード大学から名誉博士号を授与されるために大学を訪れていたのだ。それに合わせて、彼のミニ講演が予定されていた。このことは昨日までは公表もされていない。私も直前に友人から聞くまでは知らなかった。
 広々した大学キャンパスの芝生が美しいグランドに設置された7千を超える椅子は、スピルバーグ氏の講演が始まるまでに全て埋め尽くされていた。スピルバーグ監督が紹介されると会場からは割れんばかりの拍手喝采である。私も今までいろいろなアメリカでの講演会を経験したが、このような場面に出くわしたのは初めてだ。アメリカでの彼の人気は想像以上だった。講演が始まると水を打ったように大勢の聴衆は静かになった。しかし、監督が所々に交えるユーモアには敏感に反応し笑いと拍手が起きた。
 スピルバーグ監督はカルフォルニア州立大学ロングビーチ校を中退し映画界に入ったのだが、14年前(2002年)に同大学から卒業証書を受けた。そのエピソードを話した時に、「この会場に、大学を卒業するのに37年もかかった方はいますか?」と監督が微笑みながら尋ねた瞬間に、聴衆から大きな笑いが起きた。ただ、「アメリカは移民国家です、今までのところ」と発言した時に、聴衆が彼の特有な皮肉に気づきドッと笑い出すのには一呼吸あった。今、大統領候補になっているトランプ氏への痛烈な批判であろう。極端な白人中心主義を唱える同候補への皮肉である。もちろん、名前などは出さない。それが、一呼吸反応が遅れた原因であろう。後で知るが、スピルバーグ監督はもう一人の大統領候補ヒラリー・クリントン候補の夫のクリントン元大統領とも親しい間柄であるという。
 幼い頃、ユダヤ系アメリカ人であるがゆえに学校でいじめにあった経験が彼の哲学の基本にあるのだろう。移民国家アメリカにあって種族を越えたお互いへの理解と愛が重要であることをスピルバーグ監督は強調した。そのためにも、歴史的な迫害の悲劇を学ぶことが大切で、それによって未来が見えてくる、と語った。例として、「ルワンダ虐殺」(Rwandan Genocideは、1994年にルワンダで発生したジェノサイド)や「南京大虐殺」を挙げていた。そうした過去を見つめ直すことが未来を志向する第一歩であると力説する。ハーバード大学の歴史学科の卒業生を念頭に、「その意味で歴史を学んだ諸君は素晴らしい、ただ就職市場ではよくないかもしれないけれど」とまたユーモアを挟んだ。すぐに、再び大きな笑いと歓声が会場に起きる。
 「今、座っている席で知り合いでもない隣の人や後ろの席の人の眼を見つめてほしい。ここから理解が広がるのです」と具体的に人々に訴えかけた。私はぽつんと一人で座っていたが、微笑みながら隣に座っていた白人の女性に目を向けた。相手もにっこりと微笑み返してきた。そのようにして人々がお互いの目を見つめあったとき、一瞬にして会場の雰囲気が和んだから不思議だ。こんな簡単なことで人々がコミュニケーションを始め世界が変わるのかもしれない。周囲の人など無視して一心不乱にスマートフォンに見入る姿よりもはるかに人間的で、創造的でもある。スピルバーグ監督の代表作の一つで、1982年に公開されたファンタジー映画『E.T.』(地球外生命体)で少年と宇宙人が人差し指を触れ合わせ心を通じ合わせるラストシーンが私の心に鮮やかに甦った。これがスピルバーグ監督の一貫して追い求めるテーマの一つ、民族を超える「愛」であることは言うまでもない。
 スピルバーグ監督はハーバードの大学の卒業生に期待を込めて次のような言葉を贈った。
  "My job is to create a world that lasts two hours. Your job is to create a world that lasts forever, you are the future innovators, motivators, leaders, and caretakers." (映画という2時間だけ続く世界を作ることが僕の仕事ですが、でも君たちは未来永劫続く世界を構築しなければならない。また、君たちは将来、世界を変えていく改革者であり、人々の意欲を掻き立てるようなリーダーであり、その世界を守っていかなくてはならないのです)。
そして、次のような言葉でスピーチを締めくくった。
  "I've imagined many possible futures in my films, but you will determine the actual future. And I hope it's filled with justice and peace." (映画をとおして私は様々な将来を想像してきました。でもあなた方は現実の将来を決定していくのです。その未来が、正義と平和に満ちていることを切に望んでいます)。
笑いと感動に満ちたスピーチをスピルバーグ監督が終えると、数千人を超える聴衆全員がスタンディング・オベーションを送った。その拍手の渦はハーバード大学のキャンパスにいつまでも響き渡った。